稲荷崎高校男子バレー部には、女子マネージャーが既に一人在籍している。それも入学して間もなく入部したようで、応援団を務める友達から私の耳に届いた。あれからまだ一ヶ月も経っていないはずだ。
 原作では女子マネを目にする機会が無かったので、食い違う展開に最初こそ驚いた。まあしかし、一年がするべき雑用をマネージャーが肩代わりしてくれるので、その時間もバレーに打ち込めるようになる。全国一位を目指す彼らにとっては吉報だろう。そう思いあまり気にしていなかった。
 私が彼女について知っているのは、一年で既に頭角を現すほどの美人さんって事くらいだ。
 
 そんな彼女番狂せによってマネージャーやバレー部に皺寄せが起きているのだろうか。そんなことを悶々と考えながら、とうとう約束の放課後を迎えた。
 宣言通り私のことを迎えにきた宮侑の表情は、どこか固く険しい。

「今日ずっとこれ持っといて」

 そう言って手渡されたのは私が貸した例のお守り。
 ……え、なんで?
 頭上にクエスチョンが乱立するも、彼の少し殺気だった様子に声をかける事ができず。なんかめっちゃイライラしとる、そう心の中で一人ごちた。

 本当に何が何だか一つも分からないけど、彼をここまでさせる何かが今のバレー部にあるのかもしれない。そう察する事はできた。彼らのプレーを応援している私としては、少しでも役に立てる事があるなら尽力していきたい所存だ。
 そう腹を括りながら体育館へと向かう。彼は先に部室で話を通すと言って、そそくさと立ち去った。どうも切羽詰まってるような表情で、彼をここまで駆り立てているのは何なのか。どうも腑に落ちない。

 鞄を肩にかけながら、体育館の端っこで待機する事十分弱。待っている間に鈴をお守りの中に戻して、あとはひたすら待ち侘びた。着替えを終えた部員たちがゾロゾロと集まり出した。一瞬私に目を配るものの、特に気にしないような素振りでふいと視線を逸らす。
 私がマネージャー候補だともう知れているのだろうか、それにしては反応がやけに淡白だ。まだ知らないのであれば、部外者の女子をこんな所に放置するわけないだろうし。
 なんとなく周囲の反応が妙だと思いつつ、私にできる事は何も無いのでとりあえず待ちぼうけを続行。歌が一曲終わる頃、宮侑くんが仲間を連れてこちらへ来た。その中に紅一点が紛れており、彼女が現マネージャーだとすぐに察することができた。

「マネージャー希望の篠原やな」
「はい」
「俺は北信介。部長や、よろしく」
「よろしくお願いします」
「マネージャー業については愛香から説明を聞いてほしい」

 ん? と小さく首を傾げる。
 淡々とした話し方で流しそうになったけど、北さんは今マネージャーのこと名前で呼んだ?
 最近入ったばかりの女子マネージャーを、気軽に下の名前で呼ぶんだ。いや、別に悪い事なんて無いけど。ただ、将来「ちゃんと」って米を売るほど丁寧に毎日を積み重ねる、そんな北くんのイメージとはどこかかけ離れているように感じて。
 いや、原作知識の勝手なイメージに過ぎない。北さんだって女子を名前で呼ぶことくらいあるだろう。内心の動揺を悟られまいと、そう言い聞かせて平静を装った。

 顧問の号令がかかり、私は部員の前で簡潔な自己紹介を終えた。今日の練習メニューを簡素に説明し、とうとう部活動の幕が開く。
 私はひとまず体験入部としてしばらく参加する事になった。まあバイトの研修期間みたいなものか。

「一人で心細かってん、入部してくれて嬉しい。私のことは愛香って呼んでね!」

 お、おう。後輩からの初手タメ口に思わず言葉が詰まる。そして恐ろしく美しい顔面に思わず目を細めた。
 それにしても、稲荷崎高校はバレー部においては強豪校だ。みんな全国を見据えてハードなトレーニングを毎日こなしている。マネージャーだって忙しいはずで、人手が増えて助かることはあっても、一人で心細いなんてことあるのだろうか。

「あ、篠原さんは先輩やけど、ここでは先にマネになった私の方が先輩やからそこんとこよろしく!」
「う、うん。分かりました」

 えぇ、そういうもんなん? 今時の子すげぇ。
 じゃあ私が敬語を使った方がいいのだろうか。下の学年に敬語を使う機会なんて、前世を含めても今まで無かった。彼女はなかなかロックなハートを持っているようだ。アラサーには顔面もメンタルも眩しすぎる。

 愛香ちゃんは手始めにマネージャー室へ案内してくれた。さすが強豪校、バレー部専用のマネージャー部屋があるらしい。六畳一間に荷物を入れるロッカーや棚が壁を覆っている。最近まで使われてなかったようで、あまりにも物が少ない状態だ。
 ひとまず空きロッカーに荷物を置いていく。
 ジャージは明日からということで、今日は制服で説明を受ける事になった。
 
