20 間話


「上への報告は保留にする」

招かれたヨハン・ファウスト邸で、霧隠シュラは館の主にそう告げた。ニヒルな笑顔を携えながらシュラの要望を素直に受け入れるメフィストに、どこまでも気に入らない奴だ、と、シュラは思わずにいられなかった。

監査先でサタンの隠し子、奥村燐がサタンの炎を使い、サタンと断定した。亡き師匠と、奥村燐に望みを懸け、本来ならば本部に即刻突き出すか、殺害、抹消するところをシュラは見送り、監視を続行することにした。その為の要望も、メフィストに受け入れられ、シュラが本部からの受けた密命に関する話は、これで終わり、だった。
しかし、シュラは椅子から立たずにメフィストを見据えた。

「お前、もう一匹、飼ってるだろう」

静かに、確信を得て、告げられたシュラの問いにメフィストは動じず笑みを携えたまま。

「斉藤 チカ、『穢れた血』の、暦トモエの子だろう?」
「…そこまでバレているのなら仕方ありませんね。ええ。そうですよ」

何でもないように返された返答に、シュラは眉をピクリと動かした。

最初にシュラがチカに疑問を抱いたのは、ネイガウスの初めての授業。チカは、シュラがよく知った使い魔を召喚した。
ある女がその使い魔を召喚していた。手騎士の上一級の階級を持っていながら、必要時以外は使い魔を使用しないという変な女だった。だが、その女はもうこの世には居ない。
罪を負って、死んだ。
だから、偶然だと思うことにした。上級の悪魔ではあるが、他の者が使役することだってできる。そう思っていた。
疑問が確信に変わったのは、強化合宿と銘打った候補生昇格試験の日。停電した暗闇の中、一瞬だった。
チカの右目が『黒くなるのを見た』。
周りの喧騒に視界を遮られ、その一瞬しか見えなかった。気のせいかとも思った。しかし、そのあと彼女はずっと右目を押さえていて、このメフィストに連れて行かれた。
確信に変わった。

本部が秘密裏に探している『穢れた血』を受け継いだ子、だと。

「トモエと仲でも良かったのですか?よくお分りに」
「…アイツとアタシは似たようなもんだったから」

血に縛られ、血に操られ。自分と違ったのは、トモエの血筋はあまりにも有名で、そして嫌われていた。
同じような境遇の存在に、素性を詳しく語らずとも、自分の想いを吐露したこともあったし、彼女の苦しみを聞くこともあった。それでも、会えば話す程度のそんな、ちょっとした心の拠り所、のような存在だった。
ある時期からシュラはトモエを見ることが無くなった。風の噂で、『もう彼女は限界かもしれない』ということを聞いた。

『シュラ、わたし、やっぱり血に勝てなかったの、でも、でも…!幸せを知ったわ…!』
久方ぶりにシュラの前に現れたトモエのその瞳、翡翠の色だったそれには、黒が混じり、濁っていた。それでも幸せを噛みしめて、その瞳で前を見据え、言い放った。今でも覚えている。
『もう、アイツには負けない』
強い、決意だった。

それから何年か後だった。
暦トモエが、死んだと聞いたのは。

トモエの死は、自分とトモエとの仲を知っていた獅郎に告げられた。殉職だと言っていたが、シュラは知っていた。血に負けたのだと。
その後、自分が祓魔師となり、それでも未だ本部は秘密裏に『穢れた血』の末裔を探していることを知った。確信していた。トモエの子は、どこかでおそらく生きている。
あの時、暦トモエが手に入れた幸せは、新しい命だったのだから。


「…分かっているんだろうな。あの血が最期どうなるか」
「もちろんです。彼女は本部と誓約を結んでいませんから、私が手を下さねばなりませんね」

何でもないように言った男にシュラはぐっと拳を握り締める。

「『穢れた血』の捜索命令をアタシは受けていない。驚異が及ばないのなら上に伝える義理もない」
「それはそれは、感謝しますよ」
「…メフィスト、お前、いったい何を企んでいるんだ?」

奥村 燐のことも。斉藤 チカのことも。
人間にはあまりにもリスクが大きい存在だ。
そう思いながらも、シュラの脳裏によぎったのは子を想い続けた二人の親の顔で、ぎゅと目蓋を閉じる。
どいつもこいつも、それで自分が死んでどうすんだ。

「私は」

メフィストの静かな呟きに、再びシュラは目蓋を開いた。
そこには変わらず、笑みを浮かべた男が居た。

「人間と物質界の平和を企む者です。
そのために、虚無界を捨て正十字騎士團に居るのですから」

prev / next

top / suimin