07



「はい、終了」

奥村先生の声が聞こえてシャーペンを放り出した。初日から随分飛ばされて若干頭がいたい。もともとそんなに使うことのない自分の脳みそは合宿1日目にしてオーバーヒート目前となっていた。「ちょ、ちょっとボク風に当たってくる」という頼りない声を出してヨロヨロと部屋を出て行く奥村を横目で見て初めて気持ちは分かるぞと心の中で頷いた。

「明日は6時起床」
「ハア?」
「斉藤さん、何か」
「いや、なんでも」

奥村先生の目が笑っていなかった。咄嗟に出てしまった文句を引っ込めさせて、プリントを前に回してから机に突っ伏した。脳みその酷使も嫌いだし、早起きも苦手だ。

「朴、お風呂入りにいこっ」

すぐ隣で神木さんの声がして、ああお風呂ね、なんて他人事のように思う。声がかけられた朴さんも立ち上がってそれに続いて杜山さんも部屋を出て行った。

「女子風呂か、ええな〜、こら覗きにいかなあかんのやないですかね」
「志摩!仮にも坊主やろ!」
「また志摩さんの悪いクセや…」
「一応、ここに教師がいるのをお忘れなく」

背後でそんな会話が繰り広げられて、またため息を吐きたくなった。わたしという女子がいるのも忘れてないかこいつら。いつのまにか、猥談に発展(主に志摩が、というか志摩だけが)していたので耳をシャットダウン。
お風呂の時間とかって決められてるのかなあ、あの子たちと入るの、やだな。会話をしたことがないからというのが一番だけど、最近の神木さんと杜山さんの関係は見てて良いものじゃない。かといって、それをわたしがどうこうできる気もこれっぽっちもしないし。正直、関わりたくない。

「…斉藤さん!斉藤さんて!」
「…」
「こら、また目閉じよって!ここで寝たらあかんよ」

考えているうちに浅い眠りについてしまっていたようだ。志摩の声が遠くで聞こえる気がする。ううん。でも志摩のいうことは最もである。仮にも華の乙女がここで寝こけるのはいかがなものか。そう思いながらも思考回路は眠い方向にしか進まない。もう頭の中は眠いでいっぱいだ。最後の力で、目をこすりながら、顔をあげれば志摩と、その後ろで勝呂と三輪が心配そうにこちらを見ていた。

「志摩に負けず劣らずの寝起きの悪さやな」
「ちょっと坊、それは斉藤さんに失礼ですよって」
「子猫さーん?それどない意味ー?」
「せやかて、お前ここで寝るのはあかんぞ。風呂にもいっとらんやろ、って言ってるそばから!」

勝呂が、話を聞きながらうつらうつらとし始めたわたしの頭を軽く叩いてそう言った。

「いて。……ねむいのでここで寝たい」
「アホか、何言うとるんや」
「ねむくてうごけない」
「……斉藤さん、眠いとキャラ全然違うなんね」
「…おまえ女やろ。せめて身支度して部屋で寝えや」
「……ママみたい…」
「んな!」
「ブフッ!ママて!」

朦朧とした意識のなかで誰かが笑っているのが聞こえた。勝呂がぎゃあぎゃあ何か言ってるけど、何を言ってるのかはっきり分からない。が、これ以上ぎゃあぎゃあ言われてしまっては、ねむれない。無言で立ち上がり、部屋を出るために歩き出す。ゴン。脛を何かにぶつけてうずくまった。

「い、痛ぁ…!」
「あ、アホなん、斉藤さん…ほら、立てる?」
「…」

脛をぶつけて、寝ぼけ頭が少し冴えた。顔を上げるとおかしそうに笑いながら志摩がこちらに手を差し出していて、寝ぼけていたとはいえ、相当だらしない姿を晒したのでは?と冴えてきた頭で思って、急に恥ずかしくなった。差し出された手をペシリと叩けば、志摩は「寝ぼけた斉藤さんかいらしなあ」とわざとらしくニヤニヤした笑みを浮かべていて、その脛に一発拳をぶち込んだ。

「いったぁ!何しはりますの!」
「…か、顔が、腹立った」
「何それ!?おねむの斉藤さんが眠いよぉ、動きたないよぉ言いよるから心配してあげたんに!」
「い、言ってないし、頼んでない!」
「何や、おまえちゃんと起きたんか」

