10
「さあ、遠慮は要りませんよ。好きなだけ食べるといい」
煙が晴れるとどこかの豪勢な一室にいて、学園のどこか一室まで飛んできたのだと思った。部屋に着くなりフェレス卿は大きなテーブルに向かってステッキをポンポン振る、そうすると、テーブルの上にはケーキ、ビスケット、フルーツ、色とりどりの食べ物が現れた。普通の状態だったなら、こんな夢みたいな状況に喜んだのだろうけど。もう、限界だった。
みんなの前では目のことをバレるのが怖い気持ちが勝っていたのか、なんとか立っていた足が、ガクンと崩れ落ちた。うずくまって、小さくうめき声を漏らしながら頭を床に打ち付けた。痛くて、熱くて、そうでもしないと、正気を保っていられなかったのだ。
「ふむ、やはり完全に起きたか」
すぐそばにフェレス卿の足音がして、熱い息を吐き出しながら顔を上げるとバチリと目があって、途端、また身体が動かなくなった。
「久しぶりだな、アミー」
「!」
悪魔の名前を、呼んだ。アミー。それがわたしの中のアイツの名前。
フェレス卿に呼ばれる声に応えるように、アイツが嗤う。
「『マダ人間ト仲良クシテルノカ』」
「それはお前もだろう?」
「『一緒ニスルナ。俺ハ食ウタメ二ヤッテル。モウコイツモイイ頃合イダ』」
「王に許可は取ったのか?」
「『俺ノ契約者ダ、俺ノ獲物ダ。王ハ関係ナイ』」
わたしの喉から聞こえるのはまたアイツの声で、自分が何なのかわからない衝動に襲われた。でも、このままなのが悔しくて口を引き結んで前を見据える。フェレス卿は驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「殺してください。コイツも一緒に。殺せるでしょう!あなたなら」
大丈夫。まだわたしの声は、出る。
「おお、ここで持ち直しますか。これは、なかなか」
「…まだ、まだ間に合うの!はやく…!早くしなきゃ、」
きっと、わたしの右目は真っ黒だ。だってもう、何も見えないのだ。でも、まだ左目はちゃんと目の前のフェレス卿を、この世界を、捉えていた。わたしの声が、わたしであるうちに。
この目の色を、失わないうちに。
『諦めないで』
お母さんとの約束は守ることができないけれど。ちっぽけなわたしでも守りたかった、この色を。守れるならば。
「これはまるで、お母様にそっくりだ。…ですが、死なせやしませんよ、」
「、なんで」
「貴女が穢れた血の末裔だからですよ。そして、切り札」
「!」
「、になり得るかも、しれない」
歌うようにそう言うとフェレス卿は突然、わたしの顎を強く掴んできた。ミシと軋むほど強く掴まれて思わず眉間に皺がよる。そして顎を掴んだまま、ジッと右目を凝視していた。
「この炎は志摩クンですね?彼の力ではこれが限界ではあったと思いますが、まあ無茶をする」
「ッ〜!」
「穢れた血を呪いなさい。そうして悪魔に頭を垂れなさい。貴女はそうしなくてはいけない血が流れている。血に抗いなさい。その時、頭を垂れるのは、貴女でしょうか?」
呪文のように、呪詛のように。フェレス卿の言葉が耳に流れ込んでくる。頭がフワフワと足がついていないような感覚だった。覚醒してない頭なのに、右目が次第に明るさを、光を取り戻し始めた。
「まだ起きるのが早かったな。眠れ、アミー」
沈む意識の中、頭の中でアイツの呪うような呻き声が聞こえた。
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