花開くダイアモンドは想う
side ユーリ
俺の頭の中は、やけに冴えていた。
遂に決着がつくグランプリファイナル、フリー。
JJやタイのピチット、それにクリス。
ミスはありながらも、いい演技をした。それは、漏れてくる会場の歓声を聞けばたやすく分かった。
そして、ユーリカツキ。
あの豚がアイツ史上最上級でいい演技をしたことは、場内に響き渡った点数を見て理解した。
『221.58!長い間破られることのなかったヴィクトル・ニキフォロフの持つ男子フリー歴代最高得点を更新!一気にトップに踊り出ました!』
……気に食わねぇ。
俺はさっきヤコフの元に来たヴィクトルとの会話をもう一度思い出していた。
――――
――
「ヤコフ!ちょっと話が」
「今か?後にしてくれ、今からユーリの演技が…」
ウォーミングアップの場所で、俺たちが移動している中、ヴィクトルがヤコフに駆け寄ってきた。
イヤフォンを耳に挿したまま、俺はどこか気の抜けたような表情をしているヴィクトルを見る。
「はぁ?!競技復帰?!」
ヤコフが心底驚いたような表情をする。
ヴィクトルの決意を秘めた顔。
その言葉に嘘はないと分かったから、俺はふと疑問に思う。
…おい、待てよ。それって、ということは。
イヤフォンを外し、「うん、とりあえずロシアナショナルにあわせるよ」と笑うヴィクトルの腕を掴む。
「おい、それってカツ丼が引退するってことか?」
俺のその言葉に、ヴィクトルは顔色ひとつ変えない。
それどころか、「引退は勇利が決めることだ。グランプリファイナルが終わってから決めるって言ってた」と俺に言う始末。
……何だよ、それ。
俺が何も言えずにいると、不意にヴィクトルが俺にしがみついてくる。
――お前が何を望んでいたか忘れるな。今こそ出発するときだ。――
………コイツ。
肩に埋まった銀色の髪に、俺は何も言うことができなかった。
――
――――
会場内には、俺の1つ前に滑走しているオタベックの音楽が響いている。
場内が熱気と興奮で一杯になっているのが分かった。
それでも、俺の頭の中はやけに冴えていた。
いつもみたいな、余計な緊張も、無駄な自信も、何もない。
――始まりの時は今だ。お前だけの時間だ。――
ただそこにあるのは、俺に見えていたのは、“グランプリファイナル1位”という称号だけだった。
「ダバーイ!」
自分の滑走を終えてリンクサイドにいたオタベックからの声掛けに、俺は目で合図を送る。
そして会場の席を見渡し、アイツの姿を探す。
(今日は確か、ミラたちと関係者席で見るって言ってたな……)
そう思いながらそこを見ると、そこには俺をどこか泣きそうな顔で見つめている名前の姿があった。
ユーリカツキがいい演技をした興奮からなのか、それとも俺が金メダルをとれるか不安になったのか。
少なくとも今までのどの試合よりも不安そうな面持ちをしている名前に、俺は静かに心の中で毒づく。
バカ名前。
まだ始まってもねーのに、泣きそうな顔してんじゃねーよ。
ほんの一瞬だけイラッとしたが、俺はすぐに平常心を取り戻し、スタートポジションに着く。
―――ヤコフ、リリア、じいちゃん、優子たち、名前。
そして勝生勇利。
(……よく見てろ)
――ピアノ協奏曲 ロ短調 アレグロ・アパッショナート。
最初のピアノの音が会場内に響くまでの瞬間、俺の脳内には今まで出会ったヤツの顔が思い浮かんでいた。
全てが俺にとってきっと欠かせないヤツらだったと思う。
それは、今シーズンに入って初めて認識できた事実。
(ユーリカツキ…。散々ジャンプミスってんのに心を掴みに来るステップ。ノーミスで見てみたい。どんなヤツなんだろ)
そして思い出したのは、ちょうど一年前、初めてグランプリファイナルの舞台でカツ丼を見たときのこと。
そう思ったのに便所でシクシクと泣いてるアイツを見て、ダッセェとため息をついたのを覚えている。
……そんなヤツが一年後に同じ舞台で世界歴代最高点更新、そんで引退とか。
金メダル獲れたら辞めんのか?
