Notte Stellata
「約束………覚えていてくれたんだね」
「当たり前」そう言ったユーリが少し身震いをする。
外は夜の帳がすっかり降りて、まるで凍てついたように寒い。今は建物の中の温かさが残っているが、すぐに体は冷えてしまうのだろう。
二人きりで外にいれる時間は限られている。
まるで、一時の逢瀬みたいだなと思った。
「本当に……勝ったんだね」
黒色のスーツに包まれたユーリを見て、わたしは噛み締めるように言う。ユーリは少し頬を紅潮させながらふっと笑った。
「何だ。お前まだ寝ぼけてんじゃねーの。もう表彰式も取材も全部終わったんですけど」
「ちが……、そういう事じゃなくて。頭では分かっているんだよ。でも、何かまだ実感が湧かなくて、」
嘲笑うようないつもの調子のユーリの口調に、思わず反論してしまう。
しかし、わたしの声は突如遮られた。
「ほら、」
―――フワリ。
少し背の高いユーリがわたしに近づいてきたと思ったら、不意に首に重みを感じた。
その瞬間、確かに時が止まったのだ。
「………あ、」
言葉が出なかった。喉が、情けなく震えてしまった。
首元にある重み。少し目線を下にすれば、それはすぐにわたしの視界に入った。
「――言っただろ。見てろって。俺はできない約束はしないんだよ」
随分と呆気なく渡されたけど、キラキラ光るそれは、わたしの胸元に確かに存在していた。
「……金、メダル」
ようやく出た声は、震えるほど小さく、掠れていたと思う。
『すげーの見せてやるよ』
試合前、彼は浜辺でわたしに言ってくれた。
そして、その言葉の通り、ユーリは、わたしとの約束を叶えてくれたのだ。
そうだ。ユーリはいつも、約束を必ず守ってくれた。
当たり前だろって得意げに笑みを浮かべながら。
バルセロナに連れていくって夢も、金メダルを獲るって夢も、全部、全部叶えてくれた。
ユーリはそういう人だ。
そんな人だからこそ、わたしはこんなにも、こんなにも溺れてしまっているのだ。
金メダルが涙で滲むのが分かった。でも、もう少し待っててね。まだ、彼に伝えたいことがあるんだ。
「……ユーリ、」
ひとつ、彼の名前を呼んだ。
「ん?」と返してくれるユーリ。いつもより声が優しいのは、きっと気の所為ではないはず。
「………………ユーリ」
ふたつ、彼の名前を呼んだ。
「……ん」
「ユーリ、」
「……」
「…ユーリ」
「………あぁ」
みっつ、よっつ、と繰り返し彼の名前を呼んだ。まるで、壊れかけているラジオのように、わたしはその名前を呼ぶ。
ユーリに何を伝えようか、わたしずっと考えていたんだよ。
何がいいかなって。どんな思いを届けようって。
でもね。なんでだろう、何か上手く言えないよ。
「……名前、」
ユーリの甘いボイスが響く。
彼はわたしの言葉を待つように、それ以外は何も言わず、そっと金メダルに手を伸ばす。
その指が金メダルをなぞり、その次に移動しようとしている場所に気づいて。もう、抑えきれなくなってしまったの。
「あのね、ユーリ」
ヒラリと落ち葉が自然に落ちていくように。言葉は出てきた。
「わたしね、ずっと何を伝えようって。なんて言おうかなってずっと考えていて。でも、分かんなくて。それでも考えたんだけど、何かしっくり来なくてさ…。えっとね、だから、なんて言うのかなぁ」
まるで慈しむかのような、どこで覚えてきたのって言いたくなるような表情をしているキラキラのエメラルドグリーンに見つめられながら、わたしは言葉を紡いでいく。
ホロリと露が自然に垂れていくように。それは出てきた。
―――うん、もう、いいよね。
「こんなときにね、不謹慎だとは思うんだけど、うん、もう何か抑えられないっていうか…………」
だって、だって。
「ごめん、泣いてもいい?」
こんなにもユーリが、愛おしいんだから。
静かに、ポロポロと零れる涙は止まることを知らない。
その一つ一つを、まるで宝物に触れるかのように、ユーリは一つ一つ零さずに拭ってくれる。大事に、大事にしてくれているのが指先で伝わる。
目尻に這うその指先が、震えているのが少し分かった。
―――なんだ、ユーリも、泣いているじゃん。
そう思ったら、次はふわりと温かい温もりに包まれた。
泣き顔を隠そうと思ったのか、ユーリはわたしの肩に頭を埋めて、ぎゅうっと腕の力を強める。
やだなぁ、肩口が濡れてるから、ユーリが泣いてるのだってバレバレだよ。残念でした。でも、そんなところ、本当に好きだよ。
「……ユーリ、本当に、本当に、おめでとう」
柔らかくその頭を撫でる。自分の持てる力を全て使って、労いの気持ちを最大限に届けられるように、手を動かした。
「……俺もさ、フリーん時、お前に無性に会いたくなって」
「……ん、」
「どうせぴーぴー泣いてんだろーなーって思って。昔からお前はよく泣いていたけど。うぜーって思ったこともあったけど、何かあん時は、それも悪くねーなって思ったんだよ。お前には悪いけどさ」
「…泣くと困り果てるのはユーリじゃん」
「……………別に。面倒だし、どうすればいいんだよって思うのは思うけど、でも、いいんだよ」
「……」
「……俺の知ってるとこで泣いてくれるんだったら、いいんだよ、んなことはどうでも」
そっと両方の手を使い、ユーリはわたしの顔を自分に向ける。
綺麗なエメラルドに映っているのは、ボロボロと泣いている可愛いとはお世辞にも言えないわたしの顔。
「名前、好きだ」
凛とした、綺麗な響きだった。
思ったより、ハッキリとしたそれは、わたしの胸に迷いなくスっと入り込んできた。
だって、その瞳を見たら、そんなことはすぐに分かったから。
わたしも、きっと、同じ瞳をしていたから。
――わたしがどれほどあなたを愛しているかあなたは知らない。
わたしの気持ちの中にはあなただけしかいない。――
――僕はずっと君の傍に居続ける。
大勢の中から君を見つけ出す。――
金メダルを首から捧げ、ドレスを着て、大好きな人が目の前にいる。彼の胸元には小さな小さな金メダルもかけられているだなんて、どんな素敵なことだろう。
わたしは、きっと、世界で一番幸せなお姫様に違いない。
――星の輝く夜を見てごらん。
僕達への愛だ。
僕が君を愛しているのを君は知っている。
君はもう僕を愛している。――
うん、今なら全て、分かるんだ。
そっと降りてくる唇を受け止めながら、夜はゆっくりと、ゆっくりと2人を、その逢瀬を包んでいくのだった。
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