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地面につけた大きなコンパスの上で、手元に開いた手帳にメモしていた内容を指でなぞる。

「はあ、えーと、次どう書くんだっけ…」

メモを読もうとしていると、離れた場所から男子たちの騒がしい声が聞こえて、少しだけそちらに目をやった。
視線の先では、テントがもういくつか立っていてキャンプ感が出てきたなと薄ら思う。まあとはいえ、やはり待っているのは楽しいキャンプ!などではないのだけれど。

合宿場に到着し、男子がテント設営と炭おこしを、女子のわたし達に課せられたのは、魔法円の作画と夕餉の支度だ。夕餉の支度だけならまだしも、魔法円の作画、って。普通のキャンプではあり得るはずがない準備だ。
杜山さんと神木さんが反対側を担当し、わたしは一人でもう反対側を担当した。いや、進んで一人になったというか、本当は霧隠先生が一緒にやってくれるはずだったんだけど。

「あー、そこ次半円じゃなくて真円でいいからぁ」
「…はい」

頭上から聞こえた声に顔を上げると、木の上で猫よろしくくつろいでる霧隠先生が見えた。その手には携帯ゲーム機が握られていて、随分白熱しているように見える。もう魔法円を書きはじめた頃からこうだった。授業でも、確かに手を抜いている面も見られたけど、流石に手抜きすぎでしょ。指示を飛ばすだけ飛ばしてくる霧隠先生に呆れながらも、言われた通り作画を進める。

「おまえ、その眼帯どーしたよ」
「え?」

突然、そう言われて作画の手を止めてしまった。振り返れば、霧隠先生はゲームから目を離してこちらを見ていた。視線がわたし、ではなく、右目の眼帯に注視されているようでドキリとした。

「…怪我してて」
「フーン」
「……」

納得、してないような視線だった。というよりは。

「なにか問題、あるんですか?」

もしかして瞳のこと知っているんじゃないか?そう思うような視線が眼帯に注がれ続けるものだから、思わずわたしも警戒して高圧的な返事を返してしまった。霧隠先生はやっと眼帯から視線を外して、わたしを見た。

「いんにゃ?別に?」
「…そう、ですか」
「ま。何かあれば、私に言え」

えっ。と思ったときには、もう霧隠先生は手元のゲーム機を弄っていて、こちらから視線を外していた。再度聞くのを躊躇っているうちに、ゲーム機から目は離さないまま「早く作業続けろ〜」なんて言われてしまい、慌ててコンパスを握る。
『何かあれば』
おそらく、霧隠先生は知っているのだ。この眼帯の下がどうなっているのか。もしかしたら、どうなるのか、まで。
前に、フェレス卿のところでスケッチブックの絵と共に聞いた『穢れた血』の昔話。わたしに流れる血は、悪魔と契りを交わして得た血なのだから、好ましく思われていないのが大半。アミーに乗っ取られた体は騎士團と結ぶ契約によって、殺される。そう言っていたのを覚えている。
霧隠先生はヴァチカン本部から日本支部へと移動してきたと言っていたから、もしわたしに『穢れた血』が流れているのを知っていたのだとしたら、この血を好ましく思っていない大半に入るだろうし、最悪の場合は、殺す、のではとさえ思っていたけれど。
『何かあれば、私に言え』
意図は分からない。でも、もしかしたらこの人は。
カリ、と、地面に描かれた線が、ぴたりと閉じて真円を描いた。

「何があっても、ですか?」

木の上の霧隠先生を見上げながらそう言った。男子たちの笑い声、注意する奥村先生の声、蝉の鳴き声。色々なものがその場から遮断されたようだった。
霧隠先生はゲーム機から目を離すと、しばらくわたしを見てから少しだけ笑った。

「…似てんねえ」
「え?」
「いーよ。何でも。止めてやる」
「!」

やはり知っているのだ、この人は。でも、『止めてやる』、そう言った。この人はわたしがどうなるのかを知っていても尚、わたしを助けてくれるかもしれない人だ。

「…ありがとう、ございます」

声が、震えた。
志摩が居て、フェレス卿が居て、霧隠先生が現れて。今まで一人で抱えていたわたしの瞳。いつお母さんと同じになるか、この瞳が消えてしまうのか、毎日、毎日、一人で怯えていた。
でも、今はその瞳を知る人たちが居る。怯える心が消えるわけではないけれど、幾らか楽になっているのは確かだ。
祓魔塾への入塾は半ば、ヤケだった。叔母さんが唯一知っていたお母さんの情報が、お母さんは祓魔師でかつて祓魔塾に通っていた。たったそれだけの情報で祓魔塾に入塾を決めた。瞳のこと、お母さんのこと、何か知れればいいな、くらいだった。嫌なこともある。無理だと思うこともある。でも、悪い事だけではなかった。

わたしのお礼に霧隠先生は何も言葉を返さなかった。
ずっと守りたい、変わらないもの。守れるかもしれない。
そう思いながらわたしは眼帯を、その下の翡翠の瞳を掴むように、ぎゅ、と握った。

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