 コートの準備・片付け、部誌の記入、ビブスの洗濯。スポーツタイマーやスコアボードのセッティング、ボールの手投げや回収。
 ノートの1ページを破り取ってメモ帳代わりにしておいて良かった。マネージャーとしてのあらゆる仕事を凝縮したような説明を受け、身が引き締まる思いだった。彼らが練習に励む裏側を覗けたような気がして、ファンの胸はほくほく暖まっていく。
 仕事の説明ができるということは、愛香ちゃんもちゃんとこれらをこなしていたのだろう。愛香ちゃんに問題があるようにはあまり見えなかった。この時までは。

 部室の清掃は部員がすることになっており、マネージャーは入室する必要がないらしい。さすがに異性だし、部員のプライバシーも兼ねているのだろう。
 ドリンクの作り方も教えてもらい、休憩のタイミングに合わせて愛香ちゃんと配った。いや、この言い方だと語弊がある。正しくは愛香ちゃん“が”配った、である。

「角名くん、お疲れ様!」
「ありがとう」
「治くん、さっきのスパイクカッコよかった!」
「ほんま? やった」
 
 愛香ちゃんは選手一人一人に声をかけ、手渡しでドリンクを配っていく。それだけなら、別に自然なことだ。しかし愛香ちゃんの前には長蛇の列ができあがっており、私から受け取ろうとする人は宮侑ただ一人。いや別に私は手渡しじゃなくてもいいから問題はないけど。こんなに極端に偏るとは思いもしなかった。というかカゴに入れてるんだし直接取りに来ればいいんじゃないか……?

 さながらアイドルの握手会のような光景に言葉も出てこず、隣で呆然と様子を見守ることしかできなかった。しかし内心穏やかでいられず、ついつい心の中に潜む「ちょっと待てぃ!」ボタンが光る。
 私からさっさとドリンクを受け取った宮侑は、忌々しそうに愛香ちゃんを睨みつけて舌を打つ。列に並ぶ部員はそんな彼に冷ややかな視線を送っている。
 なんやこの地獄絵図。
 
 その後一日の流れまで澱みなく説明する愛香ちゃんは、しっかりマネージャー業を果たしているのだと見受けられる。ドリンクを渡す時以外は特に滞りなく務めを進行していた。
 決められた配合でドリンクを何度か準備したり、部誌を書いているとあっという間に終礼の時間。コートの後片付けを終えて、特に何事もなくマネージャー見習いの初日を終えた。
 正直なところ、少し拍子抜けである。

「これからもよろしくね、篠原さん!」
「はい、よろしくお願いします」

 そう笑顔を向ける愛香ちゃんに、当たり障りのない返事をする。先輩や後輩の垣根にそこまでこだわりがない私は、とりあえず彼女の言うままに敬語で話す先輩扱いすることにした。先輩呼びだけは「ちゃん付けでいいよぉ!篠原さんって面白いね!」と言われたので愛香ちゃんとさせてもらう。

 解放された部員たちが次々に愛香ちゃんの元を訪れては、お疲れ様でしたと声をかけていく。
 部員とのコミュニケーションもそりゃあとれた方がいいだろうけど、離れたところからポツンと待っている私としては早く帰りたい。先に帰ろうかな、いやでも一応初日だし先輩なら待った方がいいよな、お先に失礼しますって言っときゃよかった。そんな後悔の念を抱くも、表情には出さないようクールに努める。
 宮侑くんだけ、ゾッとするほど凍てつくような視線を彼女に注いで体育館を出て行った。
 怖あっ。

 
 

 愛香ちゃんに挨拶をしてマネージャー室を出る頃には、すっかり日も暮れて三日月がほんのりと顔を出していた。
 時折吹きすさぶ夜風に身を縮こませながら帰路に着いて、愛猫に相手をしてもらってから、食事と風呂をそそくさと終わらせる。もう二十一時を回ると言う頃、ケータイから軽やかな通知音が鳴った。
 
[今話してええか?]

