あなたのための宇宙になるわ



その次の日、中国杯のフリーがあった。
タイのピチットさんの素晴らしい演技、ギオルギーさんの失恋確定………など、いろいろなことがたくさんあったが(ユーリはギオルギーさんのフリーは見忘れていた)、一番驚いたのは、やっぱり日本の勝生さんだった。

『なっ?!4フリップだ!』

フリーの一番最後、勝生さんは4フリップを挑戦して来たのだ。
綺麗に決めることはできずに転倒してしまったが、その意気込みにわたしたちはただただ驚いた。

『4フリップはコーチであるヴィクトル・ニキフォロフの代名詞。高難度なこの技を体力の落ちる一番最後に飛ぶことは、ヴィクトルでもしませんでした』

アナウンサーの興奮した声を聞きながら、みんなただただ唖然としていた。
ユーリも、エメラルドグリーンの瞳をユラユラと揺らめかせながら、相当驚いた顔をしていた。

『私達の期待のはるか上を超えてくる男、勝生勇利!』

優勝こそなかったが、彼の演技は、わたしたちに一種の危機感を持たせるものだった。

………そして。

『4フリップが認定されたことだし次のロシア大会じゃ勇利は優勝してグランプリファイナル進出は間違い無いね。コーチとしてロシアに行くのが楽しみだよ』

「だってよー」

一人の男を、闘志に溢れさせるものだった。

「モスクワでボルシチにしてやるよ。この豚野郎が…!」







そして迎えたロシア大会。
公式練習の前の日、モスクワのシェレメチェボ国際空港に降り立ったわたしたち(今回はチームヤコフの一員として連れて行ってもらえた)。

「名前、荷物頼むぞ」
「ん、了解」

さっそく出待ちをしているユーリエンジェルたちから逃げるように、ユーリはわたしたちとは別の出口からそそくさと出て行った。

「え、ユーリ行っちゃったの?ヤコフー」
「大丈夫だよ。ユーリ、別ルートでホテル行くだけだから」

ユーリがいなくなったことに気づき、ヤコフコーチに報告しようとするミラにそう言う。
わたしはユーリが出て行った扉を見ながら頬を緩める。

きっと今頃、ユーリは鎧の取れる場所にいるのだろう。

何度かあったことのあるユーリのお爺さんの顔を思い浮かべながら、わたしはそう思っていた。







そして、ホテルに着く。

「(どこだろう……)。あ、ユー…」

そこのエントラスで待ち合わせをしているユーリを探していると、彼は記者団に囲まれているヴィクトルを複雑そうな顔で見つめて立っていた。

その、どことなく寂しそうな横顔を遠目で見て、わたしは声をかけるのをやめる。

「あっ、ユリオだ」

自分への興味をユーリに向けて逃げようとするヴィクトルに、わたしは思わず苦笑してしまう。
案の定記者団はユーリに追い詰める。

「俺が作ったユリオのSP、みんなもう見てくれた?」

そう言ってユーリの肩を抱くヴィクトル。
そんなことをされて、ユーリが黙っているはずもなかった。

「いつまでもロシアのトップ気取りはやめろ。この大会の主役は俺だ」

ヴィクトルの持っていたコーヒーを弾き飛ばし、ユーリがそう言うと、ヴィクトルは満足気に笑っていた。

その態度が気に食わなかったのか、「チッ」と舌打ちをしてユーリがエレベーターのある方に向かっていったので、わたしは慌てて追いかける。

「!ユーリ!」
「……あ、名前か」

わたしに気がついたユーリは歩みを一回止めて、こちらを振り返ってくる。
「さっきぶり」と言うと、「おー」とどこか気の抜けた返事をされた。

「ヴィクトル、やっぱりすごい注目なんだね」
「ふざけんなよあの豚を注目しろだとか………俺がいるっつーの」

ぶつぶつと文句を言うユーリは、不満気な顔をしていた。

「でもユーリは、負けないもんね」

「そうでしょ?」とわたしはユーリに聞く。ユーリだもの。
ハッとしたようにわたしを見たユーリは、次の瞬間わたしを見ながら、

「当たり前だろ」

と少し笑ってそう言った。

それにわたしも笑いながら歩いていると。

「あ……あれ、勝生さんじゃ、」

他のスケーターから逃げるようにもう一つのエレベーターの扉を閉めようとしている勝生さんが見えた。

ユーリは、それに気がつくと、ずんずんと足早にそこに向かっていく。
閉められようとしている扉を足でガッと止めるユーリを、わたしは慌てて追いかけた。

「何コソコソしてんだよ」

そうしてエレベーター内に入ってきたわたしたちに、勝生さんは目を丸くしながら「ユリオと……名前ちゃんか」と言ってきたので、わたしは苦笑しながら少し頭を下げた。

「………」
「………」

静寂なエレベーター内。
何か話題を…とわたしが頭を高速回転しながら内心アタフタしていると、勝生さんが「ロシア大会、お互いがんばろう」と当たり障りのないエールをユーリに送ってくる。

「は?お前は惨めに負けるんだよ。ヴィクトルにはこのままロシアに残ってもらう」

そんなエールをこのロシアンヤンキーが素直に受け取るはずもなく、こう返すユーリに、勝生さんは少し笑いながらも、ハッとしたような顔つきをした。

(そっか……。グランプリファイナルをもしも逃したら、二人の師弟関係は終わるのかな…)

ユーリの言葉とは裏腹に、とても合っている二人の関係が終わってしまう可能性があることに、わたしは少しだけ惜しく思った。







「ユーリ。荷物全部ある?」
「知らね。多分あるんじゃねーの」

ホテルの部屋に着いた途端、ユーリはそのままベットにダイブする。
今日はモスクワだから時差の影響はないが、もともとユーリは、いつもホテルに着くと寝ていることが多かったので、わたしはその間に荷物のまとめなどをして過ごしていた。

「……名前、こっち来いよ」

しかし今日は違った。
いつもより眠たそうにしていないユーリが、ベッドに体を沈めながらもわたしを呼ぶ。

「どうしたの?」

と彼のそばに行くと、「ん」と彼の隣、わずかに空いたスペースをトントンと指さしてくる。

「え?!わたしそこ行ったら……多分狭くなっちゃうよ」

ユーリが寝転がっているのは、ダブルでもセミダブルでもなく、シングルベットだ。
だからそう言ったのに、ユーリは「いいから早く来いよ!」とわたしを急がせる。

「………失礼します」
「おー」

そうしてベッドの中にわたしも入ると、案の定狭かったようで、ユーリは、スペースを広げるようにわたしをギュッと抱きしめてくる。

広がる体温がいつもより少し高いから、やっぱり少し眠いのかな、なんて思っていた。

「………はー」

ため息をついたユーリの顔に、パラパラと落ちる横髪を掬いながら、わたしは小さく笑う。

「緊張してるの?」

そう言うとユーリは反撃するわけでもなく、ただ黙ってわたしの背中にまわす腕の強さを強めた。

「大丈夫だよ、ユーリは」

わたしもそう言いながら、ユーリの背中に腕を回し、ゆっくりと撫でる。

たまに、本当にたまにユーリは、こうやってわたしを求めてくる。

何も要求はしない。ただ、誰かが側にいてくれることを望んでいるのだろう。

ユーリは本当にすごい。
でも、こういう風に無防備な彼を見ると、やっぱり15歳なんだなぁなんて少し嬉しくなってしまう。


(ユーリが、明日から自分の力を発揮できますように…)

そう思いながらわたしは、静かに寝息を立て始めるプラチナブロンドの背中を、ゆっくりと撫で続けていた。






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