迷子と出会う2
バシッと大きな音がして、どこからともなく摩耶と燈矢が、轟の表札を掲げている立派な日本家屋の門の前に現れた。
「俺ん家だ…。」
摩耶から手を離し、よろけながらも、燈矢は家を見つめる。
少し、顔色が悪い。もしかして、酔ったのだろうか?煙突飛行粉(フルーパウダー)や移動キー(ポートキー)程でなくても、慣れないとクラクラするよね。と、摩耶は思いやった。
「燈矢?」
摩耶は顔を上げる。
そして、大きく目を剝(ム)いた。
―――ぼろぼろ、と。
燈矢の双(フタ)つの瞳から、大粒の涙が幾つも、こぼれ落ち、滴(シタタ)っていた。
長い睫毛(マツゲ)は何度もせわしなく瞬き、そのたびにしずくがキラキラと弾かれて散っていく。
もうすっかり濡れている上下で色の違う薄い唇が、悲痛な声で言葉を紡(ツム)ぐ。
「ここに、居たくないんだ!お願い、ここから離れてよ!!早く!!」
血を吐く思いで燈矢は叫ぶ。
「お願い!!」
「……だあああ、もぅッ」
「!」
間の抜けた叫び声が彼女の口から飛び出す。
と同時に、見慣れた景色が、大きく揺れる。
水のように流れては滲(ニジ)んで、暗くなる。
―――――目は、閉じているのか開いているのか。
その感覚さえ失った、直後。
バチン!
「!?」
2人が部屋に“現れた”時、部屋の暖炉の火を僅(ワズ)かに揺らしたかのように見えた。
「ウ゛、ェ…」
しかし、それ以上、部屋の中を視認することも、ここが何処なのかを彼女に尋ねる事も、燈矢には出来なかった。
何故なら、燈矢は完全に酔ってしまっていたからだ。部屋に着いた瞬間から足元が覚束ず、顔は見るからに青ざめており、その場にしゃがみ込んで一歩も動けなくなってしまっていた。
「あー……大丈夫?」
「俺は、酔いやすいんだよ……」
カッスカスに掠れた悪態に、大分グロッキーな状態は、めちゃくちゃに彼女の憐憫を誘った。
「お手洗い、行く?」
「…行く」
酔い止めなしに、あのワープはキツイ。いや、あってもキツイな、あれは。出来ればあの移動手段は遠慮願いたいね。
ぇ?フルなんとか?ポートなんとか?兎に角、あれより酷い移動手段が複数ある?……そりゃ、御免だね。断固拒否だ。
まぁ、だから、トイレん中にずっと篭ってて……彼女の「ちょっと出かけて来る!」の声も聞こえなくなって数分後、もしかしたら数十分後、青白くなった頬を叩いて、トイレから出ると戻ってきた彼女がいた。
「うわっ」
驚きの声を上げた俺に、少し汗をかいて、若干息も上がっていて、肩を上下させる彼女がいた。
「これ…ゼェ、よかったら、ハァ…いらなかったら…ハァ、返して。」
それだけ言って、手に持っていたから酔い止めとOS-1のペットボトルを差し出して俺に握らせた。
そこで、はたと冷静になった。自分より小さな彼女に助けられっぱなしのことに気付き、自分が情けなくなった。
「……ここはどこ?」
「あー………私の家」
燈矢の問いに、彼女は気まずそうにしながら、渋々と答える。
燈矢の状態と、あの場から離れる為に、咄嗟に彼女は姿くらましをした。
しかし、急なうえで、慌てたことにより、“咄嗟”に思い浮かべてしまった安全な所は、自分の隠れ家だった。
拠点としている唯一の“こちら側”での家。この家に招待した人は、誰もいない。毎回『引き離しの呪(ノロ)い』で振り離したりする出久と勝己ですら招いたことは皆無だ。
当然、『マグル避け』の呪文を筆頭に、様々な保護呪文などが掛けられている隠れ家。勿論、『忠誠(チュウセイ)の術(ジュツ)』もその1つで、『秘密の守人(モリビト)』は彼女自身である。
その彼女が不本意とは言え、自ら招いた燈矢に、その“秘密”を渡してしまったことになる。『マグル避け』があるからと言っても、燈矢も『秘密の守人』になってしまったことに変わりはない。
リスクが1つ増えたことに、彼女は頭を抱えた。いっそのこと、忘却呪文を燈矢に掛けるかと悩んだ。だが、彼女がそうこう悩んでいるうちに、燈矢は此処を出て行こうとまだ覚束無(オボツカナ)い足取りで歩き始めた。
「ぇ?ちょっ、何処行くの!?」
「………」
「待ちなさい!ねぇッ、ちょっと、聞いてるの!?」