 私をマネージャーに誘った張本人から、簡素な一文が届く。
 彼と連絡先を交換した覚えは無い。まあバレー部のグループには入れてもらったので、簡単に探し出せたんだろう。私としても事情を聞きたかったので、二つ返事をして通話ボタンを押した。

「もしもし」
[あーもしもし。マネージャー初日おつかれさん]
「ありがとう。宮くんも部活お疲れ様。……その、なんか変やない?」
[ああ、めっちゃ変や]

 彼の疲れを滲ませるような声色に少し同情してしまった。私は原作を知り、且つ練習試合や公式試合に応援で駆けつけている。ここまで冷え切った雰囲気の中で練習するようなチームではない。
 とにかく宮侑に向ける視線がみんな厳しい。部員同士話をするが、宮侑と交わす会話は妙に少ない。宮侑はマネージャーに苛立ち、部員は宮侑に苛立っている。なんて嫌な相関図だ。
 人格ポンコツと分かった上で、それでも最良のトスを上げる宮侑を主力に置いて点を稼いでいる。それが今や団結力を損ない、プレーにも影響を及ぼす程不和は膨れ上がっている。どれほどのアクシデントが起きればこんな事態になるんだ。北さんならそういう場を引き締めそうな気もするんだけど、そんな彼も黙って強すぎる圧を宮侑に向けるのみだった。
 
 稲荷崎高校のバレーが好きだからこそ、“らしくない”非常事態が起きているのだと分かる。唯一確かなことといえば、宮侑はこの状況を何とかしたい一心で私をマネにしたくらいだ。私を一方的にマネージャーにした彼は、実際にはSOSを出していたのかもしれない。
 
[アイツが入ってからバレー部全体が変やねん。みんな見てくれは普通やけど、あのマネージャーにどっか狂わされとる]

 確かに。ドリンクを渡す光景を思い返せば、彼の言いたいことは分かる。あの“現場”はあまりにもインパクトが強すぎて、正直いまだに圧倒されている。

[色目使う豚なんか邪魔なだけや。女のマネージャーなんかおらん方がええ]

 急に豚言うやん。怖っ。
 そんな思いがよぎるもさすがに飲み込んだ。
 あそこまでプレーを乱しているのだ、彼が御乱心なのも十分頷ける。

「じゃあ尚更、なんで私をマネージャーにしたん? 私も女やけど」
[……篠原さんに借りたお守りで、正気に戻った奴がおる]
「正気に……? まるで洗脳されたみたいな言い方やね」
[あーその言葉が一番しっくりくるわ。洗脳された奴らを戻したいねん]
「やからお守り借りたんや」
[ああ。しかしどうもあのお守りだけやと効果無いらしいわ。もしかしたら篠原さんがお守りを持つ事に意味あるんちゃうかって話になってん]
「なるほど……?」
「とにかく篠原さんにはお守り持って部員に声かけてってほしい。プレー褒め千切って、応援しとるアピールとかしといて」

 えっと。“宮侑の口から出てこない言葉”で会話する縛りしてる? 違うの? ホントに? 違わない方が納得いくんやけど……。

 つまり私が部員の正気を取り戻すトリガーに……なるのか? 本気で相談に乗っても尚疑問系になってしまう。明日の朝練でドッキリの看板持って来てくれる方がまだ納得いくんだけど……。しかし部活の様子を思い返せば、そんな事は無いんだろう。
 今まで普通に生きてきた私にそんな特殊能力は無いと思うんだけど。強いて言えば前世の記憶をはっきり持ち越して漫画の世界に転生してるくらい。

 ───いや、だからだろうか。
 今まで深く考えた事無かったけど、この世界において私の存在は異質なのかもしれない。
 
[あのアホが来てからもう二人退部してる]

 退部者を出すほど、愛香ちゃんはバレー部をかき乱している。そんな地獄のような情報に私は息を詰まらせた。
 
「愛香ちゃんがマネージャーになってまだせいぜい二週間くらいでしょ。なんで?」
[痴情のもつれや、詳しくは知らん]

 女子を取り合って和を乱す、サークルクラッシャーのようなものだろうか。今のバレー部全体がオタサーの姫化してるのかもしれない。多くの標的に甘言を振り撒いて、みんな進んで一本釣りされてる状況……。もしそれが事実なら、今後更にバレー部の空気は悪くなるだろう。
 どうやら私が思っている以上に深刻かもしれない。
 
[えらい強引な事言うてマネージャーさせてもうたけど、部活が元通りになるまで続けてくれへんか。頼む]
「……分かった」

 彼のまるで縋るような声に、開いた口が塞がらないでいた。
 彼にとって異性のマネージャーなど、きっとノイズでしか無い。マネージャーの存在自体は助かるものだが、そこに男女の浮ついたあれこれが混ざってしまっては非常に厄介だ。彼はただ真剣に、一途に、ひたむきに、バレーボールと向き合いたいはずだから。
 私の存在が打開策に繋がる、そんな一縷の望みがあるならと。隣のクラスの話した事ない女子にマネージャーを頼むほどに。たとえノイズであろうと入れざるを得ないほど追い込まれている。
 本来のバレー部の姿に戻そうと、彼も必死なんだ。私に断る理由、無いよね。

「わかった。ちょい遡るけど、正気に戻った人って誰なん?」
[ああ、それはな───]



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