ヴィクトルの点越えられたら他はどうでもいいのか?
ふざけんな、俺をガッカリさせんな、
(豚に喰わせる金メダルはねぇ!!)
半分、もう意地になっていたと思う。
今の俺は、リリアのいう“プリマ”には程遠いかもしれない。
(絶対勝つ…!)
それでもこの演技を、豚に、勝生勇利に見せつけてやりたかった。
(……あと、あの泣きそうなバカにも)
おい、名前。
お前、今ちゃんと俺の演技見てんだろーな。
いつかの、俺と別れようとしたアイツを思い出す。
…あん時は言わなかったし、これからも言うつもりはねーけど、俺、本当はあん時かなりムカついてたんだよ。
誰よりも俺の勝利を願って、そんで信じてくれてると思ったのに、いきなりそれを怖がって。
挙句の果てに、「俺が遠くなる」なんて不安がっていたアイツに、俺のこと何もわかってねーのな、なんて思った。
……知ってたか?
お前が不安がらなくても平気なくらい、俺は何だかんだ言ってお前に依存してんだってこと。
春先、アイツが俺に『金メダル』と称して小さなネックレスをくれたとき、本当は俺がどんだけ嬉しかったか。
こんなんガラじゃねーし、思っても絶対言わねーけど、ひねくれている俺をここまで思ってくれる奴がいるっていうこと、本当に奇跡なんかじゃないのかって、お前といるとき、俺はいつも感じていんだよ。
その『金メダル』だって今も衣装の下につけてるし、ガラにもなく普段からお守りとして持ち歩いていること。
…お前はバカだから分かんねーだろーな。
(……ま、教えるつもりもねーし。一生分かんないままでいろ、バーカ)
とにかく。
お前が一番、俺の勝利を信じているんだろ?
じゃあ、余計な心配はせずに、黙ってそこから俺を見てろよ。
――四回転ジャンプを転倒しても、次のところでリカバリーする。
ただガムシャラに、俺の全てを、このプログラムにぶつけていった。
……勝生勇利、見てるか?
お前の記録はいつか絶対俺が抜く。
今引退したら一生後悔させてやる。
……苗字名前、見てるか?
俺の演技見て、またわけわかんねー事考えんなよ。
また逃げたら一生後悔させてやる。
(……バーカ…)
激しい旋律が鳴り止む。
――――それと同時に、会場内に、割れんばかりの歓声が響くのが聞こえた。
全てを出し切って、頭ン中はもう何も考えられなくなっていた。
『それは、これから獲りにいくんでしょう?』
『獲れるよ。だってユーリだもん』
『見てるよ』
それなのに、何も考えられないくせに、まるで反射かのように、俺の脳内には名前の言葉だけが蘇る。
……あぁそっか。『見てるよ』って俺と約束したんだ。
アイツが、逃げるはずなかったな。
(今ごろアイツ泣いてんだろーな。アイツに泣かれると、ほんとどうしていいか分かんねーから、泣いてほしくはねーんだけどな。あぁ、でもこれで泣かれるなら、それも有りだな…。)
アイツに言いてーんだ。
ほら、見ろって。
このユーリ・プリセツキーを甘く見んなって。
そんで、そんで、できれば抱きしめて。
柄でもねーこと、今なら言えるのかな。
(……………俺さ、お前のこと、本当に、)
―――あぁ、でもこの言葉を伝えるのは。
あの約束を叶えるときで、いいよな?
次第にボヤケていく視界。
訳もわからず、湧き上がってくる感情。
震える足元。
ダセェと思うのに、こんなの俺じゃねーと思うのに。
「っあ、ぁ…!」
零れ落ちてくる涙を止める術は、今の俺は持ち合わせていなかった。
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