志摩の後ろで呆れたようにこちらを見てくる勝呂にウッと言葉が詰まる。

「ほらぁ、ママも心配してはるよ」
「ママやめぇや!」
「…ごめんなさい、ママ…」
「そこおまえも乗っかるんか!?」

恥ずかしいネタを生み出したのは自分ではあるが、もういっそ面白ネタにしてしまえばさっきのだらしないわたし全部忘れてくれないかなという希望を込めて志摩に乗っかる。これしかない。勝呂はまたぎゃあぎゃあ言っていたが、きっとこれで万事解決。心の中でガッツポーズをしながら、今度こそそこからお暇するために立ち上がり「それじゃ」と手を振り部屋を出る。
途端、廊下の奥から聞こえた悲鳴にビクリと体が飛び上がった。

「なんや、今の!」
「わ、わかんない、女の子の悲鳴じゃなかった…?」
「女子風呂!」

今の悲鳴が聞こえたのであろう勝呂が出てきて、女の子の悲鳴、という部分から最低な連想し、食いついた志摩が身を乗り出した。「ゴキブリでも出たかな?」というわたしの言葉に三人はボロボロと言っても過言ではない、この旧寮を見てああ…と少し納得したような声を出した。しかし次の瞬間には、ガシャアン!とモノ凄い派手な音が聞こえて三人でおし黙る。

「…ゴキブリってそない暴れるもんですかね」
「…暴れませんよ」

私たちの横に奥村先生がいて深刻そうな面持ちでメガネを押し上げて、駆け出した。

「俺らもラッキースケベ…心配やから後追いましょ!」
「志摩おまえ今ラッキースケベ言うたやろ!?」
「最低や…志摩さん…」

三人も奥村先生のあとを追っていったのを見て、わたしは立ち尽くした。追おうかどうするか悩んでいると肩をポンポンと叩かれた。

「こんばんは☆」
「、わっ!?」

思わず悲鳴が出た。なんの気もなしに振り返った先に、フェレス卿が立っていたからだ。正十字学園の理事長、そして祓魔塾の塾長、ひいては、正十字騎士団の支部長というのは知っていたけど、銅像とかでしか見たことなかった人物だ。なんでこんなところに?と、ドキドキと早鐘を打つ心臓を抑えながらフェレス卿を見れば、ずいっと顔を近づけてきた。

「ほう、いい塩梅ではありませんか!」
「な、なにがです」
「…その右目」

間近で右目を指差されて身が固くなる。途端に、ズズ、と右目の視界が黒くなり始めて右目を抑えた。

「な…!」
「似た目を持った女性を見たことがありますよぉ、ワタシ」

ひゅっと息が詰まった気がした。お母さんを知っている。しかもお母さんの目のことも知っている。口を開こうとするとフェレス卿が自らの唇に、人差し指を押し当てた。まるで子供相手にシーっとするようなそぶりだったけれど、まるで、声が、出ない。

「今日はほんの確認だけ」
「貴女の黒い右目。貴女も知っているのでしょう?その目の結末を」
「そうなってしまうと、私も黙ってみてはいられませんからね」
「でも、」

「それは武器にもなり得るのでね」

フェレス卿はそう言って笑うと、一歩後ろに下がった。その途端、強張っていた体の力がすべて抜けて床に尻餅をつくように座り込んだ。いつの間にか、息も止めてしまっていたのか、思い出したように息をすれば一瞬で酸素が回って頭がクラクラした。

「私の立場上、本当はそうなった貴女を連れて行かねばなりませんが、必要ですからね。ソレは」

未だ黒い視界のままの右目をジッと見つめられ、ぐっと唇を噛み締めた。この人はすべて知っているのだ。わたしの中に何がいるのかも、それが最期どうなるのかも。

「…わたしの、中のコイツは、なんですか」
「…」
「わたしも、同じになるのですか」
「…さてね。それは貴女が決めることでしょう?」

それでは、ごきげんよう。フェレス卿はとても愉快そうにそう言って指を振ると煙と共に消えた。それと同時に、右目の黒い靄もスウッと引いていってホッと息を吐く。
初めて、母を知っている人に出会った。叔母も母のことは知っていたけど、それとは意味が違う。フェレス卿はすべてを知っている。それを教えてもらうためにも、また彼に会わなければ。加えて、何か意味深なこともいくつか言われた気がしてすごく胃が痛い。

「…貴女が決めること、ね」

ただ、願いは一つだ。
わたしが好きだったお母さんが好きだと言ってくれた、この眼の色を守りたい。

まだ、この想いがあるから。

『オチロ、ハヤク、アキラメロ、母ト同ジニシテヤルゾ』
「…負けないよ、まだ」

暗い廊下の先、にわかに騒ぎが戻ってきて、わたしは一度目を強く擦って立ち上がった。


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