01 祓魔塾篇



「ふざけんな!」

大きな怒号が教室に響いて、自分に言われたわけではないのにチカは体をビクつかせてしまった。
一番前の席に座っていた男子生徒と、今しがた挨拶を終えたばかりの先生がなにやら言い争っている。
まばらに空いた席、両の手で足りるほどしかいない塾生、そして教卓前で言い争う生徒と先生。『こちらの』新学期も始まったばかりだというのに。
一番後ろの席で全てを見ていたが不安ばかりが大きくなった。
やっぱりこんなところ来ない方が良かったのではないか。
教卓前の止まる気配のない喧騒に、隠しきれなかったため息が漏れ出た。オマケに、チラチラと視界に黒い靄までもが見え始めた。あーもう。力任せに瞼を閉じた瞬間。
ガチャン!
何かが割れた音、漂う異臭、大きな破壊音。反射で目を開くと、もう黒い靄は見えなかったが、代わりに、といっては代わりにもならない、同じくらい見えたくないアレがそこにいた。

「悪魔!そこ!」

前方に座っていた女生徒が、わたしにも見えているアレを指差しながらそう叫んだ。
アレ、すなわち悪魔。
本来、人間が見えてはいけないもの。特定の者たちだけが見えるもの。
見えるんだ。
わたしは悪魔が自分のほかの人間にも見えていることに少しだけホッとしていた。
『でたよ、虚言癖め』
『かまって欲しいのはわかるけど悪戯はほどほどにしないと』
『うそつき』
頭に浮かんできた昔の思い出がじわじわと脳内を埋め尽くす。
仕方ないんだって。しょうがないんだって。
『ごめんね、チカ。でも諦めないで』

「斉藤さん!」

先生に名前呼ばれ、ハッとして急いで立ち上がる。いつの間にか、わたし以外の生徒はみんな外に出ていて、慌てて私が最後に外へ出ると背後でとびきり大きな音を立て、扉が閉まった。振り向けば、「話は終わってねー!」と、さっき怒鳴っていた男子生徒の声が聞こえて、先生も出てきていない。執念深い。少し呆れ交じりに扉を離れて廊下の壁に背をつけた。

「こんにちは」

瞬間、目の前がピンクでいっぱいになって驚いて顔を退け反らせると、そのピンクがようやく人の頭だとわかった。前の方に座っていた男子生徒だ。ピンクの頭なんて初めて見たから、よく覚えてる。ニコニコと笑みを浮かべているその男子生徒に遠慮がちに頭を下げた。

「驚いてしもた?いやぁ驚かそ気はなかったんですえ、斉藤さん、堪忍ね」
「…いや、別に大丈夫。な、名前よく分かったね」
「さっき先生が呼んではりましたやん〜?」
「あ…そ、そう、」

なんだこいつ。正直、そう思った。し、顔にも出ていたのだろうに、その男子生徒は、「僕、志摩廉造いいます」とニコニコと笑った。

「志摩おまえもか!人様に迷惑かけんなや!」

突然、飛んできた怒声にびくりと肩が上がる。声の方を見れば、思わずヒッと声が出た。こちら(というか視線の先は志摩だけど)を睨んでいたのは、もう怖いを体現したような男子生徒だった。顔はものすごく怖いし、耳はピアスだらけだし、極め付けには、オールバックにした髪の毛は、真ん中部分が金髪だ。
ヤンキーだ。いや、ヤクザかもしれない。
即座にそう判断して、居住まいを正し、謝った。

「す、すみませんでした」
「あ?、い、いや、お前に怒鳴ったんちゃう…」
「坊、女の子にやめてやりぃなー」
「お前を怒鳴ったんじゃボケェ!」

ぼ、ぼん。
志摩が呼んだ名前にさらに顔を強張るのが分かる。
ヤクザでファイナルアンサーかもしれない。
怒鳴られた志摩が隣で突然、思い切り噴き出した。

「坊のこと怖がる子ぉなんて今に始まったことやないけど、こないリアクション久々に見たわぁ!」
「志摩はもうだぁっとれや!」

またしても言い合いになっていた二人から少しだけ距離を取ると、「堪忍です」と、二人のそばにいた坊主頭の小さな男子生徒が手を合わせていた。

「二人ともいつもこんな感じで…、けど二人とも悪いお人じゃないんですよ」
「は、はい…」

まさに菩薩のごとく、微笑んだその男子生徒に咄嗟に返事をしてしまった。私の返事を聞くとその男子生徒は、「僕、三輪子猫丸です。よろしゅうお願いします」と一礼して、まだ言い争ってる志摩とヤクザを止めに行っていた。
それを呆然と見送ったが、
ゾワリ。
突然とてつもない寒気を感じて、未だ中で騒がしい教室に顔を向けた。

「なに、」

こわい。ツヨイ。ナニカ。
教室の中に言い知れない恐怖を感じた。それと同時に自分の中にも。ざわざわと、体の中の『アイツ』が騒いでいる。
『クエル。オレデモクエル!アレナラクッテシマエルゾ!』
ガンガンと頭の中に響く声に眉根を寄せ、ハッとした。また、視界に黒い靄がかかり始めている。咄嗟に目の前を払ってもそれは消えない。
いつもなら、このくらいすぐ消えるのに!
それに、靄がかかるのがいつにも増して早かった。右目の視界が、もう、黒い。
その場にしゃがみ込んで、必死にゴシゴシと右目を強くこすった。
消えろ。消えて。
『な、なんだその目は…!あ、悪魔め!』
ちがう。わたしは。

「斉藤さん?」

指の隙間から見上げた先、呼ばれた名前に思わず見上げれば、モノクロになった視界の中で、志摩と視線がぶつかった。

まずい。見られた。視線を逸らさなければ。
分かっているのに視線が逸らせなかった。だって。驚いた顔でこちらを向いている志摩の体。それに覆い被さるよう黒い何かがはっきり見えた。それはわたしの靄とどこか似ているような。

「なに、それ、」

驚きで声をもらせば、黒い視界、志摩の瞳がさらに驚きに見開かれるのを見た。
そして、志摩は笑った。

「秘密」

その表情はさっきまでの軽薄な笑みではなく、全く別の違う人物になったみたいな笑みだった。追って口を開こうとした時、「みなさん」と教室の扉から先生がでてきた。それを見るともう志摩はさっきまでの志摩に戻っていて、ヤクザたちに呼ばれてわたしから離れていった。
いつのまにか視界の靄は無くなっていて、志摩に覆いかぶさっていたものも見えないし、教室からの嫌な感じも無くなっていた。
『アイツモナニカ飼ッテイル』

一人、廊下で呆然としていたわたしに、再び先生のお叱りの声が飛んでくるのは言うまでもない。


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