03



「チカー、バイバイ!」
「…うん、バイバイ」

教室を出ようとしたところをドア近くのクラスメイトに声をかけられて、笑いながら手を振った。廊下に出た瞬間、笑顔が消えていくのがわかる。放課後の廊下はとても騒がしく、その間を縫うように歩きながら、さらに気分は落ち込んだ。
放課後がこんなに憂鬱になる日がくるなんて。友達同士でこの後何するだの、今日はバイトだなどと話す声が勝手に聞こえてきて、振り切るように足早に昇降口まで向かった。



「それでは、この間の小テストを返します、斉藤さん」

奥村先生に呼ばれて、教卓前まで出ればニコリと微笑まれる。テスト用紙を渡されて、点数を見れば75点。

「斉藤さんはケアレスミスが少し多いですね。次は満点もめざせますよ」

そう言われて、頭を下げてから自分の席に戻った。もう一度、かえってきたテスト用紙を見返す。75点。可もなく、不可もなく。まさに今の自分を体現していた。


正十字学園に入学して、祓魔塾に入塾して、あれからわたしの新生活はどちらも順風満帆とは言えずとも、言葉通り、可もなく不可もなく、といったところだった。
正十字学園のほうは、それなりに話せる友達もできたし、心配だった勉強も追いつけないほどではない。それは祓魔塾も同じだった。学園生活よりも不安が大きかったが、授業も訳のわからない初めて聞く言葉ばかりだったけど、そういう教科だと思えばなんとか理解できたし、実際に悪魔を目の前でポンポン出されるのは心臓にはよくなかったが、慣れたかといえば慣れた。テストでも75点も取れた。まあ、塾のほうに友達という友達はいないけれどここで仲の良い友達を作ろうという気があまり無かった。 さらに不安に拍車をかけていた志摩廉造もたまに喋りはすれど、約束を破る気配は微塵もなかった。それとなく、どちらの毎日もが過ぎていっていた。
それでも、決して楽しいと感じたことはないけれど。

正直なところ、塾の時間が憂鬱だ。祓魔師になりたい訳でもなく、嫌いな悪魔を勉強しなくてはいけなくて。こんなところに来なければ、普通の高校一年生の女の子だったら、放課後は友達と遊んだり、バイトをしたり、もっと『普通』を過ごして、でもそれなりに充実した毎日を過ごしているはずだ。

だけど、それでも。

『お母さんも、チカの目がすきよ。お母さんとおそろいだものね』



「今日の授業はここまで」

奥村先生の声と、聞こえてきた鐘の音にハッとなった。考え込む悪い癖、直さなきゃ。ため息を吐いて、机に伏せった。トントン。頭のすぐ横で机を叩かれる音がして、目だけで上を見上げて眉根を寄せた。

「…何」
「あらー、不機嫌!」
「…アンタには年中無休、不機嫌だわ」
「え?なにか?」

せめてもの悪態も本人に届かず、舌打ちを打ちたくなった。「ていうか何寝てはりますのん」と志摩に言われて、顔をまた腕に埋めた。

「いいでしょ別に」
「ええわけないでしょ、次、体育でっせ」
「え!」

体を起き上がらせれば、志摩はジャージ姿になっていて、前方に座っていた男子が各々ジャージに着替え終わっているところだった。もちろん更衣室で着替える女子の影は一人もいない。

「急いだ方がええよ〜」

ひらひらと手を振りながらいつものメンバーのところに戻って、教室を出て行った志摩を見て、わたしは小さく唸って自分のジャージを持って教室を出た。





「お前はそこで見とけ!腰ぬけ!」

元気な人たちだな、とただ正直に思った。
体育教師がいなくなって、ラッキーと思って座って休んでいたら唐突にそれは始まった。
勝呂(ぼん、が勝呂という苗字なのをさっきのテスト返却でようやく知った)と奥村(初日に先生と喧嘩していたのが奥村という苗字なのを以下略)が、体育の授業開始からずっと言い合っていた。いや他の授業でも、この二人はなぜかドンパチしていた。意識が低いだの、青い夜だの、野望だの。正直、分からない話ばかりで男子なんてこんなものなのだろうと客観を決め込んでいた。が、ついに勝呂が悪魔のいるグラウンドに降りて行ってしまったのだ。血気お盛んなのは良いことだろうが、あのカエルの悪魔はさすがに危険なんじゃないだろうか。

「俺は!サタンを倒す!」

勝呂が悪魔の前に立って、そう叫んだ。それを聞いていた他のクラスメイトたちが笑いを浮かべた。わたしは、笑えなかった。勝呂の言ってる意味が分からなかったのもあったけど。わたしには、勝呂のように胸を張って言える勇気さえもない。
一番大きく反応していた神木さんがさらに囃し立てれば、今までおとなしくしていたカエルがいきなり勝呂に襲いかかった。さすがにヒヤッとして身を乗り出せば、ものすごいスピードで目の前を通り過ぎる影があった。

「わ、!」

それは、さっきまで横で勝呂と言い合っていた奥村で完璧にカエルに咥えられてしまっていた。女子の悲鳴や、勝呂の呼びかけに、奥村からの返事はない。

「ッ!」

思わず、後ずさった。
その一瞬のうちには、奥村がカエルから解放されていたが、今度はわたしがそれどころではない。
右目の視界が、黒い。同じ一瞬だった。一瞬で視界から色が消えた。こんなに早く靄がかかることなんて今まで一度もない、この間の志摩の黒い何かを見たときよりもずっとずっと、早い。右目を抑えて、荒くなる呼吸を押し込めながら、必死に消えろと念じた。
やっぱり、同じになってしまうのか。このままでは消えてしまう。

『お母さんとおそろいね』

大好きな、おかあさん


「斉藤さん?!」

聞こえた声、見上げた先。モノクロの視界の中、なぜかピンク色だけがハッキリと見えた。


prev / next

top / suimin