サクサク。口の動きに合わせて軽快な音が響く。一頻り鳴り終えると、柔らかく顔を綻ばせ、一点を目がけ手を伸ばす。

 少年は、ポテトチップスを食べていた。とても美味しそうに、幸せそうに。そしてその隣に佇む母親も、ポテトチップスを一口つまんだ。それはとても素敵な笑顔で、「美味しい」と舌鼓を打つ。
 まるであらゆる苦しみを知らないかのように微笑みあい、美味しさを二人で分かち合う姿を見せつけるかのように。音を立ててまた味わい咀嚼する。

 ギアッチョがそんな一場面をふと視界に入れたのは、まだ小学生になる前のこと。テレビ越しに映される光景をチラリと見た。有名なポテトチップスのメーカーが手掛けたCMだ。あまりに美味しそうにポテトチップスを食べる二人に、まだ見たこともなかったそのお菓子にいつしか憧れを抱くのだった。

「邪魔だ!どけ!」

 ぼんやりとソファーの後ろでコッソリ見ていたのがバレてしまったのだ。投げやりにぶち込んだ男の左手はギアッチョの顔面にクリティカル・ヒットし、うっとり気分もすぐに現実へと引き戻された。

 ギアッチョはよろめきながら部屋の隅に移動
し、鼻血を乱雑に拭いながら理解した。このポテトチップスは、とても幸せな人が買えるものなのだ。今の自分ではとても手に入れることができる代物ではないのだと。

 しかし、実際どんな味なのだろう?
 いつか食べてみたい。そんな小さな子どもの願いは、思わぬ形で実現することになる。

「ギアッチョ、好きなお菓子一つ選んできてもいいわよ」

 両親の死後、自らギアッチョを引き取ると名乗り出たナナーシ。彼女と初めて訪れたスーパーで、自由にお菓子を見る機会がようやくやってきたのだ!ギアッチョは内心嬉しさで高揚しながらお菓子の陳列に一瞥を投げた。

 キャンディ、チョコレート、マシュマロ、クッキー……ギアッチョの知らない世界が一面に並ぶ。そんな真新しさを見渡して、ギアッチョは思った。  

(あのポテトチップスが食べたい!)

 どうやら数年前ちらりと目に入っただけの出来事なのに、彼は短い人生の多くをそのポテトチップスと共に過ごしたようだ。と言っても常に想いを寄せていたわけではなく、とてもお腹が空いた時や心細くなった時にふと思い出すくらいのものだった。それでもギアッチョにとっては十分すぎる動機だ。
 足早にお目当の一品を求めて進めば、ポテトチップスが集まる陳列棚でようやく見つけ出すことができた!

 無事購入できたポテトチップス。彼はいよいよ憧れの真価を見出す事ができるのだ。

 数日後、映画のお供にとついにポテトチップスは開封される。中にはテレビで見たままの、明るい満月のようなそれをギアッチョは恐る恐る口へ収める。

(お、美味しい…!)

 絶妙な塩味と歯ごたえに、ギアッチョは目を大きく開く。こんなに噛む事が楽しくなるほど、そのサクサク感はクセになる。世界中で愛される銘菓に初めて触れたのだ。子供ながらに身を震わせた。

「やっぱりポテトチップスは美味しいわね。ペリーニが進むわ!」

 向かい合わせのナナーシは、ペリーニ(イタリア産のビールだ。ギアッチョが味を知るには、まだ若すぎる。)片手にうっとりと口角を上げる。

 自分が選んだお菓子を嬉しそうに食べるナナーシに、ギアッチョは満更でもない気持ちになった。

 それからギアッチョはスーペルメルカートへ行けば必ずポテトチップスを買うようになった。決まって同じメーカーのものを、いつもナナーシと一緒におやつとして食べていた。

 だが、1日だけナナーシと共に食べない日があった。それは通学に少し慣れてきた頃。

「学校のおやつに持っていきたい」

 ギアッチョがポテトチップスの袋を掲げてそう言えば、ナナーシは少し難しい顔をした。
 2時間目の授業が終わった後、休憩時間が長めに用意される。その時間はいわゆるおやつタイムだ。家から持ち寄り腹ごなしをしてからまた授業に専念する。朝食が少ない傾向にあるイタリアならではのルールだ。
 どのようなおやつを持ち寄るかは親によって様々で、子供のリクエストに応じて甘いチョコレートやカップケーキもあれば、健康志向な親ならフルーツなんかを持たせる。ギアッチョにいつも持たせるパニーニは無難な方だろう。さまざまなおやつを持ってくる子はいるが、袋菓子でかさばり、一人で食べきるには量が多いポテトチップスを持たせる親はいなかった。

 とはいえおやつに制限があるわけではない。珍しいギアッチョの要望に、出来る限り応えてあげたい。

「や、やっぱりいいよ…ごめんなさい」
「そっそんな!考え事してただけよ。ギアッチョは持っていきたいって思って言ったんだしょう?自分の気持ちを伝えるのは大切なことよ、謝ることじゃないわ」
「でも…」
「ポテトチップスも持って行っていいわよ!」
「え、いいの?」
「ええ、持って行ってみましょう!ただし一袋じゃ多すぎるから、食べるのは半分くらいにしておくようにね」
「うん」

 そうして学校に持ち込んだポテトチップスだったが、味の是非はギアッチョの求めるそれではなかった。
 おやつの時間。周囲は嬉しそうに歓談しながらおやつを持ち寄り、笑いながら食べる。ギアッチョも一人ポテトチップスを開封し、味わい食べる。

「……美味しくない」

 いつもと同じ味で、サクサクしていて、美味しいはずなのに。つい手が伸びてしまうポテトチップスではなかった。

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