ホームズは、恋をしない 06
「ご飯奢ってくれて有難う!」
ランチを奢って貰った後、明野谷が校門前まで車(パトカー)で送ってくれた。
そして校門前に車が着くや否や、ドアを即座に開けて、御礼を言うと共に、車の外へと飛び出し、美術室に向かって走り出した。
『オメーの場合、礼より詫びの言葉を言って欲しいもんだ』とかなんとか、明野谷の声が後ろから聞こえたが、言い返してる暇はないので、##NAME1##はスルーをした侭、走り去った。
途中、明智の取り巻きである3人と擦れ違い、視線を感じたが、其れも全く気に止めなかった。
「ゼェ…ゼェッ…ゼェーハッ…ゼーェ、ハァ、ゼーェ、ハァ」
苦しいと訴える肺に鞭を打ち、喘鳴(ゼンメイ)呼吸をしながら、全力疾走で無駄に長い廊下を走って行く。
そうして、漸く目的地の美術室が見えた。本来なら、衝突しない様にスピードを落とす所なのだが、嬉しさの余り、ついつい、更にスピードを上げてしまった。
間近に迫ったドアを押し倒す勢いで、身体が体当たりをする前に両手を突き出し、バンッ!!と、丁度アメリカンフットボールで使われるどつき…バンプを繰り出し、身体との衝突を免れて止まる。
しかし其の停止もほんの一瞬。次の瞬間にはドアを開け、室内へと駆け込み、ドアを早急に閉めて、今朝方まで作業をして居た所へと駆け寄る。
荒い息を整えながら、倒れたまま放置して行ってしまった椅子を起こして其処に座り、パレットへと絵具を何色か出して、水分を含ませた筆先で混ぜ合わせ、色を作る。
其の絵具が付いた侭、筆を尖らせる様に整え、キャンパスを見つめ、予(アラカジ)め決めて居た場所へと、筆を滑らせ、着色して行く。
その間、まだ体は沢山の酸素を求めて居る位の酸欠気味だと云うのに、##NAME1##は僅かな振動等で筆先がぶれない様にと、無理矢理、息を殺して、色を埋めて行く。
それから、少し経って、其処の部分を塗り終えた。そして、其処の部分が、ちゃんと塗れたかどうかを確認する為に、ジロジロと、丁寧にじっくりと着色した部分を見回す。
「……ぷっはぁああーーーあっ!!」
ちゃんと塗れた事を確認し終わると、其処で一気に肺の中に溜めて居た、粗(ホボ)二酸化炭素と化して居るであろう空気を、一気に吐き出した。
そうしてまた、荒々しく喘鳴呼吸を繰り返しながら、身体の求めるが侭に、ひたすら酸素を送り込んでは、二酸化炭素を吐き出して行く。
徐々に息を整えて身体が落ち着いて来ると、呼吸に連動して激しく上下運動を行って居た肩の力が、徐々に抜けて行き、強張りが解けた様にゆっくりと普段の定位置へと戻って行った。
「(あぁ…漸く呼吸が出来た気がする。)」
今朝、不本意とはいえ、絵描きから引き離されてから、先程までの間、生きた心地がしなかった。
いや、其処まで大袈裟な例えをする程ではないのだが…。どちらかと云うと、そう、息苦しかった感じだ。
水中で誰が一番、長く潜って居られるかの息止め競争をしてたかの様な、そんな感じだ。(今は、もうそんな感じはしないケド。)
「(しかし、あたしは、どっちかってーと、息止め競争や潜りっこ競争なんかより、水中じゃんけんの方が好きなんだけどなぁ…。あれ苦しくなんないし。)」
やれやれ…今日は色々と初体験のフルコースだった。(いや、まだ今日は終わってないけれども…。)
突然、絵から引き離されたと思ったら、友達が殺されたと聞かされ、刑事さんと喧嘩フィスティバル開催しちゃって、ロマンをぶち壊しにされたランチを奢って貰って…。(←明野谷に謝れ)
今日の今までに起こった出来事を思い返しながら、再び絵筆を動かして作業に取り組んで行く。
##NAME1##の言う通り、今し方まで、彼女が体験した出来事は、多かった。
先程、##NAME1##は大雑把にネタを上げたが、上記の出来事を更に細かく分割し挙げて行くと、容疑者に上がった事や、警察署に連行された事や、取り調べを受けた事等、諸々とレアな経歴が追加されて行く。
日頃の平凡な日常から掛け離れた其れ等はまるで、素人を役者に仕立てたドラマ撮影か、ドッキリ番組のターゲット役に運悪く選ばれてしまったのかと、一瞬勘違いしてしまう程にだ。
今、そう思い返してみて、##NAME1##は、カメラは何処にあるのかと、キョロキョロと探してみても、なんら不思議はなかったのではないか?と、そんな馬鹿げた現実逃避を思った。
そうして、次に頭に浮かんで思い返してみたのは、自分と同じ目に遭った彼との事。
時偶(トキタマ)挨拶を交わし合う程度の関係の彼と、いきなりの急接近?と言っても過言ではない具合に、今日は彼と関わり合いまくった。
学校のアイドル??的な彼と、真面(マトモ)に喋ったり、一緒に歩いたり、ランチまで共にした。
