十二時四十分。
多くの生徒が待ち侘びる、昼休憩の訪れをチャイムが報せる。食堂へ駆け込む者、お花を摘みに向かう者、友達のクラスへ移動する者。人混みの合間を縫うように、男は購買へと足早に向かった。
多くの生徒が群がる中、列に並んでメニューに目を通す。今日はどれで腹を満たすか、己の気分と相談しながら待っていた。
ふと、足元に鈴の
上からフェルトを縫い付けてバレーボールの模様を見事に再現している。裏返すと「INARIZAKI」の刺繍が施されており、丁寧に作られたんだなと伺える一品だった。不思議と視線を吸い寄せてしまうそれはまるで宝石のよう。
「あ、あの……」
前方から声がかかる。俯き気味だった顔を上げると、前に並ぶ女子生徒がおずおずとお守りを見ている。ああ、と渡すと女子生徒は口を少しもにょもにょしながら財布に戻した。
「バレー応援してくれてありがとう」
「こっこちらこそ、熱いバレーを見せてくれてありがとうございます。ここぞって時のスパイクとか迫力あって本当にかっこいいです。これからも応援してます」
そう照れ笑いを浮かべながらエールを送る彼女の言葉を頭の中で反芻する。
まずは、目の前にある一点。どんどん積み重ねて、勝利を掴んで。とにかく上しか見てへん。そのためなら「思い出なんかいらん」も上等。青春の一ページをバレーボールに捧げて、色恋なんかする暇もなくバレーボールに打ち込んできた。
───俺は何をやっとんねん。
霧がかった思考回路に、どんどん晴れ間がさしていく。マネージャーが入部してからの記憶が、ずいぶんとぼんやりしている。昨日の練習メニューもハッキリと思い出せへん。たった一人のファンの言葉で、錆びついた歯車みたいな脳に栄養がぐっと行き渡る。
バチン!と両頬を叩いて、男は顔を上げる。
そこには決意のこもった眩しい光が双眸に宿っていた。
───しっかりせえ!尾白アラン!
***
春の空は青すぎない。
白いベールが乗ったような空に、ウロコのような雲が弾ける朝。マネージャー五日目の早朝も、私は駆け回るように仕事に徹していた。
──とにかくアイツの見てないとこで部員に声かけまくる!んでお守り握りながら応援や──
と、宮侑の訴えを反芻する。
自然とドリンク作りやビブスの洗濯を任され、愛香ちゃんは体育館に出ずっぱりなことが多い。それでも部活終わりやお手洗いに向かう部員に隙をみて声をかける機会があった。テーピングの本を買ってテーピングを勉強しつつ、実験体をお願いする事で部員との接触を増やすこともできた。
宮侑の作戦通り応援の言葉を伝えるも、成功率は五分五分。特に入部したての一年生は“なんで自分が応援されるん?”と言いたげな様子を見せた。まだ試合に出ることもできない彼らに、応援の言葉は響かなかった。当然の反応である。
この五日間で大きな収穫といえば、大耳さんや理石くんが元に戻ったことくらいだろう。
尾白くんの時は“たまたま”応援の言葉で戻ったのではないか。そうなれば宮侑が提示する前提条件が崩れる。ファクトチェックが必要だ。
「後輩ちゃん一人でできるか、今日からテストするね」
愛香ちゃんにそう告げられワンオペ化したのは5日目のことだった。引き継ぎ四日はどないやねん。
とはいえ単純作業が多いため、メモを見れば割と何とかなってしまう。その日以降愛香ちゃんは完全に体育館に居座り仕事をサボるようになった。ボール拾いそっちのけで声援を送り、部員とコミュニケーションを交わし、その度に宮侑の青筋は深く刻まれていく。部員との距離も近く、さりげないスキンシップも加わり鼻の下を伸ばす者もいる有様だ。思い出いらんのちゃうんか〜い。
それでもドリンクだけは欠かさず手渡したいようで、わざわざ準備したボトルを受け取りに来る気合いの入れようだ。明らかに選手贔屓して仕事を怠る残念マネと成り下がってしまった。
それにしても彼女のモテるための根気には驚かされる。高校生ならその美貌でいくらでも持て囃され恋人RTAも狙えるだろう。放課後をもっと青い春に捧げて過ごす形もあるというのに、わざわざ自分時間の大半をバレー部に捧げているのだ。もしかしたらバレー部に本命がいるのかもしれない。
しかし本当に洗脳されているのか、誰も注意することなく練習をこなしており、宮侑はバチボコにキレている今日この頃。大半が愛香ちゃんの甘言につられている状態だ。ちなみに大耳さんは目の前の光景が信じられんとばかりに大口開けて固まっていた。彼のここまで呆気にとられた表情はレアだと思う。
この状況はもしかしたら、私が入部したから引き起こされたんじゃないか。私がマネージャーにならなければ愛香ちゃんは仕事を続けてたのでは、なんて肩を落としたりもした。バレー部の助けになれたらと思っているのに、悪い方向へ転がってはどうしようもない。
一方尾白アランくんと大耳さんには洗脳されていた頃の動きを継続している。宮侑曰く、愛香ちゃんが笑顔を振り撒く水面下で洗脳を解いていこうという話だ。邪魔立てされるわけにもいかないし、愛香ちゃんに動きがあったら情報共有ができる、スパイとして立ち回ってもらうようだ。
さすが宮侑。相手が嫌がるであろう一手に長けている。彼を敵に回す日がこない事を祈ろう。
[あンのふしだら豚が!部活に来んなや!体育館で二酸化炭素吐くなボケ!]
