それは私が洗脳を解く活動を始めた三日後のこと。部活が終わってもまだ居残り練習を続ける彼らに、私は焦点を当てた。理石くん含めバレー部の数人が、少しでも試合に出るチャンスを得るためにサーブ練習に励んでいる。そのことは部活の初日から気づいていたので、私は前日にある本を買った。

「テーピングの実験体になってもらえませんか」

 そう告げて頭を下げる。彼らに接触する適切な動機づけとして、これくらいしか思いつかなかった。
 本当はマネージャーとしてドリンクの一つでも届けたいのが本音だ。しかしそれでは「マネージャー始めたての先輩に気をつかわせてしまった」と一歩引かれてしまう可能性がある。そりゃ日向くんや影山くんなら真っ直ぐ受け取ってくれそうだけど、理石くんは考え込んでしまいそうな節があると思う。思いやりのつもりが相手を遠慮させてしまっては本末転倒。
 自分を高めるために居残りをするのだ、恩や施しを与えるのは逆手のような気がして。ならば私も同じ立場で接するのはどうだろう。そうして踏み込んだのがテーピングの世界だった。昨日母の三角筋を借りて練習に励み、持ち前の手先の器用さを信じて早速声をかけてみたのだ。

「あ、は、はい!大丈夫です!」
「ありがとう」

 目の前にいる居残り生徒は皆首を縦に振る。
 そうと決まれば話は早い。テキパキと本を開き、ボックスからテーピングを取り出した。理石くんの袖をたくし上げて、慎重にテーピングを貼り付けていく。
 もちろん、テーピングは間違った巻き方をすれば悪影響を及ぼす可能性もある。だから絶対に、変な巻き方になってはならない。

「これで左肩の調子どう?」
「……大丈夫です、むしろいい感じに引っ張られて気持ちいいっす」
「良かった」

 サーブの空打ちをしながら、肩の使い心地を確かめる。そんな理石くんの言葉にひとまず胸を撫で下ろした。

「これは怪我の予防にもなる巻き方やから。練習も大事やけど、身体痛めんようにね。応援してる」

 あかん、なんか後半言うてることオカンや。
 精神年齢差が大き過ぎてつい…!オカン要素が飛び出してしまった。ポケットの中にあるお守りを手に納めて、応援の言葉を言う。理石くんはつきものが落ちたようなスッキリとした表情で頷く。私なりにやれる事は果たせたようだ。
 それはそれとして、せっかく本を買ったのだ。テーピングを知る事はバレーの視点がより深くなりそうだし、これからも空き時間に読み続けていこう。

「じゃあ次は小作くん、いいかな」

 もう一本、サービスエースを決めるとしますか。
 


  ***


 
 ───俺が元に戻る時、鈴の音が聞こえたんだけど。

 私のお守りに入ってる鈴が元に戻るキッカケを与えているのではないか。その角名くんの証言には思い当たる節があった。尾白先輩にお守りを拾ってもらう時も鈴の音がしていたはず。
 スマホで情報共有した時も、元に戻った二人には思い当たる節があったらしい。どちらも口を揃えて、鈴の音が聞こえたと証言がとれた。
 その後隣のクラスの銀島くんに鈴の音を聞かせたところ、言葉をかけることなく覚醒。鈴を鳴らせば元に戻せるという確信を得た。二年二組にいるバレー部はこれで全員正気に戻ったわけだ。
 いやほんと、なんで北さんに正論パンチしに行ったんやろ。オェーイ!とハイタッチを交わす宮兄弟の隣で、私はすんと表情が抜け落ちたような真顔になる。いやいや、おかげで図らずも角名くんを戻した上、鈴がキーアイテムだと気づくに至ったのだ。北さんの反論パンチに左頬を差し出しただけの手柄はあった!

「じゃあなんや、鈴だけ借りて鳴らしたら良かったんか?」
「ツムが鈴だけ返すからややこしなったんかもな」
「しゃーないやん! プレーする時チリンチリン鳴ったら邪魔やろがい!」

 宮侑らしい言い分に思わず苦笑が漏れる。
 実際はフェルト生地のお守りに包まれているので、あまり音は漏れてこなかったりするのだが。
 しかし、鈴のが元に戻る引き金になるというなら、なおさら分からない。
 
「治も鈴聞いて戻ったんか?」
「いや、おにぎり食うて戻ったけど」
「おにぎり? なんで??」
「いや、えっと……まだ鈴にこんな効果あるって知らんくて……胃袋掴んだ方が効果あるかなって……」
「篠原って賢そうな顔して意外と脳筋タイプなん?」
「確かにそうかもな」

 銀島くんの指摘に、宮治がくつくつと笑う。私なりに少しでも良い方向へ転がるようにうんうん考えているけど、脳筋タイプなんだろうか。
 宮治くんがおにぎり食べてる目の前で鈴鳴らしてる光景があるとすれば、なんとも絵面がすごまじい。宗教の儀式かな?
 
