12 間話



「明日の発表を楽しみにしていてくださいネ☆……それと、そこの訓練生、斉藤サン。貴女は、こちらへ」

フェレス卿の呼びかけに隣で蹲っていた彼女、斉藤さんはピクリと反応した。自らの手で顔を半分隠していたから表情は窺えなかったが、少し間を空けて返事と共に頷いた。立ち上がった彼女は足取りがずいぶん重そうで、辛そうだった。

「それでは、ごきげんよう☆」

フェレス卿が意気揚々とステッキを振る間際。
彼女と目が合った。隠している右目は見えなかったが、翡翠の左目と目が合う。先ほどまで涙で濡れていた翡翠と、闇のような黒い右目を思い出す。
そう思った途端、フェレス卿と斉藤さんは煙と共に消えた。
自分ができるであろうことはやったはず(というか、夜魔徳クンが教えてくれたことをやっただけだが)。フェレス卿が彼女を見ればきっとすぐに対処できるだろう。
『お母さん…!』
縋るような言葉、縋るように掴まれた腕は痛いほど力強く、しかし震えていた。
思わず、頭を掻いて溜め息を吐く。ただ『見られた』『見てしまった』それだけの関係だったはずなのに。

「…難儀やね。君も、俺も」

煙と共に消えた彼女が、せめて、何事もないことを祈った。





店内の喧騒を縫って店の外でベンチに座るフェレス卿に向かう。雪男がその隣へ立つと、雪男へは目を向けずに手に持っていた団扇を仰いだ。

「ネイガウス先生の件は申し訳ありませんでした」

セミの声、店先に飾られた風鈴の音、店内で騒ぐ生徒たちの喧騒。紛れるように紡がれたフェレス卿の謝罪は、形だけと思えるようなものだった。

「まさか先生が私情に走るとは思っていなかったものですから。今後はこのような事はないようにしますよ」

いつもの軽薄な笑みと共に続いた言葉は、とても信用できるものではなかったけれど。「宜しくお願いします」。雪男には、当たり障りない言葉を返すしかなかった。
「ああ、それと」。思い出したように仰いでいた団扇をパシリ、と掌に当てるとフェレス卿は雪男を横目で見やる。

「斉藤チカサン、彼女、よぉく見ておいてください」
「え?」

雪男は、何時間か前に電話をした彼女を思い浮かべた。
教師という立場である程度、塾生のプロフィールは知っていた。今年度の塾生は皆、それこそ祓魔師、悪魔に何かしら関わりがある生徒が多かった。そもそも祓魔師を目指す塾、なのだから一般的にはそうであるはずなのだ。つい先日辞めてしまった朴さんは、珍しいタイプだった。でも、やっぱり辞めてしまった。
彼女もどちらかと言うとそうだった。
彼女のプロフィールはごく普通であった。祖父に祓魔師だった経歴があるようだが、育ての親である叔母にあたる女性は一般人だった。
ただ、『両親が居ない』。
特筆すべきは其処くらいだ。4歳くらいの時に両親が事故で他界している。だが、今のご時世そんな家庭はゴマンといるだろうし、雪男自身、両親はもう居ない。もしかしたら、自分と同じように、そこに祓魔師を目指す由縁があるのかもしれないが、どうしても彼女がこちらの世界に興味があるように思えなかったのだ。
授業態度は、真面目だ。成績も悪くない。手騎士を志望していたが、才能が見られたとも聞いた。でも、彼女はいつも、悪魔に怯えているように見えた。
先日の候補生認定試験終わりに彼女だけフェレス卿に連れて行かれたのには、少し疑問には思っていたけれど。

「注意したのでしばらくは大丈夫だと思いますが、アレは相当じゃじゃ馬なのでね」
「…?、彼女、何かしたんですか?」
「貴方のお兄さんとも相性が悪い」
「兄さんと?」
「お願いしますよ、奥村先生。爆発させたくないでしょう?」
「!?それは、」

あまりにも物騒な物言いに、溜まらず口を開こうとすると店内からより一層の喧騒が聞こえて振り返る。そこには、件の斉藤さんが店に入ってくるところで、兄さんを筆頭に皆が彼女を迎え入れている。

「先生ェ、ラムネでええですかぁ?」
「…はい、じゃあラムネで」

斉藤さんの隣に立っていた志摩くんにそう呼びかけられてしまい、仕方なく店内へと戻った。
しえみさんの隣に座って、少しぎこちない笑みを浮かべながらも皆と話す彼女は、やはり特段、怪しい点は見えない。
『爆発させたくないでしょう?』
フェレス卿の言葉が蘇る。爆発?それは、彼女が?

「奥村先生?」

呼びかけられてハッとすると、斉藤さんが不思議そうな表情でこちらを見上げていた。隣にいる志摩くんも「どうしました?」と首を傾げていた。

「い、いえ、なんでもありません。あ、もんじゃ、そろそろいいんじゃないですか?」
「お、ホンマや。うっまそー!いただきまーす!」

目の前で繰り広げられる楽しい喧騒とは真逆に、突如自分の前に積み上げられた問題たちに人知れず、雪男はため息を呑み込むのだった。


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