世界に色が戻ったよ
―――そしていよいよ始まったグランプリファイナル。
いつも一緒に見ているミラやギオルギーさんは、スケーターが座るための隔離された席にいるので、わたしは一人で観戦をしていた。
「緊張するわね!」
「ねえねえ!誰に勝ってほしい?」
「JJに決まってるじゃん!」「えーユーラチカが勝つよ!」と、わたしの横の人たちがそんなことを話しているのを聞いて、わたしは瞬時にプラチナブロンドが思い浮かぶ。
(ユーリ………でも、他のみんなも、)
勝生さん、オタベックさん、ジャンさん、クリストフさん、ピチットさん、そして、ユーリ。
みんな、自分の納得できる演技ができたら。
わたしはそんな願いを込めながら、そっと両手を組んだ。
『一番、勝生勇利、日本!』
その声とともに、周りは一気に歓声に包まれる。
ヴィクトルと固く手を握る勝生さん。
二人の指には、それぞれ指輪が光っていた。
(……勝生さんと、ヴィクトルも、これが最後なのかな)
グランプリファイナルの優勝、それを目指して師弟関係を結んだ二人。
グランプリファイナル終了、それは、もしかしたら二人の関係の終焉も意味しているのかもしれない。
(…勝生さん、がんばれ!)
前の年のグランプリファイナルは、わたしも見ていた。
今度こそ、勝生さんが悔いない演技ができたら。
そう思いながら、リンクに飛び出していく勝生さんの背中を見つめていた。
『97.83!』
そして打ち出された点数に、わたしは拍手を送った。
一番最後にいれた4フリップ。
ロシア大会よりも更に高難度のプログラムにしたのは、彼の決意の現れだと思った。
結果的に手はついてしまったものの、観客は感動に包まれていた。
だけど、それでも勝生さん自身はとても悔いが残った演技になったみたいだった。
氷上での、思い悩んだような顔つき。
それを見て、ヴィクトルも何かを考えているように見えた。
そんな二人がキスクラで観戦する中、二人目の演技が始まった。
タイのピチットさんの演技。
心からスケートを楽しんでいるような、そんな彼の演技。
フィニッシュとともに涙を流す彼に、わたしも大きな拍手を送った。
(……次は、)
リンクサイドで出番を待つ、白い後ろ姿を、わたしは見つめた。
心臓がバクバクとなる中、その妖精は次の瞬間に、勝生さんとヴィクトルが座っているキスクラのベンチを蹴り飛ばしていた。
「……っユーリ!」
小さく出てしまった言葉を何とか押し込める。
相変わらずの彼の行動に頭を抱えながらも、わたしはリンクに飛び出していくその姿を見送った。
……よかった。
ユーリよりも、わたしのほうがよっぽど緊張していたみたいだ。
うん、大丈夫だよね、ユーリなら。
『三番、ユーリ・プリセツキー、ロシア!』
開始地点を目指しながら、観客席に向け両手を開くたびに、まるで花が開くように見える。
紛れもなく、ユーリは、花開くダイアモンドだ。
(………あ、)
前髪で隠された双眸が、不意にわたしのそれと混ざり合ったような気がした。
エメラルドグリーンは、本当に一瞬、わたしを捕らえていたのだ。
会場なんて、とても広いのに。遠くの人だって、豆粒のようにしか見えないはずなのに。
(……ユーリ)
世界が、まるでわたしとユーリだけのような気がした。
大げさかもしれない。
自己陶酔かもしれない。
だけど、それでも、この時間、わたしの世界は、ユーリしかいなくなってしまうのだ。
愛について〜Agape〜。会場は一気に雰囲気が変わる。
両手を上げて、本当に花のように舞っていくユーリ。
ため息が出るほどに、美しいプログラム。
今まで何度もノーミスの演技を見たことはあったけれど、今日の演技は、決してそれの“再演”とは言えなかった。
――『この曲はAgapeがテーマですが、彼はたくさんの出会いの中、愛の入り口を感じたのではないかと思います』
ファイナル直前、リリアさんが報道陣に対して言った言葉を思い出す。
この前まで、Agapeなんてさっぱり分からずに、分かってもそれを表現できないこともあったのに。
――『自分を支えている愛は何なのか探しているときこそ、人間は輝きます』
ユーリは今日、きっと自分のためだけの演技をしていなかった。
今までの出会いの中、色々な経験の中で、様々な感情を抱いたであろう、それを演技の中で、Agapeの曲に乗せていた。
彼の思いを、“愛”を、間近に見れて。
一体わたしはどんな思いを抱けるだろう。
(ユーリ、わたし、本当にユーリが、)
溢れ出てくるのは、歓喜の涙とも、驚きとも、何もかもが違った。
『118.56!ヴィクトル・ニキフォロフの持っていた世界最高得点を越えて行きました!』
そのアナウンスとともに、会場の歓声を格段に大きくなった。
わたしは、キスクラで無邪気に喜ぶプラチナブロンドを見て、思う。
(…好き、だよ。本当に)
ユーリが本当に好き。
その気持ちで、ただそれだけの真実で、胸は一杯になった。
side 勇利
自分のショートプラグラムを終えたあと、僕は競技の続きを関係者席で見ていた。
ユリオの演技の間見えなくなっていたヴィクトルは、今ようやく僕の隣にいる。
その次のクリスの演技を見ながら楽しそうに微笑む姿に、僕は少しの不安を抱えてしまう。
(ユリオが、ヴィクトルの持っていた世界最高得点を越えて……)
今、ヴィクトルは何を考えているのだろう。
(グランプリファイナルが終わったら、僕は…)
決意した言葉を、僕は心の中でもう一度唱え直した。
そしてカザフスタンのオタベックの演技になる。
その前に僕の後ろの席に座ってきたユリオが、「ダバーイ!」とオタベックに声をかけていた。
相変わらずのふてぶてしさ……というよりはユリオらしさに、僕は苦笑してしまう。
「あれ?今日名前ちゃん来てるの?」
そう僕の隣のサーラさんがユリオに聞くと、「あっこ」とジャッジ側の席を指差す。
………いや、眼鏡をかけていても、僕には分からないよ。
隣のサーラさんも同じことを思ったらしく、「彼、本当にあの子見つけるの得意なのよ。いつもそう」と笑いながら僕に耳打ちをしてきた。
(さすが、名前ちゃんのことはよく見ているんだな…)
いや、もはや、見ていると言うよりは、意識せずとも見つかってしまうんだとでも言いたくなるような。
もはや呼吸を合わすかのように、当然のことのように。
――なんか擽ったいなぁ。
僕はそう思ったが、当のユリオは、オタベックの演技を見ながら満足そうに笑っている。
「また豚の得点超えたな」
「いいね彼。とってもエキゾチックだった。すごく新鮮」
二人のロシア人の言葉に強いプレッシャーがのしかかっていくのを感じ、僕は力なく笑った。
そして最終滑走、JJの演技。
その結果は、予想外のものだった。
(去年の僕を見ているみたいだ。いや、違う…)
大きなミスをしながらも、それでも立ち止まれないJJ。
その挑戦を笑う資格なんか、誰にもないと思った。
JJの結果は6位。
それでも会場中には、JJコールが鳴り響く。
「うっせーうっせー!」と喚くユリオに苦笑しながらも、僕は、翌日のフリー、そしてその後に向けて気持ちをもう一度建てなおしていた。
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