 それにしても、だ。私が声をかけて元に戻した彼らに、鈴を鳴らした事は一度もない。お守りを片手で握りはしたが、わざわざ取り出して聞かせるようなことはしていない。

「せやな、でも鈴の音はなんか聞こえたで」
「そういうもんか? 難しくてよお分からんわ」
「まあな。俺も分からんけど、篠原がお守り持って行動したから今がある」
「ほらな!俺が鈴持ってても意味ないんや!」
「お前いつまで意地はっとんねん」

 どうも釈然としないが、実際のところ、鈴とお守りがセットであれば問題無いのかもしれない。
 宮治くんがそのことに触れず私の行動を肯定してくれたのは、「私がマネージャーになる必要は無かった」という可能性を可視化させない配慮かもしれない。まあ今更そんな事言っても仕方ないしね。こういうさりげない思いやりで他人を大事にする宮治くん、大好きだ……。
 それに、私たちは元に戻す方法を対照実験で探ってきたのだ。必要な可能性のあるものは全て準備した方がいい。今まで覚醒した部員には共通して私との接触がある。これは揺るぎない事実だ。

「鈴鳴らしてみんなを元に戻したいんやけど、まず声をかけるべきは北さんかな」

 落ち着いて話しているつもりが、声色に緊張が混じる。まだ私の中で、北さんに言われたことが消化できてないのだ。
 ───自分売り込むなら“上”から攻めるやろ。
 宮侑の言葉を反芻する。
 私も彼も、愛香ちゃんの陰湿な罠に堕ちてる身。何人か洗脳が解けたとは言え、兵数は圧倒的に愛香ちゃんが優勢だ。
 一日でも早く元のバレー部に戻すために動くなら、やはり“上”から攻めた方がいいだろう。といっても、愛香ちゃんに気づかれたら確実に妨害工作されてしまう。秘密裏に行動して形成逆転を狙うのが吉とみた。
 
「いや、もっと“上”やろ」
「……もっと?」
「顧問とコーチに試す」

 人差し指を掲げる宮侑の提案に思わず目を丸くした。部員の洗脳を解くことに注力していた私には盲点だった。そうだ、顧問やコーチの洗脳こそ早く解かなくてはならない。生徒だけの問題にとどめず、大人を巻き込んだ方がいい。

 そうと決まれば放課後、宮侑を引き連れて職員室の扉を叩いた。
 宮侑は掃除当番なので普段より遅れる、という言い分まで準備して来たらしい。正直部活より私との同行を優先したことに驚いた。部活に集中してほしい反面、この問題をより早く終わらせるために話がしたいのだろう。そう考えると案外長期的な目線で見れば、彼にとってはバレーボールのための選択だと言える。

「おー篠原やん。どないした、侑になんかされたか?」
「先生、話を聞く前から宮くんが悪いと決めつける言い方は良くないと思います」
「あ……そうやな、悪い悪い。そんでどうしたん?」

 顧問の第一声に反論パンチをかましてしまった。めんどくさい生徒って思われたかなぁ。
 相手が高校生なら「されてないよ」の一言で穏便に流したかもしれない。しかし目の前に立つのはれっきとした大人だ。まだ未成年だからと遠慮する必要などないし、言いたい事ははっきり言わせてもらう。
 先生は冗談のつもりでも、現状の不穏なバレー部を思えばその発言は悪手だろう。冗談はバレー部が元に戻ってから、適切な距離と温度感でお願いします。

「ちょっと失礼します」

 ブレザーのポケットにあるお守りから鈴を取り出して、軽く揺らす。とにかく説明は後回し。例の写真をスマホ越しに先生へ見せ、鈴を振った。角名くんが元に戻ったのも、私と北さんが会う現場を目撃したから。鈴を鳴らすだけでも効くかもしれないが、視覚的効果もある方がより可能性が高まるような気がした。
 そもそも『鈴を鳴らすだけで元に戻る』という効果を確認できた被験者は銀島くんただ一人。エビデンスなど無いも同然。ならば可能性が高まる手段を優先するだろう。

 隣にいる宮侑も固唾を飲んで顧問の様子を見守る。
 鼓膜が鈴を認識して、感情の色が一気に抜け落ちた表情を見せた。口元を片手で覆い、まだ気候が穏やかな季節だというのに額はうっすらと汗がにじむ。

「──あれ。自分、なんか変やった、?」
「目ぇ覚ましたか!」
「先生。今のバレー部の状況、わかりますか?」

 宮侑のガッツポーズに一瞥を投げた先生は、脳に酸素を回すような深い呼吸を繰り返す。

「なんでこんな……ありえへん……」

 頭の中の記憶を引っ張り出しては目の前に並べ、頭を抱え出す。そんな時間も長くは続かず、すぐに「いやそれよりこれからどう立て直すかや」と顔を上げた。

「侑、篠原。バレー部の空気を早よ入れ替えなあかん。打開策があるなら聞かせてくれ」
これを部員全員の前で鳴らしたら治るかもしれん」
写真これもあると安牌かもしれません」
「ほな今すぐその写真、人数分現像してくれへんか。部員には適当に遅れる事伝えとくから」
「わ、分かりました」
「とりあえず現像終わったら俺に連絡してくれ。侑はいつも通りでええ」

 顧問の先生はメモ帳に何やら電話番号をつらつらと書き、財布から抜き取った五千円を添えて私に託した。
 手際良く話を急ピッチで進める顧問に、私も、きっと宮侑も、未だかつてない高揚感が胸中を走る。この蔓延したオタサーの姫状態に風穴を開け、終止符を打つ機会が訪れようとしている。
 
「今日中にさっさと終わらせるで」

 顧問の力強い言葉に、私たちは励まされる思いで二手に分かれた。


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