時に食は、心にも栄養を回す。
 宮治の口いっぱいに幸福が広がった。

 ひょんなことからマネージャーに入ったばかりの女子からおにぎりをもらった。そんな“ひょんなこと”があるのか、とは思うが。朝食を終えてから朝練と授業を二コマ挟んでいるお腹は正直である。
 手渡されたおにぎりの包みを捲ると、「今食べるの?」と女子は少し驚く様子を見せ、待ったの声がかかった。その前にこれ、と別添していたらしい海苔がもう片方の手に乗る。
 器用に海苔を下に敷いて、さあ今度こそはとおにぎりを口内に迎え入れる。
 
 程よく味付けされたご飯は、咀嚼するたびに米の旨みが溢れる。甘辛い海苔は口の中でパリパリと食感が心地いい。塩焼きされた鮭はまろやかな塩味えんみと油が混ざり合う。三者三様が一通り踊って、飲み込むのが惜しいほど、

「うま」

 美味いと感じた。
 もう一口、もう一口。食らいつくたびに視界が開けていくような、心がストンと軽くなるような、爽快な気分だ。ちりん、と鈴のような音が小さく脳に響く。
 おにぎりを食べ切るのにそう時間はかからず、両手が自由になって少し……いやかなり口惜しかった。

「おかわり」

 胃袋が続きを求めて喉元まで訴えたのだろう。たった四文字の言葉が自然と口からこぼれ落ちた。

 ───さすがにおかわりはないやろ。
 そして数秒経ってから自分の発言に気づき、思わず心の中でツッコミを入れる。差し入れにおかわりまで強請るとか無いわ〜という常識的な部分と、そもそもおかわりなど用意されてないだろうという、二つの気持ちが混ざり合った一言。
 一方、きょとんと瞬きを何度か落として、女子は吹っ切れたようにけらけらと笑う。
 ───女子に笑われてもうたわ。
 治は少しぎこちなく頭をかいた。

「梅干しは食べれる?」

 ひとしきり笑い終わった女子の言葉に飛びつく治の姿は、高校バレー界最強のツインズじゃない。食欲に正直な一男子高校生だった。
 

 

 ***



 
「そういうわけで、一勝一敗です……」
[北さん手強すぎるやろ……]
[あの北さんやしな]
[いや、治が戻っただけでもデカい! 篠原さんほんまありがとう]
「そう言ってもらえると恐縮です……」

 夜の作戦会議通話に新たなメンバー、宮治がログインした。
 定例報告のような形で淡々と報告をしているが、一敗の悔しさが今も心にスポンジのように染み込んでいる。正直に言うとこのスポンジをグッと握って、悔しさを搾り出したいのが本音。でも落ち着け、冷静になれ、建設的に話を進めろと獰猛な自分をいなす。
 とにかく、俯瞰しろ私。

[確かに水みたいなスポドリ昨日飲んだわ。スポーツの部分どこいってん思いながら飲んでたし]
[そういや俺も何回か水みたいなスポドリに当たったなぁ。篠原さんも初めてやしあんま気にせんようにしてたわ。俺らが頼み込んでマネしてもらってるし]
[あ? 俺は普通のスポドリやったぞ]
「私が作ったドリンクに“ハズレ”があるみたいやね」
[ほな俺らはロシアンドリンクに付き合わされてたわけか」
[いや、“ロシアン”やないやろ。少なくともあの豚は誰にドリンクを渡すかコントロールできるんや]
[侑は横から掻っ攫うから普通のスポドリやったってことな。エグいやり口やなぁ]
[北さんは部長やし、サムやアランくんはよう注目されてる選手や。自分売り込むなら“上”から攻めるやろ]
「……これからはちゃんと体育館まで届けるようにします」
 
 宮侑の言葉に小さく肩を落とす。
 おそらく水増しした薄いスポドリはあまり準備していなかったと思われる。全てを水増しする時間はさすがにないだろう。手渡しでお目当ての人物に“ハズレ”を渡して、私の印象操作を施していた。
 陰湿な悪意に触れるのは、いつだって慣れない。私はたった数日のことで心に引っ掻き傷を負っているというのに。宮侑は数週間、大事なバレーボールもままならない中耐えてきたのか。
 初めて私に声をかけた時、お守りを貸してくれと頼んだ時、きっと僅かな希望に縋っていたんだろう。今なら分かる。
 
「そういえば、どうして宮くんは皆から避けられてんの?」

 私がマネージャーとして潜入してる間、常々抱えていた疑問だ。宮侑に対して冷たい態度の部員がどうも多い。部員とやいやい言うてる姿など見かけず、双子の片割れである宮治くんとのかけ合いもない。
 どうも干されてるような空気感があったから、彼の愚痴には同情する部分があった。
 
[ああ、篠原さん知らんのか。ツムはあのマネが入った時結構キツイこと言うて泣かしてな。謝りもせん、後輩マネ相手によおキレる、毎日涙ながらに相談してくるマネージャーで部内の空気最悪やってん]
[しかも一回侑の流れ弾があのマネに当たってもてな。そっからはもっと最悪や]
「ああ……」

 あの宮侑だもの。確かに言いそうだ。
 しかし、これだけはハッキリと言える。宮侑は流れ弾で攻撃するつもりなど無かった。不幸な偶然だ。
 どれだけ嫌いな相手だからといって、バレーボールで人を傷つけるのはバレーへの冒涜だから。手が出てしまうことはあっても、ボールを向けることはないだろう。
 いや手も出すなよ。
 
