たぶん出会う前から決まっていたこと



「エコノミーかよ!!」

そうユーリが怒鳴ったのは、羽田についたあとの、空港の受付の前。

渡されたチケットを目の前に、わなわなと震えるユーリ。
わたしは慌てて彼をそこから引っ張り出す。

「落ち着いて、仕方無いじゃん、急だったんだから」
「ざけんなよ、ロシアまで乗り継ぎ全部含めて何時間かかんだよ!!」

日本が今回初めてだったユーリは、乗り継ぎの時間全部含めた長時間の移動に、実はすっかり疲れていたようだ。わたしにはそうは見えなかったけど。

行きはユーリが取っていてくれたから(しかもリッチにビジネス席)まだ大丈夫だったけれど、今回はあまりにも急すぎる。
ロシアまでの全ての席が取れただけでもマシだよ。

ギャンッと喚くユーリは、本当にエコノミーが嫌そう。

「別にエコノミーでもいいじゃん、大して変わらないよ」
「うっせーな!体バキバキになるじゃねぇか!」

いやユーリ、あなた何歳よ、そう思っていると、非常に申し訳づらそうに受付の人が私たちに声をかけてくる。

「あ、あのー…2名でのご搭乗だったのでエコノミーしか空いてなかったんですが、別々なら一席だけまだビジネスがあるんですが…」

そう言う受付の人に、わたしは「そうですか!」と頭を下げる。

「じゃあ、わたしエコノミーでいいからユーリそこにしてもらおうよ。ね?」

これ以上ここで議論するのは、どう考えても周りの迷惑になる。
だから、受付の方の提案はとてもありがたいものだった。
急に大人しくなったユーリにハテナを浮かべながらも、わたしは受付の方と向き合う。

「あ、すいません。じゃあ別々の席でもう一度お願いを………」
「おい」
「……っ!」

そうしてると、わたしの後ろから、非常に、非常に不機嫌なオーラが流れてきた。
それは受付の方がビクッと肩を揺らすほどに、とても、とても威圧感のあるもの。

わたしは恐る恐る、ゆっくりと後ろを振り返る。

「何言ってんだよ」

そこには、大魔王を降臨させたが如く、とてもご立腹のユーリが立っていた。

「な…なんで怒ってるの」

わたしはなんで彼が怒っているかが本当に分からなくて、必死で理由を探してみる。でも、全然見当がつかない。

「テメー何が別々だ、あぁ?」

わたしをこれでも、というほど睨んでくるユーリに、わたしは固まったように動けなくなる。

「だ、だって、ユーリがエコノミーやだって、」
「お前はだれの、誰のための、何のための世話係だよ?」

ずいっとわたしの方へ歩み寄ってくるユーリ。わたしは思わず後ずさりをしてしまう。

「………でいい」
「え?なんて、」
「だーかーらー、俺もエコノミーで言いっつってんだろーがヴァーーーーーーカ!!!」

そう言って、ずんずんと搭乗口へと進んでいくユーリ。
え?え?
わたしはハテナを頭に浮べたまましばらく放心していたが、はっと気が付き急いで彼の元に走っていった。

係員の方をみると、どこか微笑ましそうにわたしを見てきて。

(……ユーリのバカ!)

わたしの顔は、きっと今真っ赤なはずだ。







「あんな怒らなくてもいいじゃん」
「あぁ?」

二人で無事に飛行機に乗り込むと、わたしはユーリの隣の席に座りそう言った。

「わたしと隣がよかった、って言えばよかったのに」
「………うっせ」

そう言って窓の外を仏頂面で眺めるユーリに、わたしは笑う。
本当に猫のような人だ。
気まぐれで、近くに来たかと思ったら遠くにいて、そしてまた隣にいる。
怒ったかと思ったらこうやってなんとも可愛らしい反応をしてくる。

何年経っても、そんなところがユーリは変わらない。

(………ずっと、ユーリといたいなぁ)

