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「こ、これがわたしの初任務、ですか?」

目の前に広がるのはつい最近見たお菓子やフルーツが並ぶテーブル。その奥に座って、美味しそうにケーキを頬張っているのもつい最近見ている顔だ。

「ええ、まあ座ってください」

フェレス卿が指を鳴らすと目の前に、同じケーキが現れた。「なんならスイーツもどうぞ?」と横目で促されて、「いや、」と遠慮がちに断りながらとりあえず椅子に腰掛ける。
全く訳が分からなかった。
この土日、学校では休日にあたるが、晴れて候補生となった祓魔塾生はそれぞれ初任務に就けるようになってそれぞれに招集がかかっている。休み前の授業で、奥村先生から集合場所について連絡がされていた(奥村兄だけ任務無しでそれはもうめちゃくちゃに怒っていた)。
『斉藤さんはこの教室に集合です』
わたしが奥村先生から伝えられた集合場所はなんと教室だった。皆とは違う集合場所に少し不安になったけど、自分がまだ候補生という立場である事は分かっていたし、雑務なんかをやらされるのだろうと、そう思っていた。
しかし、当日。いつものように塾の鍵を使ってドアを開くと、そこにはフェレス卿が居たのだ。
『さあ、初任務ですよ。お茶会でもしますかね』
そんな事まで言い出すものだから。



「形はなんでも良いのですがね。形を重んじるものでしょう、人間というのは」

ケーキを食べ終えたフェレス卿が紅茶をカップに注ぎながら、こちらを見る。曖昧に返事だけをした。なんて居づらい空間だ。

「今日は貴女とお話がしたい、というかそろそろ知っておいて頂かないといけない段階だ」
「何をですか」
「貴女の血にまつわる、ソレについて」

息を呑み込んだ。フェレス卿が『ソレ』と言って指差したのはわたしの右目。
アミー、のことだ。
思わず身を乗り出したが、何を言ったらいいか、何を聞けばいいか。開いた口からなかなか言葉が出ない。そんなわたしの様子を見てフェレス卿は「慌てないで座りなさい」と、笑みを浮かべた。早鐘を打つ心臓を押さえながら、大人しく椅子に座り直す。

初めて、なのだ。お母さんのことやアミーのことを聞けるのは。
叔母は、お母さんについてどんな人かというのは知っていたけど、悪魔に関わることについては何も知らなかった。お爺ちゃんは何か知っていたようだけど、頑なに教えてくれないまま、この世を去った。
『忘れなさい、忘れるべきなんだ』
わたしがお母さんについて何かを聞くたびに、お爺ちゃんはずっとそう言っていた。その顔があまりにも辛そうだったから。わたしは、お母さんについていつしか聞くのを辞めたのだ。
でも、忘れる事なんてできなかった。
お爺ちゃんが亡くなってから、叔母さんから祓魔塾の入塾を薦められた。わたしに良くしてくれていた叔母さんだったけれど、わたしがお化けを見たなどと言うと露骨に嫌な顔をしていた。わたしの存在は厄介、だったのだろう。
わたしには、それはチャンスだった。
アイツへ辿り着く、この右目を守る、最後の道だと思った。
気はもちろん進まない、でも、
諦める事はできなかったから。

「お母様が亡くなってからまさか叔母様が匿っていたとは驚きましたが、叔母様も、お爺様も教えてくれなかったでしょう?」
「…ええ、何も」
「叔母様は一般人なので知りもしませんが、お爺様はよぉくご存知だったはずですがね」
「…忘れるべきだ、祖父はいつもそう言っていました」
「ハハハ!それはそうでしょう、忘れたいのはお爺様だったはずだ。ご自分の奥様と娘である貴女のお母様まで亡くしたのは、全てその血が由縁だったのですから」
「…血、ですか?」

フェレス卿は指を一つ鳴らした。すると、フェレス卿の頭上にスケッチブックが現れた。表紙が勝手に捲れて、白いページに次々に絵が描かれる。子供向けの絵本のような絵柄で描かれたのは、女性が祈りを捧げている絵だった。

「今、貴女方が生きている物質界(アッシャー)、そして悪魔が棲む虚無界(ゲヘナ)。虚無界に棲む悪魔がこちらに干渉するためにはこちらの物質に憑依せねば、長く形を保つことができません。授業でやりましたね?」
「はい…」
「アミーも、そうだった」
「ッ…」
「祓魔師も居ないずっと昔、人間が神に祈りを捧げ、平穏を願っていたような時代です。物質界に足を踏み入れたアミーは、こちらの世界では自分を長く留まらせることが出来ない事を知った。そして、ある女性に目をつけました」

スケッチブックの祈りを捧げる女性の向かいに、黒い靄が描かれる。その靄がアミーだと言うのは言われなくてもわかる事だった。

「女性はある村を守る巫女の役割を担っていました。悪魔による村に降りかかる厄災に人間は、対処法を知らなかった。祈れば救われる。それだけしか知りませんでした」
「女性もそうでした。そんな女性にアミーは寄り添い、甘言を囁いた。『俺が助けてやろう。契約を結べば村を守ってやろう』と」
「女性はそれが、唯一の救いだった」
「女性は、アミーと契約を結び、アミーは物質世界での体を手に入れた」

流れるようなフェレス卿の言葉と共に、スケッチブックのページが捲られると、女性と黒い靄が一体となっていた。

「これはほんの序章です、さあ、知りなさい。
脈々と受け継がれた貴女に流れる、穢れた血の呪われた物語を」

また一枚、ページが捲られた。


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