「あのね、ちょっと話があるの」

彼女、アイリスに笑顔でそう話しかけられたのは今から少し前だ。
そして、今。
彼女と甲板の後ろで二人きり、彼女はにこにことずっと笑っていた。
なんだかんだ、彼女と二人きりになったことないなと思い返した。
まあわたしが避けていたのだから当然だけれど。
昨日、船長とあんなことがあったあとで、そのことを彼女は知らないだろうけど、なんだか気まずい。
笑ったまま何も喋らないアイリスにしびれを切らしたわたしが口を開いた。
「話って、なに?」
とっとと終わらせて、この空間から逃げ出したかった。
彼女は笑ったまま「あのね」とその可愛い唇を動かした。
「リナリアはローのことが好きなの?」
「…は?」
思いがけない彼女からの質問にわたしは素直に疑問を返した。
そう答えたわたしに彼女は小さく笑って、柵に手をかけ海を眺めた。
「昨日、リナリアすごく酔っていたじゃない」
話始めた内容に、思わず眉根を寄せた。
昨日の話は正直、忘れ去りたかったからだ。
アイリスは海を眺めたまま、話続けた。
「それで、ローはあなたを船まで送るって二人で出て行ったでしょう?」
「わたし、すごく気になって追いかけたわ」
「そしたら、あなたが走り去るところを見たの」
「わたし、ローに戻ってまた飲みましょうって言ったわ」
「でも、ロー、わたしの言うことなんか聞いてくれなかったわ。ずーっと、あなたを見ているの」
「わたし、それがすごく嫌だった。あなたとローが店からでたときも、ずっと前、あなたが怪我したときローに連れて行かれたときもよ」
「ねえ、何が言いたいか分かるでしょう?」
振り向いたアイリスはもう笑っていなかった。
分かるわけないだろ。
と、言いたかった、けど、わたしはアイリスが何を言いたいか分かってしまっていて。
「わたし、ローが好きなの」
真剣な表情でそう言い切った彼女は、いつかのこの船に助けを求めてきた彼女を思い出させた。
ふ、と彼女はまたさっきの微笑みを浮かべた。
「初めて会った、あの人に助けられたあの日からローはわたしの特別なの。ねえ、リナリアは?ローのことどう思ってるの?」
どう思ってるの。
なんて、わたしだって好きだ。
あなたが来るずっと、ずっと、ずっと、前からあの人のことが好きだ。
ほんの少し前に来てあの人を好きになったあなたなんか比べものにならないくらい、あの人が好きなんだ。
心の中では何とでも言えた。
でも、わたしはひとつも口には出せなかったのだ。
だって、あの人もきっとアイリスを想っているのだから。
わたしはこの子に勝てない。
「好きじゃないよ」
いたい、痛い。
胸の痛みは知らないふりをして、笑った。
「あの人のことは尊敬してるよ、でも恋愛感情じゃないの」
「ほんとう?」
そう少し不安そうに聞いてくる彼女に、うん、と頷いた。
そうすると、アイリスはとても安心したように笑った。
「なぁんだ、よかった!わたし、リナリアは絶対にローのこと好きなんだと思ってた!」
「あはは、どうして?そんなわけないじゃない」
言葉は震えていないかな。
ちゃんと笑えているかな。
耐えて、耐えなきゃ。
「ねえ、じゃあリナリア」
アイリスが、また微笑んだ。
そして、わたしに言ったのだ。
「わたしとローのこと、応援してくれるよね?」
なんて、過酷なことを言うのだろう。
でも、わたしに拒否権なんてもうないのだ。
「うん、喜んで」
もう、戻れないのだ。
わたしの言葉を聞くと、アイリスはとても嬉しそうな笑顔を浮かべて「ありがとう」と言って、この場を去って行った。
「…ふ、っ…!」
限界だった。
泣き声を押し殺して、その場に座り込んだ。
わたしがもっと可愛かったら、もっと強かったら、わたしが、あの子だったら。
こんな痛い思いなんかしなくてよかったんだ。
「リナリア?」
頭上から声をかけられて、ぐ、と息を止めた。
この声は。
「どうした!?何かあったのか…!?」
目ざとくわたしの異変に気付いたようで、肩を掴まれ、顔を覗き込まれた。
やはり、それはペンギンで。
わたしが泣いているとわかるとその表情を固まらせた。
「あのね、ペンギン」
言ってしまいたかった。
今だけ、今だけでいいから聞いてほしかった。
「昨日、船長がわたしのことなんか興味ないって分かったの。そしたら、さっきアイリスに、船長のことが好きって言われた」
目の前のペンギンの表情はどんどん暗くなっていっていて、どうしてペンギンがそんな顔するの、と苦笑した。
「それでね、アイリスにわたし、…!せ、船長のこと、…好きじゃないって言っ、て…、二人のこと、応援する、って…!」
「リナリア、もういい、」
「ペンギン、すごく、胸が痛いの…!」
「もう、分かったから」
ペンギンはそう言いながら、泣いてるわたしをだきしめてくれて、わたしはその暖かさに声を出して泣いた。
わたしが泣きながら、ボロボロといろんな想いを吐き出すのを、ペンギンはわたしの背中をさすりながらずっと聞いてくれた。
全て吐き出した頃、背中をさする手が止まって、そのまま強く抱きしめられた。
「ペンギン?」
ペンギンの肩口に顔を埋めながら、名前を呼べば彼はすごく小さな声で言った。
「俺じゃ…俺じゃああの人の代わりにはなれないか?」
そう言って顔をこちらに向けたペンギンの表情はすごく真剣で、彼の気持ちがわかってしまった。

「リナリア。好きだったんだ、ずっと。俺は、おまえを泣かせたりなんかしない」

そう言われて、わたしは頷いていた。
こんな綺麗な気持ちをぶつけられているのに、わたしはどこまでもきたなくて。
あの人を忘れられるんじゃないか。
そんな思いで頷いたのだ。
ペンギンは嬉しそうに、またわたしを抱きしめた。
その温もりに縋りながら、わたしはバレないように泣いた。
ああ、なんてわたしは最低なやつなんだろう。

prev / next

top / suimin