悲劇だなんて呼ばせない



そして始まった、グランプリシリーズ最終戦ロシア大会。

グランプリファイナルに出場できるのは、上位6名。
そして、現在出場を決めているのは、カザフスタンのオタベックさんと、スイスのクリストフさんだけ。

そして、ここロシアで残りの4枠を争うのは、次の6人だ。

カナダ大会1位、カナダのジャン・ジャック・ルロワさん。
日本大会2位、韓国のイ・スンギルさん。
日本大会3位、イタリアのミケーレ・クリスピーノさん。
カナダ大会3位、チェコのエミル・ネコラさん。
カナダ大会2位、ロシアのユーリ・プリセツキー。
そして中国大会2位、日本の勝生勇利さん。

また、この大会の結果次第では、タイのピチットさんの出場も決まる。


―――とても重要な大会。

会場は、緊張感に溢れていた。

・

・

・

「あ、ミラ。今日はわたしが早かったね」
「珍しいじゃん。名前が遅れて来ないなんて」

そう言ってわたしの隣りに座るミラに苦笑する。
今日は、ユーリにとって、グランプリファイナルがかかった大切な試合だからね。
それに、カナダ大会を生で見れなかった分、今日はたくさん見ていたかったから。
そう思いながら、わたしたちはリンクを眺めていた。

韓国の選手も、チェコの選手も、ミスはありながらも高難度の技を決めていき、高い点数を出していく。

そして相変わらず仲のいい、サーラちゃんと、そのお兄さん。
彼もミスはありながらも高得点を出してきた。

「………すごいレベルね」

隣でゴクッと、ミラが唾を飲む音が聞こえる。
シリーズの一戦とは思えないほど、レベルの高い試合だった。

「ユーリ……緊張していないといいなぁ」

少し前に、ヤコフが言ってきた。
ユーリのお爺さんが、体調が悪くなり観戦しに来れなくなったことを。
それが、ユーリにどんな影響を与えるかはわからない。
わたしは、ただただ祈るしかなかった。

わたしがそう言いながら両手をギュッと握ると、ミラは少しかたい表情で「……だといいんだけどねぇ」と言う。

「あ、次……」

すると、リンクサイドにいる勝生さんとヴィクトルが見えて、わたしは少し身を乗り出す。

ロシアのみんなの声援に答えて朗らかな表情で手を振るヴィクトルに、真剣な表情をした勝生さんが彼のネクタイを引っ張って何かを言う。

途端に真面目な顔つきになるヴィクトルに、緊張感は高まっていった。


――愛について〜Eros〜。

その曲が始まった途端、わたしは違和感を覚える。

(……あれ?前見たときと、全然違う)

進化している、というのが正しいだろうか。
温泉 on ICEで見たときから、ここまで完成されているのに驚いた。

(………すごい、これは)

わたしは瞬きをするのも忘れるような衝撃に震える。

見る者全てを虜にしてしまうような、非常に妖艶なプログラム。

(………ユーリ、)

わたしは、リンクサイドに見えたフード姿の彼を見つけ、そしてもう一度きゅっと両手を握った。

『中国大会に引き続きノーミスでショートプログラムを滑りきりました!』

そして全てを完璧にこなした勝生さん。
周りが立ち上がって歓声を上げる中、わたしも同じように立ち上がり拍手を送る。

(勝生さん、すごかったな…。だけど、ユーリだって)

まだ映像でしか見たことのない新しい彼。
きっとユーリも、驚くべき進化をしている。

だけど。

「……ユーリ…?」

ジャージを脱ぎ、リンクに降り立ったユーリは、明らかに様子が可笑しかった。
表情が強張り、リリアさんやヤコフコーチからの声掛けも、まるで上の空。
「…緊張してるわね」というミラの言葉通り、ユーリは本来の姿とはかけ離れていた。

(ユーリ、落ち着いて…)

声には出せないから、心の中で強く思った。

(がんばれ、がんばれ…!!)

そう強く念じていると、会場の歓声がわぁっとあがる。

『109.97!』

ものすごい高い点数を出した勝生さん。
そんな勝生さんの靴にヴィクトルがキスをするものだから、わたしはポカンとしてしまう。

そして、彼らがユーリに向かって「ダバーイ!」「がんばー!」と言うと、ユーリはワナワナと震えながらリンクに飛び出していった。

………あぁ、今、ユーリきっと苛ついているんだろうなぁ。

だけどようやくいつも通りに戻ったユーリを見て。
ライバル同士、高め合うアスリートたちはすごいなぁと思った。


――愛について〜Agape〜。

そして、音楽が会場に鳴り響き、彼の演技が始まった。

(……すごい、)

率直にわたしはそう思った。
ミスが多少あっても、彼のスケートは、とても美しい。

わたしが大好きな、呼吸も、震えも、全てを奪い去っていくような彼のスケート。

目頭が熱くなるのを何とか宥めながら、拍手を送った。

(さすが、やっぱりユーリだ…!)


そして演技が終わると同時に、ユーリのファンの女の子たちが、一斉にプレゼントを投げ入れていく。
「…………っ!!」
そしてそのプレゼントの中の一つの、猫耳のカチューシャが彼の頭に綺麗に乗ったとき、わたしの呼吸は別の意味で奪われた。

「…………っかわいい!!」

思わずそう叫んだわたしに、ミラは「……名前」と呆れたように言う。

だって、本当にかわいいんだもん。
もちろん、本人には言えないけど。

『98.09!』

ミスはありながらもかなりの得点を出したユーリに、わたしはもう一度拍手を送った。


次に滑走したジャンさんが、凄まじい点数を出し、これで明日の滑走順が決まった。


ユーリは現在3位。

逆転優勝が狙える位置についた彼に、わたしはフリーが上手くいくことを願いながら、胸元のストーンネックレスをギュッと握りしめた。



(ファンがあげてくれたユーリの猫耳カチューシャ姿を保存したのが彼にバレて、この夜すっごく怒られました。)





←→

戻る


top
ALICE+