一位おそろいだね
1998年10月24日。
木の葉を掃くように抜ける風が心地いい。
とある小学校では運動会と書かれた看板が校門前に設置され、半袖の体操着に赤白帽を被った生徒が運動場に集結している。その中には漏れなく当時小学一年生の佐野エマもおり、彼女ははじめての運動会に自身を熱り立たせていた。
全体行進、クラス対抗のかけっこ、玉入れ競技。
体育の授業で散々練習してきた成果を出し、大目玉のかけっこで家族にかっこいい姿を見せたい。そんな想いを胸に赤白帽を深くかぶる。キラキラと決意に満ち溢れた瞳をしていた。
かけっこは二クラス対抗で行われるため、勿論ライバルも存在する。足の速さもエマとそこまで大差ないことが予行演習で分かっていたため、尚更勝ちを譲るわけにはいかないと気を引き締めていた。
パンッ
乾いた空気に喝を入れるような発砲音が響く。
空砲がかけっこ開始のゴングを鳴らし、エマは隣のライバルなど目もくれず一直線に走った。しかしそれでもエマの方が遅れをとっており、ライバルとの間に少しずつ開く差に焦燥感が押し寄せる。
空手の師範であり、唯一の保護者として家族の基盤を支える祖父。
いつも変な髪型だけど、エマの父親代わりに面倒を見てくれる真一郎。
年下のエマよりずっと子どもっぽいのに、空手がべらぼうに強くていざって時にカッコいい万次郎。
末っ子でみんなより幼いエマは、少しでも自分のすごいところを見せてみたいと思ったのだ。
もっと速く、もっと前へ!
ライバルを追い越すんだ!
そう自身を鼓舞してさながら疾風のように駆けるのもつかの間。突然足がもつれ、エマのバランスが崩れた。
所詮は六歳の身体。
勢いをつけすぎた代償だと言わんばかりにつまずき倒れた。
地面に這いつくばりながら、エマは自分がこけてしまったことを悟る。
すごい所を見せるどころか、こんなにカッコ悪い自分の姿を全校生徒家族津々浦々の前で披露してしまった。そう状況を呑み込んだエマの心はズタボロだった。
なんとか起き上がるも立ち上がる気力が湧かず、その場にへたり込む。
エマのこけた姿見て、みんなガッカリしたかな、なんて考える。クラスの子にはダサいって思われたかな、なんて考えもよぎる。自分の情けなさに、エマは耐えきれなかった。
口はぐにゃりと歪み、キラキラと目には涙を溜め、ついには声を上げて泣き出す──
そんな時だった。
「一緒に行こう」
もうずっと先に進んでゴールしてるはずのライバルが目の前にいて、エマに手を差し出していた。
エマのことなど気にせず走り抜ければ、一位になれたというのに。どうしてここまで戻ってきたのか分からず、エマは瞬きを落とす。それでもライバルの見せる穏やかな笑顔は、エマの尖ったような困惑したような忙しない心を、雪解けのように柔くほぐしていく。
ライバルの手を借りてエマは立ち上がる。「怖かったら一緒に走る?」という言葉に甘え、手を繋いだまま並んでゴールを切った。
「一位おそろいだね」
おそろいで一位なんて、エマは考えもしなかった。
かけっこは謂わば他人との競争、比較、順位付け。そんな考えに囚われないライバルの奇想天外な行動や発想は、エマの心をじくじくと温める。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
走者の待機列に座る二人の肩には、一位の襷がかけられている。そのことがなんだか無性に嬉しくて、ライバルと仲良くなりたいとエマの心を突き動かした。
「ねえねえ、名前何て言うの?」
「わたしは小此木真波。あなたは?」
「佐野エマ! ねえ、エマと友達になって! えっと、小此木さん」
「真波でいいよ。うん、わたしもエマちゃんと友達になりたい」
「ホント? えへへ、嬉しい」
「これからよろしくね、エマちゃん」
「うん! よろしくね!」
運動会の一幕で、新たな友達との出会いに笑い合う二人。そんな様子を保護者席から真一郎と万作が、二年生の待機列から万次郎が、それぞれ微笑ましく見守っていた。
後に真波はナミの愛称で親しまれるようになり、エマに料理や家事を教えるうちに佐野家に馴染むようになるが、それはまた別の話。