19


体を揺らす大きな振動、聞こえる轟音。
ぐらりと揺れた体に足に力を入れて何とか踏ん張った。それと同時にツキンと右目の奥が痛んだ気がして、眼帯を押さえる。

「なに今の?地震?」

志摩がいつの間にか隣に居て、視線の先は先ほど亀裂が入ったジェットコースターを見つめている。揺れはあまり長く無く、それでも結構大きな揺れだった。幸い、周りには高い建物は無く、身の安全は確保されている。

「霊て、あんな悪戯もしよるの?」
「…小さな男の子だよ?」
「奥村先生が悪化したら〜言うてましたやん」
「…とりあえず行ってみる?」

あんなのを見てからじゃあ気は進まないし、あの騒ぎの原因が件の霊の仕業かは分からないけど向かうしかない。
ジェットコースターを指差すと志摩もあからさまにため息を吐いて「しゃーなしやね」と言うと駆け出したのでわたしもそれについて行った。

「あ、坊!」

走り出した直後、前方を走っていた志摩が、さらに前方、角から出てきた勝呂に気付いてスピードを上げた。勝呂の走る先もジェットコースターだったので、おそらく理由は同じだろう。志摩がくるりと顔だけこちらを振り返った。

「坊が何か知っとるかもしれん!先に話聞いときますえ、斉藤さん、走りにくいやろうし後からおいでな」

それだけ言うと志摩はさらにスピードを上げて勝呂に追いつこうとしているようだった。それを見てわたしは減速して、息を切らしながら足を止めた。
『走りにくいやろうし』。志摩が言った言葉を思い出して、汗を拭いながらなんとも言えない気持ちになった。
言ってないのに。確かに、眼帯をつけて走るのは初めてで、少し怖かった。態度にも出してないと思っていたけどな。志摩の妙に鋭い観察眼とでもいうのか、それには頭が上がらないと思った。
乱れた呼吸を整えながら、歩いて先に進む。志摩めっちゃ走るの速いな。もう見えなくなった背中に、簡単に息切れを起こした自分を情けなく思う。筋トレとかしなきゃかなあ。ため息を吐くと共に、そんなことを思った時だった。
目の前に、影。志摩が戻ってきたのかと思って顔を上げると、道の少し先、見知らぬ男が立っていた。小綺麗な、それでいて個性的な、なんとなくフェレス卿を思い出させるような服装をしていた。
ただ、そこに立っている男の隈を携えた、昏い緑色の目と目が合った瞬間。

「!?」
「やはりこないだの女だ」

突然、息が詰まった。何が起こったのか分からなかったけど、息苦しさに暴れた足が空を蹴ったこと、首にかかる強烈な圧、男の昏い目が眼前に見えること。
自分がこの男に首を掴まれて持ち上げられているのだと分かった。
首を掴む男の腕を引き剥がそうとするけど、全くビクともしない。眼前に迫る男はやはり知らない顔で、瞬きもせず、わたしを見つめていてゾッとした。

「な、に…ッ!」
「あー、これですか」
「!?や、」

何事かつぶやいた男は突然、手を伸ばしたかと思うと、わたしの右目の眼帯を取り去った。
突然、久方ぶりに光を受け入れた瞳はホワイトアウトし、それと同時にズクリと鈍い痛みが瞳の奥を襲った。

「成る程。眼帯は蓋ですか。アイツといい、隠したがるのですね」
「やめて、!」
「あー、アミーのクソ野郎の気配が強くなってきた。胸糞悪いです」

コイツ、アミーのことを知っている?
グッとさらに首を掴む力が強まりミシリと骨が軋んで、思わずぎゅと目を瞑った。
しかし突然、掴んでいた手を離された。そのままドスンと地面に尻餅をついて、大きく咳き込んだ。喉はひゅうひゅうと鳴り、バクバクと凄まじいスピードで心臓が鼓動を刻んでいた。

「殺しちゃいけないんでした、兄上に怒られる」

見上げると、男の昏い目がわたしを見下ろしていてゾッとする。再び、瞳の奥が鈍い痛みを伝えてきて手で覆った。視界に、黒い靄は見えないけど『アイツが起きようとしている』のかもしれないと思った。

「まだ玩具がいるなと思って寄ってみましたが、寝てる相手は歯応えがないや」
「ハァ…!ハァ…ッ!」
「その目、黒くなってからちゃんと遊びましょう」

ビクリと体が強張る。男はわたしの右目を指差してそう言った。
ひとつ瞬きをすると、男の姿は居なくなっていて、ドッと力が抜けた。カタカタと体が勝手に震えて、とても足に力なんて入らなくて、立ち上がれそうにない。
なんだ、何だったの。
『アイツと言い』『アミーのクソ野郎』『兄上に怒られる』『殺しちゃ』

『その目が黒くなってから』

恐る恐る、右目を覆っていた掌を外した。もう痛みは消えていたし、アイツの声だってしていないけれど。
映した自分の掌は、その色を保っていた。その事になによりも安堵した。

「斉藤さん!?」

少し離れたところからわたしを呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、志摩がこちらに駆け寄ってきていた。

「えらい遅いから来てみたら、何があったん!?」

わたしの前に着いた志摩がそのままその場にしゃがみ込んだ。志摩と目線があったら、咄嗟に「ううん、なんでも」と答えていた。

「何、言うてますのん…座り込んどるし」
「転んだの」
「眼帯、外れとるよ?」
「やっぱり走るのにつけてるの邪魔で」
「首、赤くなっとるのは?」
「…なんでもないって」

志摩の探るような視線から逃げるように視線を逸らす。わたしも何にも理解できてないのだ。説明しようがない。
それに、『殺しちゃいけないんでした』。
蘇るのは男の言葉。理由も目的も分からないけど、危険なのは分かる。志摩を巻き込んじゃいけない。混乱した頭でも咄嗟にそれだけは思った。

「自分、何でもないような顔、できとらんよ」
「…言いたくない」
「んー…、りょーかい。怪我は?首も、目も、大事ないんやね?」

頑ななわたしに、志摩は切り替えるようにそう聞いてきて申し訳なく思いながらも、頷いた。それを見て志摩は立ち上がるとこちらに手を伸ばして「立てる?」と伺ってきた。ちょっと不安だったけれど、志摩の手を借りて立ち上がると、案外すんなり立ち上がれてホッとした。

「向こうでもやっぱ何か起こっとったみたいで、手前で奥村先生に危険だから入り口に戻れ言われたんよ。せやから、入り口戻りましょ」

手を離した志摩が入り口の方を指差しながら「眼帯して戻った方がええかもね」といつもの調子で笑って歩いていく。

「ごめん」

後ろを着いていきながら思わず呟いた。存外、小さな声だったその形ばかりの謝罪にも、志摩は笑って「なにが?」と返したのだった。



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