しかも、よくよく細部まで振り返れば、そんな凄く有名人な彼に、ものっそいお世話まで掛けたりもしてしまって居る。
倒れた椅子から起き上がる時に手を貸してくれたり、机との衝突を阻止してくれたり、お腹減って動けない所をお姫様抱っこで運んで貰ったり等々、エトセトラ。
「(ん?アレ??付き合ったりもしてないのに(寧ろちゃんとした自己紹介つーか対面は今回が初めて。)何このラブコメ要素満載さは??(-"-;)どーゆーこっちゃねん;;)」
こんなラブコメディー要素満載な出来事達が明智ファンクラブに知られたら、制裁と云う名の呼び出しリンチは十中八九、いや、十中十二は絶対に確実だ。
ファンクラブの熱狂的な女子の僻(ヒガ)み根性や妬(ネタ)みから来る嫌がらせや苛め行為、アンチマナー程、厄介で脅威的で怖い物は無い。
傍観者の側であれば、クダラナイとか醜いとかで済ませられるのだろうが、標的とされ被害を被る側からしたら、醜いと思う以前に恐い気持ちの方が勝るのは、当然の心理や心境である筈だ。
「(そんなモノのベクトルが自分に向けられたとしたら…(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル)」
悪夢なんて言葉では、絶対に済まされないだろう。受ける被害の量によっては、惨憺(サンタン)たる悲劇や生き地獄とも成り得る。
そんな目に遭うのは御免なので、##NAME1##は自分のウッカリさ(軽率さ)を改めようと決意する。
…と、同時に、今日の妬種(ネタミグサ)となるラブコメ風の出来事は、誰にも話さず墓場まで持って行こうと決めた。
「(いや、墓場に入った後でも、怖い閻魔様に問い詰められたとしても、きっと誰にも話すまい、うん(=`ェ´=;))」
人間関係では、なるべく穏便で、友好的な関係を築き上げて行きたい…。
其の方が絶対に、とんでもなくドロドロでディープな泥沼愛憎劇を繰り広げる昼ドラの様な関係よりは、望ましい筈である。
なんて、改めて、今日の半日の出来事を、しみじみと思い返してみても、じっくりと見直してみても、つくづくと考えてみても、やっぱり途轍もなく、どうしようもなく、非日常だ。
そうして結論し終えた其の時、ふと、気付いた。
絵筆が、止まって居た。普段なら、今まで、どんなに考え事をして居ても、作業が止まる事は無かった。
絵筆が止まるのは決まって、塗る色が思いつかなかった時など、作業に行き詰まった時だけで、他の考え事なんかで制作作業が無意識に止まった事なんて1度たりともなかった…。
友達と大喧嘩した日だって、親と進路について大いに揉めた日だって、絵筆を止まらせた事はなかった。
動物に手を引っ掻かれたり噛まれたり、家庭科の授業や美術の授業で、包丁や彫刻刀で指を切ったりしたり等して、怪我をした日だって、其れは変わらなかった。
どんなに頭や心を悩ませた時だって、どんなに腕や手や顔や足に怪我を負った時だって、絵を描く事を止めたりなんてしなかった。
そう…どんな時だって、何処かに必ず絵に関する意識が、自分の中に絶え間なく脈を打って(心臓と同じ様に)、ずっと息づいて(呼吸の様に)、存在して居たと云うのに……。
「(あたしにとって、絵を描く事は、生命活動と同等。生きる事と同意義だったのに、今は、其れが…)…崩れた。」
何だろうか、この気持ちは。
生きるのに必要不可欠な2つの内、片方だけ損なわれた様な、失ってしまった様な、絶対に補う事が出来ない喪失感覚。
脳は死んでるのに、心臓は生きてる植物状態の人の様な…生と死の定義の狭間に立って居る様な、途方も無く不安定でどうしようも無い、あやふあやな心情。
「…参った。」
そんな心情に伴って、頭が異様に熱を持って居る事にも、気が付いてしまった。
脳の内部から、ジンジンと重たい熱を絶え間なく発して居て、鈍痛を訴えて来る。それはもう、額に汗が、じわり、と、不愉快な感覚を伴って、滲み出て来て居る程に…。
「完っ璧に、脳内キャパシティーオーバーだ。オーバーヒートしちゃっとる;;」
アクシデントなイベントが立て続けに起きたせいで、疲労感たっぷりの憔悴しきった状態の心身。(まるで、体育祭と文化祭を連日、立て続けに行なった時の様な感じ。)
其の御蔭で、向き合っているキャンパスに塗る色を、精密に、細部まで思い描く事が出来ない。
このまま強引に塗り進めても、絵が、作品が、悲惨になる事は目に見えて居る。失敗作になるのは、其れこそ、火を見るより明らかだ。
だが、だからと言って、他にやる事はない。気分転換に授業に行こうとも思わないし、散歩に出ようという気にもなれない。
憔悴してるのだから、当然と言っちゃ当然だ。(と言うか、そんな元気があったら、制作の手は止まらずに、作業に取り掛かって居られてる。)