なぜだか分からないけれど、今までは当たり前に思っていたことを、唐突に、わたしは何故か思った。


隣のユーリがゴソゴソとイヤホンを出す。
それを耳にセットしているユーリに、わたしは「何をしているの?」と聞く。

「今日のショートプログラムの映像」

そう言ってスマホで動画を見始めたユーリ。
「そうなんだ」とわたしはそんなユーリを邪魔しないように、備え付けのテレビを見始める。

静かな時間が、訪れる。

(……なんか、少し疲れたかも)

日本に行ってから、毎日忙しい時が続いてたと思う。飛行機が離陸してしばらくした後に、わたしは眠りへと落ちていった。







再びわたしが起きたとき、ユーリは隣で寝ていた。
スマホを握りしめ、イヤホンを耳にはめたまま寝ているから、きっと動画を見ている間に寝落ちをしたんだろう。

わたしはユーリの耳からイヤホンを静かに取って、前の机にのせる。
その時に見えた、彼のスマホの画面。

見ていた動画は、勝生さんの今日の演技のようだった。

(………勝生さんの、観てたんだ)

どうやら、本当に悔しかったそうだった。
今までユーリは、周りのジュニアの子よりも格段に上手だったから、多少ミスをしても勝てた場面がたくさんあった。
それが、少しの慢心にも繋がっていたと思う。

それが、シニアに上がった途端にこれだ。
ヴィクトルがいないシーズンだろうが、上には上がいることをきっと痛感したのだろう。
今回ユーリが負けた勝生さんよりも、世界ランクや、昨年のグランプリファイナルの成績が良かった人は、この世界に何人もいる。

(ライバルが、増えたってことだよね)

ヴィクトルは確かに連れ戻せなかった。
だけど代わりに、勝生さんといういいライバルが現れ、そして敗北も経験した。

これはきっとユーリにとって、とても、とても大きな経験になっていくのだと思う。
そして、これからにも大きく影響していくのだろう。

サラリとユーリのサラサラの髪の毛を撫でる。
見た目はこんなにかっこ良くて王子様、もしくは妖精みたいなのに、中身はそれとは無関係。
いつも怒りがちで、面倒くさがり屋で、練習が大嫌い。
ユーリは、昔からそんな人だ。



――だけど、人はきっかけさえあれば、いつでも変われるから。



「………ユーリ、」

またわたしは、泣きたくなった。
今回はボヤケる視界を止める術も無く、ポロリと零れ落ちていく。

「ユーリ、…ユーリ」

うわ言のように彼の名前を呼びながら、わたしは俯いていく。

止まらなかった。彼の名前を、もう呼べないような、そんな気がしたから。


すると突然、わたしの左手が宙に浮いた。
髪の毛を撫でていたはずのその手は、華奢な白い手で掴まれていた。

目の前にある瞳がゆっくりと開いていき、エメラルドグリーンが輝く。


「………なんで泣いてんだよ」

それだけを言ったユーリに、起きてたの?と聞きたかったのに、わたしの涙は止まらなくなっていく。

「ユーリ」

そう言って彼に抱き着くと、ユーリは一瞬息を止めたように驚いたが、その後静かに腕を回してくる。

ユーリの匂いが、体中に広がる。

いつも彼が好んで着ている黒色のパーカーを強く握りしめた。

「……どうした?」

いつもと違うわたしを見て、本当に戸惑っているのだろう。声色が、少し探るように聞こえる。

「ユーリ、……ずっと一緒にいてくれる?」

それだけを言ったわたしを、ユーリはどう思ったのだろう。
背中に回る腕がギュッと強くなるのが分かった。「…今更だろ」と小さい声が聞こえる。
どこか、祈るような声だった。

本当は、本当はもう気がついていた。
この日、いや日本に来ると彼が決めた日、はたまたもっと前の時かは分からないけれど、いつかこのような日が来るということを。

世界との差を実感した。
ライバルができた。
課題が、目標が明白になった。

ユーリは、これからきっと見違えるように変わるに違いない。



(……その時、彼の隣にいるべき人は、)



――――きっと、わたしではないのだろう。






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