振り回す蒼色
そして、遂にヴィクトルによる振り付けが開始された。
リンクに立つ3人。
わたしはリンクサイドのベンチに座り、彼らを眺めていた。
「まずは曲を聞いてもらおうかな」
ヴィクトルがCDを流し、まず1曲目が流れる。
「この曲はテーマの違う2つのアレンジがある。『愛について』ErosとAgape」
まず流れたのはAgape。
綺麗なオペラ歌手の声が流れてくる。
それは、すごく繊細で優しい、まるで聖歌のような響き。
「君たちは愛について考えたことあるか?」
「ねーよ」と言うユーリと、首を横に振る勝生さん。そうだよね、「愛」なんてわたしもよく分からないもの。
「それじゃこの曲を聞いてどんな感じがする?」
「すごく透明感があって純粋無垢でまだ愛を知らないような…」
と、すぐに答える勝生さんを、ユーリはとても渋い顔で見る。
「俺は嫌だなこの曲。イノセントなイメージとか吐き気がする」
そうむすっとした顔で舌を出して言うユーリ。
わたしはその答えに苦笑しながらも、確かにユーリはあんまり好きそうじゃなさそうだなと思った。
思ったことを素直に出すのは大事だよね。
「OK」と言うヴィクトル。次の曲を流す。
次に流れたのはEros。
さっきまでの曲とは全く違い、情熱的なイメージのする曲だった。例えるなら、愛する人を誘惑するような。
「全然イメージが違いますね……」
勝生さんが目を閉じながら言う。
「ヴィクトル、俺こっちの曲を滑りたい!」
ユーリは、目を輝かせ、そう言ってヴィクトルを見た。
勝生さんは別にそれに対して異論はなさそうだった。
…じゃあ、勝生さんがAgapeで、ユーリがErosになるのかな。
わたしは呑気にそんなことを考えていた。
ヴィクトルが、真剣な目で二人を見つめる。
「最初の曲は『愛について〜Agape〜』。無償の愛がテーマだ。そしてこの曲は『愛について〜Eros〜』。性愛としての愛がテーマだ」
「この対極的な曲のテーマを二人には踊ってもらう。振り分けはこうだ」
目を開き、ヴィクトルは指をそれぞれに指す。
「勇利がEros!ユリオがAgape!」
少しの沈黙。
そして、その後、二人は猛抗議をしだす。わたしは自分の予想と違った結果に、目をぱちくりとさせるだけ。
「逆がいい!!イメージ違うだろ!」
ユーリがヴィクトルに必死で訴えかける。
確かにユーリがAgape………。見た目こそ合っていると思うけれど、何より彼の性格は、確かにそれとはかけ離れている。
(でも、ユーリがErosっていうのも…わたしには全然想像つかないなぁ)
「皆がイメージすることの真逆をしなきゃビックリしないだろ?俺のモットーだ」
ヴィクトルが微笑みを浮かべたまま、どんどんとそれを深くしていく。
「ていうか君たちは、自分の思っているより無個性で凡庸だから、もっと自覚をしたほうがいいよ?」
どんどんと、どんどんと笑顔を濃くしていくヴィクトル。
非常に優しい声色なのに、それにはどこか有無を言わせない響きだった。
ユーリと勝生さんがあわあわと震えていく。
ヴィクトルは、二人を微笑みを浮かべたまま見据える。
「自分で自分のイメージを決めるとかよく言えるよね。観客からしたら子豚ちゃんと子猫ちゃんだ」
「あと一週間で俺の納得できるレベルにならなかったら振り付け、どっちもナシだから」
ビックリするほどの笑顔で、ヴィクトルはこう言った。
ピキーンと、二人の心が割れた音が聞こえた…………ような気がした。
「二人とも俺のファンならできるよね?」
そう言ってパチッとウィンクをしたヴィクトルに、わたしは苦笑する。
……この人は全然変わらないなぁ。
――一見難解なことを言って、みんなを振り回して。
「……わかった。やるよそのAgape。俺のシニアデビューがかかってるんだ。絶対勝てるプログラムにしてくれるんだろうな」
――そして、誰かをやる気にさせてしまうところが。
どこか決意をしたような顔で、ユーリがそう言うと、ヴィクトルは挑発的な笑顔をユーリに向けた。
「勝てるかはキミ次第だよ。俺が滑れば絶対勝てるけど」
ヴィクトルのその言葉に、ユーリは一度唇を噛みしめる。
そして、
「コイツに勝ったらヴィクトルにはロシアに帰ってもらう。そして俺のコーチになれ!それが俺の願いだ!!」
そう力強くヴィクトルに言った。
それに対して「いいよ」と返すヴィクトル。
「勇利、君はどうすんだい?この勝負、勝ったら何がしたい?」
さっきから何も言わない勝生さんに、ヴィクトルは目を向ける。
(勝生さん……)
わたしはこの前の彼を思い出す。自信のない不安そうな瞳をしていた。果たして彼は、勝負を受け入れるのだろうか。
勝生さんは少し考えるように下を向き、そして静かに言葉を紡ぎ始めた。
「ヴィクトルと……カツ丼を食べたい」
そして、きちんと前を見据える。
「これからもいっぱい勝って、いっぱいカツ丼食べたい」
その瞳には、もうあの時の迷いがない。
「だから、Erosやります!全力のErosぶちかまします!!」
彼の力強い言葉に、わたしも少し嬉しくなる。
ヴィクトルが、本当に好きなんだろう。
その思いが、今の彼を動かしているんだろうと思った。
「いいね、そういうの大好きだよ!」
満足そうに言ったヴィクトル。
こうして、二人への振り付けが始まったのだった。
←→
戻る
top
ALICE+