でも、このまま動かないで固まったまま、自我忘失になって居る訳にも行かない。
と、言うか、このまま完全に自我忘失モードに入ってしまったら、今日の出来事のデータ容量から言って、警備員のおっちゃん達が来るまで自我忘失モードに陥ってそうで怖い;;
其れは避けたい…から、どーにかしなきゃ、いけない。
整理や収納が追い付かない、ぐちゃぐちゃで、熱を溜め込んだ脳ミソと心情(メンタリティー)。
今、一番欲するのは、頭と心を冷まして得られる、通常の状態。平常な自分。其れを取り戻すには…
「…………良し!!!」
掛け声を合図に、重たい腕を動かして、塗りかけのキャンパスから、真っ白な、何も手を付けていないキャンパスへと取り変える。
紙パレットもページを捲(メク)って、真っ新(マッサラ)なページへと変える。絵筆も、水バケツへと突っ込んで、筆先に染み込んで居た色を、綺麗に洗い落とす。
そして、数ある色取り取りの絵の具の中から、適当に両手で掴める位の数を鷲掴みにして、取った其れ等を、ページを変えた紙パレットへと、中身を押し出して行く。
そうして、押し出した色の中から一色を、太めの絵筆で豪快に掬い取る。其れを目の前のパレットに、ぐちゃぐちゃと押し付けるようにして、塗り描いて行く。
赤の絵の具で大小様々な弧や渦を描き、緑の絵の具で斜線を交差させた×(バツ)印を描き、紫の絵の具で蛇の様に波打つ模様を描き、黒の絵の具で雷の様なジグザグとした模様を描いて行きと、
そんな出鱈目(デタラメ)でいい加減な筆捌(サバ)きを、紙パレットへと絞り出した全ての色が終わるまで、ひたすらに永遠と繰り返し、キャンパスの白を全て埋め尽くす様に描いては、塗り重ねて行った。
出した絵の具のどれもが、筆先にも付着しない程に、根こそぎ使い終わったのと、同時だっただろうか?
漸く、鬼気迫る位の雰囲気で、無我夢中の勢いで動かして居た手を止め、筆や紙パレットを、放り出す様にして、##NAME1##が手放したのは…。
荒立つ息を整えながら、キャンパスを見る。
乾いて居ない絵の具の上に、どんどん塗り重ねて行ったせいで、様々な色の絵具は混ざり合い、冴えなく濁った、暗く汚い、沈んだ色となり、絵となって居た。
其れを視界に収めた##NAME1##は、椅子から乱暴に立ち上がる。
そして、絵と同様の色になった水バケツの水を、水道の流し場へとブチ撒ける様に捨て、何回か濯(ユス)いで綺麗になったバケツの中に、無色透明な水を溢れる位ギリギリまで注ぎ込む。
バケツいっぱいに注がれ、重たくなった其れを、席まで足早に、中から水がボタボタと零れ落ちる事も気にせずに、運び込んで行き、ドンッ!と、やはり零れる水など気にせずに、乱暴に床に置く。
置いた水バケツの中に、ターコイズやウルトラマリン、セルリアンと言った、青系統の絵の具、計14色を、チューブから、一滴残らず絞り出す様に、水バケツの中へと落して行く。
絵の具を落とした後、筆をその中へと突っ込み、ガッシャガッシャと音を立てながら、水へと溶け込ませ、混ぜ合わせて行く。
あっという間に、無色透明な水は、底所か水面から一寸先でさえ見えない、透けていない濃厚な深い青へと色を変えた。
「よっし、準備完了。後は…」
##NAME1##は立ち上がり、青色の水を溜め込んだ水バケツを持ち上げて、思いっ切り、床へと、バケツの中身を叩き付ける様に…ブチ撒けた!!!
青色の水が、床にぶつかって飛び跳ね、飛散し、激しい水音を立てながら、凄い勢いで床を侵食して行く。床には、すぐに、蒼茫たる水溜りが出来上がった。
其の水溜りへと、##NAME1##は、何の躊躇も戸惑いもなく、飛び込む様に倒れ込んだ。水溜りの床に、思いっ切り叩き付けられる体。その衝撃で、一瞬、息が止まった。
先程より激しくとは行かないが、##NAME1##が倒れ込んだ衝撃により、水溜りは、青の液体を再度飛散させ、幾つもの円の波紋を起こし、其れ等がぶつかり合っては、乱れた波を打ち付け合う。
うつ伏せ気味に倒れ込み、横向きに背けた顔の側面に、直接、冷たく染み込んで来る≪青≫の感触。
いや、顔の側面だけじゃない。手や足や側頭部、そして、制服を浸食して、胸や腹や腕や太腿にも、≪青≫は静かに、余す所なく、しっとりと触れて来る。
全身を癒す様な、ひんやりとした≪青≫の優しい温度に、愛撫の様な心地好い感触。横向きにした顔の間近にある、今、一番欲しいモノを表した絵具の色を、##NAME1##は只々、見つめ続けた。
気が付けば、##NAME1##の意識は、己が下に広がる蒼茫の中に溶けて、蒼茫の色に沈んで居た…。
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