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放課を告げるチャイムと共に、大きく伸びをする。騒がしくなり始める教室を一瞥して、机の上のものに手を伸ばす。しかし、筆箱に伸ばした掌は、モノを掴まずに空を掴んだ。

「…」

今日、一体何回目だ。零れたため息と共に、眼帯のつけられた右目を抑えた。右目を覆うのは、先日フェレス卿から貰った黒い眼帯だ。きちんと言いつけを守って肌身離さず、就寝や支度の時以外はなるべくつけるようにしている。クラスメイトからはだいぶ驚かれたが、「物もらいでさ」と言えば大方は納得してくれた(この言い訳がいつまで保つか、は今は考えたくない)。
眼帯の着け心地は正直違和感しかないし、常に片目が見えない状態というのは思った以上に、日常に不便をもたらした。慣れていないだけというのもあるけれど、距離感や死角への恐怖。まだつけ始めて短い時間だけど、身に沁みて感じた。
でも、黒い靄が見えないというのは思いの外、わたしの心に少しの平穏を与えた。暗い、というのは怖いものであったけど、アミーの『闇』とはやはり、違う。
自分の左眼、翡翠色の目だけで見る世界は、綺麗だった。「今日はどこ寄る?」「あそこのお店が」そんな会話をしながら横を通り過ぎていくクラスメイトを見て、この視界がきっと彼女たちの視界なのだろう、だなんて思ってしまう。
笑いながら走り去って行くその後ろ姿と、思考と。両方から目を背けて、一度、掴み損ねた筆箱を今度はきちんと掴みなおして、ほかのものもバッグに仕舞い込んだ。今日はこの後、候補生として任務の手伝いだ。メッフィーランド前に集合だから一度寮に帰ってから荷物を置いてから行かなければならない。
全ての荷物を片付けて、鞄を手に持つ。話しかけられたクラスメイトに手を振り、教室の外に出てから、廊下の騒がしさに気付いた。隣のクラスの前で小さな人だかりが出来ている。男子も、女子も、足を止めて何かを見ているようだ。
いかんせん、その集まりの横を通らねば昇降口には行けないので、そっと横を通る。まあでもわたしも人間で。気になってしまい、横目で輪の中心を盗み見た。

「えっ!」

思わず、大きな声が出てしまい、人だかりもその中心に居た人物も、みんながこっちを向いた。当然、バチリと目があって、その人物もわたしと同じように「あ!」と声を上げた。

「斉藤さん…!」
「ちょ、ちょ、す、すいません、通して……な、何してんの…杜山さん…」

誰も彼もが制服を見に纏っている廊下で、可愛らしいパステルの着物に全身を包んだ金髪少女、杜山さんはあまりにも目立っていた。その異様さにわたしが関わるか躊躇うより先に、わたしを呼ぶ声と表情があまりにも困っていたから。気づけば人の群れをかき分けて中心にいる杜山さんの前まで出てしまった。
わたしが顔を覗き込むと、あからさまに安堵したという顔で笑うから、つられてわたしも笑ってしまいそうだ。

「あ、あれ?斉藤さん、目、どうしたの!?」
「あー…ちょっと調子悪いの。それより、どうしたの?」
「あ、あのね、神木さん探してて」
「神木さん?ああ、そういえば隣のクラスだったっけ…呼ぼうか?」
「えっ、えと、」
「いいよ、呼んできてあげる。端の方で待ってて…ちょっと、道空けてください」

何で神木さんを探しにわざわざ学校にまで顔を出したかは分からないけど、これから後で会うにも関わらずそれでも会う用事があるんだろう。にしても、いつの間に仲良くなったんだ。ついこの間まで嫌な関係に見えたのに。そう思いながら人の輪を声をかけつつ、かき分けると、ちょうど目の前の人の群れが分かれた。

「か、神木さん。に、朴さんも…お、お久しぶりです」
「は?」
「斉藤さん…?ひ、久しぶり、です」

分かれた先にちょうど神木さんと朴さんが居て、思わず挨拶してしまった。神木さんは訝しげな顔をしたけど、朴さんは驚いた顔をしながらも挨拶を返してくれた。「ていうか、何この人だかり」と、神木さんがこぼしたので、本来の目的を思い出す。

「杜山さんが神木さんを探してるよ」
「え?杜山ってあの杜山しえみ?」
「そう、塾の」

神木さんと朴さんを連れて人の波を逆流する。杜山さんは端の方に移動させたけどまだ人の目は散っていなくて、ソワソワとしていた。後ろから神木さんの「げ。」という声が聞こえると、杜山さんがこちらに気付いて破顔した。そのままぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきた。

「神木さん…!朴さんも、久しぶり…!」
「杜山さん久しぶり!ど、どうしたの、学校まで…」
「あ、あのね、これ!」

朴さんにそう聞かれて、杜山さんが胸に抱えていた白い袋を前に差し出した。中は見えないけど、そんな小さくないものに見えた。

「着物じゃ動きづらいから、理事長に制服支給してもらったの」
「へー!うちの?」
「そう!正十字学園のを特別に!…で、でも、わたしお洋服の着方、わからなくて」
「「「え?」」」

ぴたりと三人の声がハモった。
洋服の着方を知らない?本当に?
そう言いそうになったけど、徐々に納得をした。きっと横の二人もそうだろう。思えば、初めて見たその日から杜山さんはいつも着物だった。それに加えて彼女の世間知らずさ。彼女とそれほど多く関わってきたわけではないけれど、授業中でも多く感じていた。良いところのお嬢様なのかなあと思っていたけどまさか洋服の着方さえ分からないとは。

「か、神木さんに教えてもらおうと思って」
「ハァ!?」

隣に居た神木さんが破裂するような大きな声を出した。チラッと見るとこれでもかと眉間にシワを寄せている。

「いいねえ!出雲ちゃん着方教えてあげようよ!」
「ち、ちょっと、朴…」
「わたしもこの後時間あるからお手伝いできるよ」
「ぱ、朴さん…!」

ニコニコと人の良い笑みを浮かべた朴さんがそう言えば、杜山さんはキラキラとした笑みを浮かべたし、神木さんもため息を吐きながらもう反論する気配はない。わたしもホッと一安心だ。

「解決したようで何より。じゃあ、また後でね」
「ちょっと!」

手を挙げて、踵を返した途端、グイと後ろに引っ張られた。小さな悲鳴を上げて振り返ると、神木さんがわたしの鞄を掴んでいた。

「アンタも一緒に来なさいよ!」
「…え?い、いや、定員いっぱいそうですし?」
「ううん!斉藤さんも、あの、よかったらお願いします…!」

杜山さんにそう言われて頭を下げられてしまった。未だ、野次馬していた周囲がザワリとどよめき立つ。「アイツ頭下げさせてるぞ」「ど、どういう関係」「てかアイツも眼帯してない…?」耳をすませなくても聞こえてくる囁きに、慌てて杜山さんを覗き込んだ。

「か、顔あげて…!やるやる、一緒に行くから。とりあえずさ、場所、移動しない?」

苦笑と共に昇降口への道を指させば、三人は揃って頷いた。


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