1人で暗がりを走っていくことには、慣れている。
また失うくらいなら、振り返らない。
声にならない声で強く固くそう願った、直後。
「………!?」
直後、ぼすっどたん!と鈍い音が低く響いた。
そうして、沈黙。
何の音もない、ひととき。
「…………」
燈矢は、気が付けば地面へうち伏すような格好で転んでいた。
「いったぁ……」
燈矢の上着の端をしっかり握ったまま、摩耶が隣で起き上がる。
追いついた彼女が袖を掴んだものの、その拍子(ヒョウシ)に躓(ツマズ)き、2人もろとも派手に転んだ、という図式だ。
巻き込み事故に遭ったのだと悟った後も、燈矢は起き上がろうとしない。動こうとすらしない。
「ごめん、大丈夫だった?」
どこか変なところでも打ったのかと、彼女が顔を覗(ノゾ)き込もうとした。
「お前に助けられたことは感謝してる。でも、もう、俺のことは放っておいて」
「は?」
「俺はもう要らないのに……助けも、…お前も、…誰も、何も要らない……なんで助けたんだよ、失敗作の俺なんか……」
彼は譫言(ウワゴト)のように呪詛を吐き、私を睨みつける。
「いや、助けるから。…泣いてる迷子が居たら、放っておけるわけないでしょ。フツー。」
私がそう口にすると、燈矢はその端正な顔に嫌悪を滲ませてヒーローみてェだな、と嘲笑った。
"こちら”での幼馴染みの2人とは真逆で、まるでそれは、ヒーローを心底軽蔑している表情だった。
先程とは打って変わって、彼の眼は救いなど求めていない眸だった。全てを恨んで、怨んで、この世の何をも信じていない眼だった。
誰も信じていない、誰の事も必要としていない、────誰からも必要とされていない。そういう、深い深い哀しみの中に堕ちた眼になってしまっていた。
彼女は大人としての当然の行動を述べただけなのに、何故かヒーロー扱い。その言葉に心底ウンザリした表情を浮かべる。
しかし、その表情も、溜息を1つ吐くと同時に消して、切り替える。
「家に帰って、何があったの?」
「何も。」
何もなかったよ。
「…燈矢」
「呼ぶな……そんな失敗作の名前なんか、捨てて来たんだ」
「…私は貴方を家に帰すと約束したの。その私には、聞く権利があると思うのだけれど?」
「ウゼェな。どうせ赤の他人だろ。失敗作の俺が何処で野垂れ死のうとおまえには関係ない。安心しろよ、今日明日死んだってお前には無関係の、所詮対岸の火事ってヤツなんだ。だから安心して見放せばいい。」
「燈矢」
「だからッ、……お前もヒーロー面なんかしてないでさっさと俺を見捨てろよ。…あのゴミどもみたいに。」
「ふっざけんじゃ、ないわよ!」
がつッ
摩耶は力任せに燈矢の腹にストレートパンチで殴る。
体が幼児化してなければ、横っ面(ヨコッツラ)を殴っていただろう。
「ぐふっッ!?」
吹っ飛んだり倒れたりはしなかったものの、くの字になった燈矢の胸ぐらを掴み、気の収まらないままにグラグラと揺さぶる。
「なぁにが『失敗作の俺は死んでもいいんだ』だ!自分を憐れんでウジウジしてる暇があったら、とっとと個性を取り戻して、正々堂々真っ向から父親にも他の家族にもぶつかって、大喧嘩してでも、見てもらいなさいよ!!」
呆然と目を見張っている燈矢だったが、段々とその目が吊り上がっていく。
「と、言う訳で、とっとと帰りなさい!クソガキ!!…ったたたたた!」
言い募(ツノ)る間に、殴った手を掴まれ、手首に思いっきり噛みつかれる。
胸ぐらを掴んでたもう片方の手は自然とほどけた。
その途端、どんっ!と肩を押されて、やすやすと転がされた。
「誰が『クソガキ』だよ、テメェの方がクソガキだろ!このチビ!!」
「あっ、……アンタにチビって言われたくない!それに私は大人よ!こんな見た目してるけど!!」
「こっちだって、テメェにチビって言われたかァねェよ!見た目まで詐称しやがって、そーゆー趣味かァ!?このロリババア!!魔女なら魔女らしく、しわくちゃのババアの姿のままでいろよ!」
「ひっどい偏見だからね!?ソレ!!」
摩耶の襟首を掴まえんと、燈矢が腕を伸ばす。
摩耶はそれを紙一重(カミヒトエ)で躱(カワ)して素早く立ち上がる。
そして、燈矢にタックルをかけた。
