夕焼けに照らされて町が輝き帯びる十九時五十分。
 練習を終えた稲荷崎高校バレー部の面々は、部室で帰り支度を整えていく。

「にしても篠原がマネ辞めるん意外やな」
「俺も篠原は残るもんやと思てました」

 赤木と銀島のぼやきに、理石は記憶を掘り起こす。
 それはぼんやりとした月明かりが町を見守る頃。篠原がまだ入部して数日のことだ。
 
 全国五本指に入るスパイカー、尾白アラン。高校バレー界最強のツインズ、宮兄弟。稲荷崎の主砲、角名倫太郎。分かってはいたが、「最強の挑戦者」と言われる強豪校には粒揃いの実力者が集まっている。ここでぼんやりしていると置いてかれる、入部早々すぐに危機感を抱いた。
 必死で部活の練習に食らいついても、試合に出してもらうためにはまだまだ足りない。理石は部活が終わった後も数名と共にサーブ練を続けていた。
 
 そんな様子に気づいたらしい篠原が、バタバタと大慌てで体育館へ戻ってきた。全力で走ったのか息切れしながら靴を脱いでいる。時間も遅いしそろそろ帰れと言われるだろうか、そう身構えつつも篠原へと近寄った。

 ───テーピングの実験体になってもらえませんか

 本とテーピングケースを抱えた篠原から四十五度のお辞儀が炸裂する。
 疲労した筋肉にテーピングを施してもらえるなら助かることの方が多い。しかし間違った巻き方をしてしまうと他の部位に負担がかかるなど悪影響も出てくる。それを理解しているから、後輩の理石に対して丁寧に頼み込んでいるのだろう。後輩であろうと、理石も部員であり選手の一人なのだ。
 理石は二つ返事で了承し、疲労が溜まっている肩に巻いてもらうことになった。
 テーピングのためとはいえ、袖を捲り上げて身体に触れる距離の近さに、内心ドギマギしたのはここだけの話である。試行錯誤しながらも本の通りに貼ってもらったテーピングは、なかなかほどよい圧迫が加わっていい感じだ。

 ───これは怪我の予防にもなる巻き方やから。練習も大事やけど、身体痛めんようにね。応援してる。

 柔らかい笑顔を向けられ、チリン、と理石の耳奥で鈴が転がる。

「自分勝手さでいえば俺らも同類だよね」
「なんやねん急に」
「新入社員をすぐクビにするようなもんやしな」

 角名の皮切りに尾白アランがどこかやりきれないような表情を見せる。
 得体の知れない洗脳作用で崩壊に向かっていた、そんなバレー部に宮侑が投じた僅かな希望。バレー部の再建を目指して、彼女は手探りながらも奔走してくれた恩人だった。
 尾白アランの言葉に侑は唇を尖らせる。

「まあ普通は怒ったり呆れたりするんじゃない。篠原の器が大きいから許されてるみたいになってるけど」
「本人から辞める言うてたし、篠原も分かった上で了承してたんやないか?」
「そっそうやそうや!」
「侑、お前“女マネなんかいらん”とか篠原の前で言うたんやないか」
「ゔっ」

 銀島の渡りに船も虚しく、北の明察に侑は顔を強張らせた。
 これにはいそいそと身支度を進める角名も「マジかよ」と言いたげな表情を向ける。尾白アランは「言うてたなぁ」とやれやれな視線を送り、とっくに気づいていた双子の片割れは「そんな事やと思ったわ」と息をついた。
 
「そりゃツムがそんなん言うたら、潔く身を引くしかないわなぁ」
「まあ侑はそういうトコあるからなぁ……」

 北の一言に反論の余地がない侑は、一文字に口を結んで着替えに勤しんだ。
 
「こないだ自習の時間にテーピングの本読んでたで」
「テーピング?」
「ああ。結構付箋してたし色々勉強してたんちゃう」

 治の発言に、理石の動きが止まる。
 篠原がテーピングの実験体を頼む光景が脳裏をよぎる。篠原の真摯な態度は、先輩だとか後輩だとかの垣根を越えていた。まるで少しでも自分にできる事を増やそうと模索しているような、そんなひたむきさがあった。

「俺いつも居残り練してたんすけど、篠原さんがテーピングしてくれて……」
「あっ、そういや肩に貼ってたな」
「そうなん? 全然気づかんかったわ」
「肩なんで隠れてました」

 あったあった、と首を縦に振る赤木を横目に、制服に袖を通す理石の表情はどこか固い。
 試合に出れるかも分からない下っ端の一年に、篠原は応援の言葉をかけた。それはただの慰めではない。
 理石をまっすぐ見ているようでいて、しかし理石の頭を突き抜けるような先を見据えた真っ直ぐな視線。まるで試合に出る未来を伝えられたかのような説得力が、言外ながら詰まっていた。

「俺は篠原さんにマネやってほしかったっす」
 
 ひたむきに、まっすぐに、真摯に、見返りを求めずに。選手を裏方でサポートするため雑用係に徹する。
 誰にでもできることじゃないことを、彼女は当然のようにこなし向上心まで見せていた。そんな人に支えてもらえることの、なんと心強いことか。

「……どうせえっちゅうねん」
「そんなん、ツムが言うしかないやろ」
「せやな、勧誘して辞めさせる張本人が言わな意味ないわ」

 治の提案に同調するように、尾白も大きく頷く。

「俺も篠原がやりたいんなら続けてほしいなぁ。アイツええやつやったし」
「精一杯マネージャーやってたしいいんじゃね。篠原はああ見えて結構面白いし」

 情の熱い銀島の一言に、角名の横槍が飛ぶ。
 
「マネージャーがいればその分一年もボールに触る時間が増える。俺も賛成だ」
「マネージャーいて困ることなんか普通ねえしな!」

 大耳の堅実な意見に、赤木は笑いながらもっともな一言を添える。

「俺は篠原がマネージャー続けても辞めても、別に構わんで。どっちに転んでも対応できるしな。でももし篠原にまだ心残りがあるんなら、それは恩人に仇を残してるようなもんや。ちゃんと決着ケリつけて筋通さなあかんやろ」

 宮侑は正直なところ、一年マネに対してはまだ「自分は悪くない」と思っている節がある。どれだけ原因が自分にあると言われても、バレーを奪う卑劣な嫌がらせを容認なぞできない。謝りに行くとは言ったものの、本音を言うと気は進まない。
 しかし侑が駄々をこねて謝罪行脚を断るという選択肢はなかった。部長一人で頭を下げて泥を被せるのはもっと気が進まなかった。それに、北信介の問い詰め"圧"があまりに強いものだから、断る選択肢がすぐに浮かばなかったことも要因の一つである。
 
 しかし篠原に関しては何ら落ち度もなければ、見返りも求めず力を貸してくれたのだ。
 用済みだからとクビにするような現状は不義理としか言いようがない。北の正論パンチを受けて、宮侑は大きく息を吐き出した。
 
 ───ちゃんと篠原の本音も聞かなあかん。
 一筋の光が架かる瞳は、筋を通す男の眼差しであった。


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