「それやと体育の授業もできひんよ」
[やかましいわ!これやから女なんか入れたなかってん!早よ出荷されてまえ!]
[あんま口汚い事言うてると応援が一人減るで]
[ああ!?]
「減らないよ。宮君がどんだけ口悪くても、バレーはずっとかっこええから」
[ちょ、そんな褒めんといてや〜]
[お前なあ……]
宮侑と尾白くんの三人で行われる夜の通話は、本来情報交換を名目としている。大耳さんはガラケーのため通話が難しく不参加だけど、「メールで要点を送ってくれたら良い」と言われた通りにしている。元より貴重なオフタイムに長時間通話をしたくなかったのかもしれない。実りある会話より雑談が多くなることを察していたのだろう。さすが大耳先輩。私たちの中でおそらく彼が一番賢明だ。
前述した通り、蓋を開ければ話の凡そが宮侑による純度100%の苦情吐き出し通話と化している。最初は(あのハイキュー!キャラ・宮侑が私に愚痴を垂れている…!)と真摯に聞いていたが、今ではスピーカーで聞き流しながら作業をするようになった。
そもそも言いたいことは正面切って言う男なので、あまり愚痴を吐き出すイメージなど無かったんだが。さすがにバレーへの影響も出ているし、部員の多くは洗脳されているしでストレスフルな状況。本来なら大声でやいやいする相手は[[rb:宮治 > 適任]]がいるものの、そんな彼も洗脳された一人のままだ。鬱憤の吐き出し口が私とアラン君しかいないもんね。仕方ないね。
愛香ちゃんが体育館に居座るようになって、部員に声をかけるタイミングもさらに減った。どうも監督やコーチも洗脳を受けているらしく、普段と変わらぬ様相でサボっている愛香ちゃんに接している。大人まで巻き込めるのは厄介だ。なにか人間の手には負えない大きな力が働いているようで、少しゾッとする。
インターハイのスタメン発表まであと一か月という時期に、愛香ちゃんの存在はかなりマズイ。早く部員に声をかけるタイミングを作らないと。そんな焦りが私の中にも滲んでいた。
朝練も滞りなく終わり(愛香ちゃんは黄色い声をあげて盛り上がるだけで、練習メニューはいつも通りこなしているのだ)、マネージャー室で手早く着替えていく。
「篠原さん、侑くんと何かあった?」
何かありまくりだよ……。
本来なら遠くから応援するだけの存在が、今や寝落ち通話(笑)で悪口パーリナイである。
愛香ちゃんの心配そうな表情を見ながら、宮侑の素晴らしい
「侑くん、篠原さんに酷い事言ってるの聞いちゃって。“ブスがいっちょ前に仕事できます感出すなや、邪魔やねん”って言ってたけど大丈夫……?」
確かに宮侑は作中屈指のノンデリキャラだが、流石に女子にブスなんてそんな事言わないだろう。きっと。そうであってくれ、頼む。でもそれ以外は割と言いそうである。そんな事ない!って言えないのが悔しいよ……。
きっと悪口の内容は愛香ちゃんが私に思ってる事なんやろな、と直感的に思った。私をマネージャーに誘った張本人がそれ言うのだいぶ無理あるからな。自分の中に溜まった鬱憤を他人の言葉と嘯いて出力するのは見過ごせない。といっても、だだの勘なので本当か定かではないが。
万が一、億が一、本当に言っていたとしても別にいい。私はハイキューのキャラがみんな大好きだ。例え相手が私を嫌っていようと、ノンデリ人格ポンコツ野郎だとしても、バレーしてる時は痺れるくらいかっこいい男、それが宮侑。
迷惑かけないから、大人になっても会場に足を運んで見に行くくらいはさせてほしい。みんなのプレーをずっと浴びてたい。それが私の活力になるから。
そんな私の思いとは裏腹に、愛香ちゃんは言い淀む私に都合のいい解釈をしたようだ。
「なんかあったら相談乗るからね!大事なマネージャー仲間やし!」
花が咲き乱れるほどの笑顔が眼前に映る。
それとは対照的に、身体の芯から冷めていくような、静かな怒りが私の中に満ちていく。表に出すまいと笑顔を作りながら、その裏側で慮る。
宮侑を孤立させた、その陰湿な手口を垣間見せたのだ。私以外にもこうして、宮侑が嫌われるように声をかけていたのだろう。性悪にも程がある。まだ未成熟な高校生なら、ましてや洗脳されてる状態なら、彼女の言葉を信じ込むのも無理ないだろう。でも“頭脳は大人”な私には通じない。
そもそも人の悪口を言いふらす人間が地雷である。心の中で仕舞っておけばいいものを。そんな私の脳裏に宮侑の大声が
───あの豚を絶対ドナドナしたる!
ドナドナは牛や。宮侑の愚痴もしまっておこう。
じゃあね、そう部屋を出る愛香ちゃんを見送って、私はケータイを取り出した。
[部員って何組に誰がおるか分かる範囲で教えてくれへん? 休み時間に声かけてみる]
別に、部活中やなくてもええやん。
宮侑と尾白くんのグループに連絡を入れる。休憩時間を駆使して多くの部員に声をかける。あと連絡するのはもう一人。早めに洗脳が解けるか試みたい人がいる。
[北さん、お疲れ様です。マネージャーの篠原です。ちょっと相談したいことがあるので、今日の昼休みにお時間頂けませんか?]