今度は燈矢が転がされた。
摩耶の少女の体では、不健康で瘦せ細ったといえど、青年の体の燈矢との対格差までは補いきれない。
故(ユエ)に、摩耶の攻撃方法は魔法を使わなければ、体当たり程度。
もしくは不意打ちのパンチやキックの攻撃か、噛みつくか目つぶし等の急所攻撃だが、そんなのが2度も通じる程、燈矢は甘くないので、実行は出来ないだろう。
「俺はエンデヴァーに鍛えられて、1人でも訓練を毎日毎日欠かさずして来たんだ!見くびってもらっちゃァ困るね!!」
「はぁ!?自惚(ウヌボ)れるのも大概(タイガイ)にしなさい!こっちは偉大なる先生達の指導の下、立派な学友達と一緒に競い合いながら、日々、ホグワーツで鍛えられて来てたのよ!!」
殴る、蹴る、ぶつかる、倒れる。壮絶なる格闘技。
更には無意味な台詞(セリフ)をギャアギャアと撒き散らしながら、2人は大喧嘩を繰り広げた。
手加減ナシで闘う2人は、お互いに目的をすっかり忘れている。それはもうパーフェクトなまでに。
「〜〜〜〜〜っ!いい加減にしなさいよ!!」
燈矢の顔に向かって突きつけた摩耶の杖先から、火花が数個パチパチ!と飛んだ。
燈矢もソレに反応して、両手に炎を出そうとして構えるが、摩耶の方が早かった。
「ペトリフィカス・トタルス、石になれ!」
燈矢の両腕が体の脇(ワキ)にピチッと貼(ハ)りつき、両足がパチッと閉じた。
体が固くなり、その場でユラユラと揺れ、まるで一枚板(イチマイイタ)のようにうつ伏せにバッタリ倒れた。
摩耶が駆け寄り、燈矢をひっくり返した。燈矢のあごはグッと結ばれ、話すことも出来なかった。
目だけが動いて、怒りと屈辱の色を浮かべ彼女を見ていた。
「モビリコーパス、体よ動け!」
人や動物の体を宙に浮かせて移動させるための呪文を唱える。
すると、燈矢の手首、首、膝に、見えない糸が取りつけられたように、体を引っ張り上げられ、床から数センチ上に吊るし上げられた。
「はぁ?!おい、おろせよ!」
まさしく宙吊(チュウヅ)りだ。
その状態のまま、摩耶は歩き始める。
その様は蜘蛛の巣に捕まった獲物か、それとも哀れな操り人形か、はたまた…、子供が連れて歩く風船か。
なんやかんや帰れなかった。
「おはよ、燈矢」
「その名前で呼ぶんじゃねェよ」
「じゃぁ何?名無しの権兵衛くん?」
「古ッ!やっぱババアなんだな、お前」
「執着心激ヤバメンヘラファザコン男で決定ね。」
「ブチ殺すぞ。…………荼毘でいい。」
初対面である彼女が知るはずのない文字の羅列。
あの日、この世の全てから見放された少年。
彼の亡霊として生きると決めた自分に当てがわれた、ただの符号。
「……そ。私のことはフィッシュアンドチップスでいいから」
「は?」
「貴方と同じ通り名よ。通り名。」
「センスねぇな。」
「中二病120%のアンタのよりマシよ。」
「げっ、朝食パンかよ。俺、米派なんだけど。」
「あー、ボンボンの実家が実家だもんね。」
「マージで殺すぞ。ボンボン言うな。」
「じゃぁ、はい。これで我慢してね。」
「は?………何コレ」
「ライス・プディング。米を使うプディングで、甘いおかゆといったところね。通称ミルク粥。」
「日本人の俺からしたら、日本食への冒涜にしか思えないんだけど。」
「いや、私も日本人なんだけど??」
それか、塩じゃなくて砂糖で握ってしまった、おにぎりレベルの失敗作。
『失敗作』
自分で思っといてなんだが、クソ不愉快だ。胸がムカムカする。
失敗作は捨てられる、なんてわかりきった事だ。
それはこの世の道理で、それはこの世の掟で、それはこの世の常識。
不良品。だから捨てられたンだ、俺も。…分かってる。
「言っとくけど、これは失敗作でも邪道でもなんでもないからね?こういう料理だからね!捨てないからね!」
『捨てないからね!』
俺のことじゃないのに、少し安堵した。……チョロいな、俺。
「―――ゃ……――ぅや!!」
なァ、お父さん。…俺、ずっと待ってたのに。ずっと、お父さんが来てくれるって。ずっと、……
「このッバカ燈矢!!」
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