「わたし、この船を降りたいんです」

船は今日、夏島に到着した。
その日、その夜。
わたしは船長の部屋に入るなりそう言った。

「…」
「この島、わたしすごく憧れていたんです。夏島!リゾート地としても有名で、治安も悪くないし、下手なことしなければ海軍だって来ない島です」
「…オイ」
「わたし、実はここを目指してて。もちろんこの海賊団で旅をするのだって、楽しかったですよ、でもやっぱり、」
「オイ」

一際、強い船長の声がわたしの声を遮断した。
喋るのをやめて船長を見ると、その顔は、確かな怒りの表情だった。

「ナメてんのか、おまえ」

低い、地を這うような声がわたしを責めた。
思わず、顔を俯かせた。
胸が、とても痛い。
こんなの、ここまで船に乗せてくれた船長に対する、ハートの海賊団に対する、何よりの裏切りだ。
船長の夢に対する、冒涜だ。
知っている、そんなことはわたしが一番分かっている。
わたしは声が震えないように、必死に繕った。

「いいえ、わたしの夢は…ここです。ここで終わりです」

心臓を鷲掴まれたようだった。
でも、もう決めたのだ。
顔を上げて船長を見て少し驚いた。
先ほどの怒りの表情とは違って、どこか、悲しげな表情をしていたのだ。

「…何があった」

たった一言。
なんの特別な言葉でもないのに、優しい声で、そんなことを言われてしまったら揺らいでしまう。
ぐっと喉にせり上がってくる気持ちを、必死に押しとどめた。
だめ、だめ。
嘘をつかなくては、嘘をつけ、わたし。

「…何も。ずっと、ここを目指してました」

やっと捻り出した言葉に船長は、ジッとわたしを見据えると、ふいと視線を逸らした。

「アイツは、ペンギンはどうすんだ」

小さな声でそう言われて、先日、アイリスが船長の前でわたしたちの関係を暴露したことを思い出した。

「大丈夫です、彼はこの船にとって大事な存在でしょう?連れて行ったりなんかしませんよ」

小さく笑って「安心してください」と言えば、船長はチラリとこちらを見てから、しばらく黙り込むと立ち上がった。
少し離れた場所に立っていたわたしの前に立つとわたしの肩を掴んだ。
熱い手のひらのぬくもりが掴まれた肩からじわじわと広がっていくようだった。

「…全部、本心なんだな」

本心です、決まってるでしょう。
そう言わなきゃいけないのに、わたしの口はすぐには開かなかった。

降りたくない。
みんなといたい。
でも、もう醜い自分は見たくない。
見せたくない。
嫌われたくない。
あなたの隣に立ちたかった。
あなたと一緒にいたかった。
わたしが、あの子だったら。

「…はい、本心です」

全部、全部、飲み込んだ。
これがわたしのなけなしの、ほんの少しの強さなのだ。
船長はわたしの肩を一度、強く掴んだ。
そして。

「…下船を許可する。おまえは今からハートの海賊団じゃねェ、好きにやれ」

掴まれていた肩が突き放された。
ぬくもりが離れる感覚に目頭が熱くなる。
まだ、もう少し、もう少しだけ耐えなくちゃ。
後ろに二歩下がって、大きく頭を下げた。

「今まで、ありがとうございました」

ありがとうございました、わたしをこの船に乗せてくれて。
ありがとうございました、素敵な仲間に出会えました。
ありがとうございました、いつもいつも楽しい旅でした。
ありがとうございました、

あなたを好きになれて、わたしはしあわせでした。

顔はもうあげれなかった。
「失礼します」と、口早にそう言って船長の部屋を出た。
そのまま、甲板まで駆け抜けた。
もうみんなは今頃、島に到着した宴の最中だろうか。
甲板には誰もいない。
そうなったらもう、ダメだった。
ボロボロと我慢していた涙が、壊れたように溢れ出た。

知っていましたか、船長。
わたしこの海賊団が大好きなんですよ。
あなたのこと、好きで好きで、たまらないんですよ。
知っていましたか。
届いてますか。

「ああもうわたし、ほんと大好きだったんだなあ」

口に出してみれば自分の声がばかみたいに震えていた。
こんなつらい思いは初めてだった。
ああ、もうハートの海賊団じゃなくなっちゃったんだなあ、だとか、荷物まとまなきゃ、だとか。
色々な思いが浮上してはじくじくと胸を刺激した。

その時だった。
ギシリと、甲板のすぐ近くで縄の軋む音がする。
見渡せば、下船乗船用の梯子縄がかけられているのが見えた。
誰か今、帰ってきたのだろうか。
この顔を見られるのは非常にまずい。
顔を拭ってそちらを盗み見るが、誰も上がってくる気配はなく、むしろ、軋む縄の音は次第に遠ざかっている。
下りている?今の時間に?
不思議に思い、覗きに行こうとして目を見開いた。
船から離れる一つの影、あれは、

「アイリス?」

アイリスは、船からどんどん離れていっていた。
周りに誰かハートの海賊団がいるのかと思ったがそれも違う。
どこか急いでいるようだった。
もしかしたら、何かに巻き込まれているのかもしれない。
そうおもって、わたしも梯子縄に足をかけたところで苦笑した。

「…とことんわたしってアホ」

こんなことになってるっていうのに、最後は目の敵を助けに行くなんてね。
小さく息を吐き出して、わたしは駆け出した。


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