09



「!?、痛ッ」

凄まじい痛みと熱が右目を走って、その場にうずくまった。右目の眼球を鷲掴まれるような感覚に息が詰まる。それと同時に、訪れたのは右目の、闇。いつも見える黒い靄なんて可愛く思えるほど、完璧な闇だった。こんなもの経験したことがない。

「斉藤さん?!」

パニックになる思考の中、志摩の声がすぐ横で聞こえる。唯一見える左目が、床に手をついた志摩の手を捉えて、縋るようにそれを握った。何が何だか全くわからなくて、こわくて、助けを求めたくて。顔を上げ、口を開いた。

「『クワセロ』」
「…斉藤さん…?」

口をついて出たのは、いつも頭の中に響くあの声で。違う、言いたいのはこんな言葉じゃない。わたしの意志とは全く別のところでヤツが動く。

「『タベタイ、』、やめて、違う、違うの、『アイツヲ食ッタラ次ハ』やめて…!」

わたしの声とアイツの声が交互に口をついて出てきて頭がおかしくなりそうだった。左目の視界が涙でぼやけて、志摩の手を離しそうになると、逆にわたしの手が強く握られて、ハッとした。

「斉藤さん、少しキツいかもしらんけど、耐えてや」

小声でそう言われて、下を向いていたわたしを覗き込むように志摩の顔が目の前に迫った。
闇に包まれていたはずの右目が、ゆらゆらと揺れる炎を捉えた。闇の中なのになぜかハッキリと見える、黒い炎。それが見えた瞬間、右目の奥が燃え上がった。

「ッ!!」

言葉にならない悲鳴が飛び出して、その衝撃に悶えて蹲る。さっき感じた熱なんて比ではない。右目の奥を焼かれている。そんな表現がピッタリだ。
志摩は離れるとわたしの背中をゆっくりとさすった。

「ゆっくり息、まだ倒れたらアカンえ、多分、お、おそらく、もう大丈夫やから…子猫さん!終わった?!」
「ちょ、斉藤さん!?ど、どないなったん…!」

朦朧とした意識のなか、背中をさすってくれていた手が一瞬離れて、すぐに震えた手にさすられて、志摩に呼ばれた三輪に代わったことを察した。志摩は三輪に何やら二、三話すと、もうそばまで来てしまっていた屍に向かっていったようだった。「まだ倒れたらアカン」志摩にそう言われたのを思い出して、飛びそうになる意識をなんとか繋ぎ止めていた。わたしも今、『自分』が倒れたらどうなるか、なんて考えなくても分かった。

「ご、ごめん、三輪、くん」
「ぼ、僕は、大丈夫やから…!もう少し辛抱したって…!」

わたしを見るやら、迫る屍を見るやら、オロオロとする三輪に申し訳なさを感じなくもないが、わたしは正直、屍なんてそれどころではない。右目の焼かれるような熱はだいぶ引いたけれど、まだチリチリと奥で炎が燃えているように感じた。気を抜いたら、痛みでフッと飛んでしまいそうだ。
唇を噛み締めながら耐えていると、パッと周囲が明るくなってその眩しさに左目を細める。それとほぼ同時だった。

「'その録すところの書を載するに 耐えざらん'!」

勝呂の詠唱が屍に効いたようで、その体が霧散した。そのあとすぐに奥村も無事に戻ってきて、室内にはにわかにいつもの喧騒が戻ってきた。
近くに寄ってくる足音に右目を抑えながら少しだけ顔を上げた。シャン、と、すぐそばで錫杖の音がして、志摩が目線を合わせるようにしゃがみ込んでいた。

「斉藤さん、ちゃんと生きとるね!?」
「…うん」
「し、志摩さん、斉藤さん、どないしはったん?僕ら詠唱に夢中で何がなんだか…」

三輪の言葉を聞いて、おそらく先ほどの自分の異変には誰にも気づかれていないはず、と察して安心した。それを知ってか知らずか「屍の体液、顔に浴びてしもたかもしれんねん」と、よく回る口だなあと思わなくもなかったけど、今はその機転に感謝した。志摩はそのあともまともに喋れないわたしに代わってのらりくらりと、当たり障りないように交わしていってくれた。
そうこうしてると、突如、奥村の頭上からフェレス卿が現れてわたしも、みんなも驚きに口が開いた。

「ハ〜イ☆訓練生の皆サン、大変お疲れサマでした〜」

飄々とした物言いから語られたのは、今回の一件、ひいては合宿からすべてわたしたち訓練生が候補生にあがるための試験を兼ねていたこと。いわゆる抜き打ちテストというところか。やりすぎじゃない?と心の中でツッコミをするとともに、確実にわたしは落ちたな、というのを確信した。何も、何もできやしなかったのだ。

「私が合否を最終決定します。明日の発表を楽しみにしていてくださいネ☆……それと、そこの訓練生、斉藤サン」
「!」
「貴女はこちらへ」
「…はい」

講師の先生たちが見ていた、ならこのフェレス卿だって見ていないわけがない。呼ばれた理由はわかりきっていた。頷いて立ち上がると嫌というほどみんなの視線を浴びて、なぜか、とてもじゃないけど顔が上げられなかった。

「それではごきげんよう☆」

フェレス卿の近くにまで寄ると、昨日の夜みたいにステッキを一振りしてわたしの周りには煙がのぼる。
煙越しに、志摩が心配そうな顔をしているのが見えて、また少し右目の奥が痛んだ。


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