 これで現状に至るまでのストーリーはある程度可視化された。
 きっと、最初はそんなつもりなかったんだろう。手探りな状態でマネージャーを頑張ろうとしたら、宮侑の地雷に踏み込んでしまい逆鱗に触れてしまった。原作に触れている私だから想像はつくものの、体験入部して間もない新入生には分かるはずがない。
 そんな宮侑への当てつけだろうか。愛香ちゃんは宮侑の攻撃性を利用して弱い立場を作り出し、邪魔者扱いされていると助けを求めだした。
 しかも私が来るまでしっかり仕事を果たす徹底ぶり。自分の落ち度を作らない、且つ宮侑を悪者に仕立てる材料になり得るのだ。手探りながら仕事を前向きに頑張るマネージャーが、宮侑に理不尽にキレられたら、そりゃ男子は当然助けるだろう。意図的に派閥を作り出し、自分を守ってもらうために部員が利用されている状態だ。
 今ではわざと地雷の上でタップダンスでも踊っているのだろう。仕事をサボるのも宮侑の地雷だと彼女はわかっている。そうして宮侑はイライラする、いつの間にやら洗脳された部員は宮侑にイライラする、そうして地獄絵図ができあがる。
 オタサーの姫状態の完成だ。いやこれオタサーの姫どころじゃないな。
 
[今思うと、あのマネが言うことは結構虚言も混じってたんやろな。まあ侑もこんな性格やし、あのマネがおると頭フワフワして何や言うてること全部信じてもうてん]
[ツムを悪者に仕立てて悲劇のヒロインしたかったんやろ。俺ですら引っかかるくらいやし、ほんまに洗脳されてるみたいやったわ]

 もはや部内政治をコントロールしたとも言える。
 宮侑という「共通の敵」を作り出し、さぞ結束力が生まれたことだろう。求心力を得てさぞ気持ちよかっただろう。
 しかしその結束力は、今まで築き上げてきた男子バレー部の団結力を壊すことで成り立っている。
 インターハイまであと一ヶ月。それまでに愛香ちゃんの作り上げたサークルを私がクラッシュしないといけない。みんなが胸を張ってコートに立つために、「後悔なんかない」って言い切れる試合ができるように。

[まあ侑もこれに懲りたら、あんま人のことボロカスに言うんやめときや]
[嫌や!ほんまのこと言うて何が悪いねん!]
[お前なあ……]

 そして本人もこの状態である。
 自分が蒔いた種で自滅したとはいえ、それでも、バレー部の結束を壊していいことにはならない。

 宮侑はバレー愛を拗らせているから、これからも地雷を踏むと顔や言動に出てしまうだろう。この拗らせてる感じも含めて宮侑だと思っているし、そんなこだわりを凝縮したプレーを見せてもらえるので、私にとってはモーマンタイだ。
 
[そもそもやけど、部員によって味変えてるんは嘘ちゃうか]

 尾白くんの言葉に、さっきまで騒がしかった双子の声がぴたりと止む。

[この前休んだやつのスポドリ一本多めにもらったけど、味変わらんかったし]
「個別に味変えてスポドリ作る時間なんてよう考えたら無いし、その可能性は大きいかも」
[なるほどなあ。表向き味変えてますぅ〜言うても、気づく機会はないわけや]
[まあ配分通りに作ったらスポドリなんて大体うまいしな]

 それもこれも、全て私と愛香ちゃんの働きに優劣をつけるためだろう。自分を評価してもらうために、他者を蹴落とすタイプは本当に厄介だ。
 それにしても、あの北さんが理不尽に本人わたしの意見を聞かず喝を入れたのか。大概正論パンチを放つ前に真偽を確認しているあの北さんが。逆にレアじゃないか? この経験は孫の代まで自慢できそうだ。なんてね。流石にやめとこう……

[次は誰に声かけるん?]
「角名くんにしよかな思てます」
[角名か……角名の心に響くもんって何や?]

 角名倫太郎。
 原作でもあまり深掘りされなかったミステリアスイケメン。彼のことを思い出せ。えーと。めっちゃ体幹よくて、コースの打ち分けが幅広い。月島くんも後ろに託すくらい、ブロックでは対応が難しい。そう考えると黒尾くんが何本か止めれる算段なの、すごいよなぁ。っていや違うバレーじゃなくて。

 やたらと写真を撮っていたような印象はある。けどそれ以外出てこない。あ、なんか北さんのくだりで「弱みがほしい」って言ってたし、誰かの弱みになるような写真とかいいかもしれない。

[角名っていえばすーぐパシャパシャしてるよな]
[角名の心が動くようなエゲツない写真送ればええんちゃう?]
「宮侑の変顔じゃ無理かなぁ……」
[しれっと俺を売んなや]

 そうしてみんなうんうん悩むも、角名くんの心に響く写真に思い当たる節もなく。応援の言葉で戻るかもしれないと言う情報を信じて銀島くんに変更することで報告会は幕を閉じた。

 大耳さんにもメールで連絡を入れ、凡そを伝えておく。すると暫くして返信があった。

 分かった。ありがとう。よろしく頼む。
 そんな簡素な一文を組み合わせて、いつも律儀に反応をくれる。そんな大耳さんのメールは今日も短く、しかし大きく様子の違う返答であった。

[角名の写真は俺に考えがある。口頭で伝えたいから電話番号を教えてくれ]

 えっ。と思わず二度見した後、迷わず電話番号を送信。程なくして着信音を鳴らすケータイを手に取り、大耳さんとの通話を始める。
 大耳さんの妙案は確かに一理あるし、試す価値があるものだった。
 宮侑の協力も必要だが、本人にとっては嫌々かもしれないが、バレーボールと天秤にかければ力を貸してくれるだろう。
 翌日の朝練で早速実行してみることを約束して、通話を切った。


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