モブ女子スケーターがお知らせします
(モブの女子スケーターが出てきます。名前はセリナ(固定))
リンクの妖精に恋をしてしまったのは、今思えば仕方のなかったことだと思う。
―――ワタシ、セリナは強豪国ロシアの強化選手に選ばれた女子シングルスケーター。
といっても国際大会に出れるかは微妙な立ち位置にいる。つまりピンチに立たされている。
目まぐるしく選手層が入れ替わるロシアでは、ものすごい努力をして周りのスピードに追いついていかないといけない、とても厳しい世界なのだ。
ワタシは今年で18歳。下からの追い上げも厳しくなるところ。少しでも最前線で戦うため、このオフシーズン、心機一転も兼ねてヤコフコーチの所に移籍をしたのだ。
ヤコフコーチのところはノービスからシニアまで様々な選手がいる。
女子シングルではなんと言ってもミラ。彼女は世界選手権も出てる強敵。
そして、男子シングルと言えば。
ロシアでも、世界でも大人気となっている氷上の妖精―――ユーリ・プリセツキーがいるのだ。
ワタシはそんな彼、ユーリ・プリセツキーに恋をしてしまった。
それは三日前、ワタシがここに来て約1週間ほど経ち、練習をしていたとき。
―――
――
―
「イッタ………」
ベシンという音と共に体が地面に打ち付けられる。ジャンプやスピン、ステップなどで氷に体を打ち付けるのなんて日常茶飯事。
しかしその時は運が悪かったのか、足を覆っているタイツが破け、膝小僧を擦りむいてしまった。
流れる血を片手で押さえながらリンクサイドに向かう。途中ミラが「セリナ大丈夫?」と聞いてきたのを片手を上げて「平気ー!」と答えた。
とりあえず消毒をして、絆創膏を貼って、一応テーピングを巻こう。
そう思いながら、リンクサイドにあるベンチに座りながらエッジケースをはめていた時。
「うわ、血ィ出てんじゃん」
これからリンクに入ろうとしているのだろう、ユーリくんがワタシの足をチラリと見て眉をひそめた。
彼は15歳で年下だけど、何故か妙な貫禄があり、今までほとんど言葉を交わすことがなかった。そんな彼にいきなり声をかけられたことで、ワタシは少し驚いてしまう。少しして、慌てて言葉を返した。
「あ、うん。さっきリンクで転んで……」
「どんくさ。気ィつけろよ」
「ちゃんと手当てしとけよー」と言いながら、リンクの中に入っていったユーリくん。
その後ろ姿をボーッと見つめた。
初めて声をかけてもらえた。
少しだけど、話せた。
どんくさ、だなんて言いながらフッと笑ったその顔(本人は嘲笑ったつもりだったのだが)を思い出し、胸がドキドキする。
恋の始まりは突然、だなんて誰が言ったのだろう。
ワタシはこの時、ユーリくんに恋をしてしまったのだ。
それからというもの、ユーリくんの言動1つひとつ(ガラの悪い態度も、ヤコフコーチに噛み付くところも)全てにときめく日々が続いた。
恋する乙女とは何とも不思議で、世界の全てが彼中心に作られている気がしてしまうのだ。
スケートリンクだって、彼がひと滑りすれば、まるでお花畑のように見える。彼が着ている黒色のトレーニングウェアだって、まるでタキシードのように見える。
辛い練習の続く毎日も、リンクメイトに彼がいることで、すっかりバラ色の日々になっていた。
(これ恋のパワーで練習効率も上がってるんじゃないかしら?ユーリくんパワーすごーい!)
彼が同じリンクにいること、それが何よりの幸せだった。
―――そう、あの日までは。
―――
――
―
ユーリくんに恋をしてから、更に1週間ほど経ったある日。
その日のユーリくんは、朝からどこか可笑しかった。
どこかソワソワしているようで、スケーティングがいつもより何だか軽い。
いつもキョロキョロして、リンクに繋がるドアが開く度にそちらを見ている。
ワタシが入った時も例外ではなく、何故か非常に残念そうな顔をされたのを覚えている。
「ユーリ!もっと落ち着かんか!」
「うっせーよ!俺はいつも通りだっつーの!!」
ヤコフコーチに怒鳴られてもいつも通りには返しているが、確かに何か可笑しい。
ミラに何か言われる度にガーーッとなっているのも目撃した。少しその顔が赤く見えるのは、何故なのだろう。
「ねぇミラ」
「ん?」
気になったワタシはドリンクを飲んでいるミラの元にサーッと滑っていく。「今日のユーリくん、どこか変じゃない?」そう聞くと、ミラはニヤリと笑う。何だか、言い方は悪いけれど下世話のような、からかうような笑い方。
「そうよねそうよね!どんな感じで変だと思った?」
「いや、何だか落ち着きがないなぁって。何かフワフワしていると思った」
「そりゃユーリが変になるのも仕方ないわよ」
「え?何で?」そう聞き返そうと思ったとき、ワタシとミラがいる場所のすぐ側にあるドアがガチャリと開いた。
「こ、こんにちはー」
ソロリと入ってきたのは、小柄な1人の女の子。黒髪と黒目。ジャパニーズかしら?
ペコリと律儀にお辞儀する姿に、目をぱちくりとさせる。
あれ? あの子の膝…………。
「久しぶりね名前!長期の帰省、楽しかった?」
「う、うん、久しぶりミラ!楽しかったよ!……いたた」
「!怪我してるじゃない!」
ミラが笑顔で女の子に飛んでいく。
五分丈くらいのハーフパンツを履いていた名前と呼ばれた女の子は、膝小僧を擦りむいて血が滲んでしまっていた。
「急いで来たから転んじゃって……」と照れくさそうに笑う女の子。
手当て、したほうがいいんじゃないかな。
2人の元に近づこうとした途端。
「何やってんだ!!!」
ビュンッと効果音がつきそうな全速力ともいえるスピードで、何かがワタシの横を横切った。
その人影はミラを軽く突き飛ばし、真っ直ぐその女の子の所に向かう。
呆然とする女の子の両肩に手を置き、いきなり怒鳴り始める………その姿は。
「た、ただいまユーリ…。何でそんな怒ってるの…」
そう。ワタシが恋をしている、ユーリくんだったのだ。
女の子の言葉に顔を最大限に歪めるその姿は確かに怒っていた。
「はぁ?お前が入ってきたって思ったら足引き摺るように歩いてるし、何か血ィ出てるし!!何やってんだよバカ!!」
「ごめ、えっとちょっと急いできたら転んじゃったの…」
「何で走るんだよ!!お前元々ドジなんだからこーなるの分かんだろ!」
「だってユーリに早く会いたくて……いったー!」
「もういい黙れ!!」
「!うわっ!」
矢継ぎ早に彼女に捲し立てるユーリくんに、ポカンとしてしまう。
気がついたら顔を真っ赤にして怒った…?様子のユーリくんがリンクから上がり、女の子の後頭部をバチンと叩いてた。そのまま名前と呼ばれた女の子を担ぐように俵抱きにしてその場から離れようとする。ミラが「ちょ、練習はー?」と声をかけるが、ユーリくんは聞こえてるのか聞こえてないのかガン無視している。
「えっ、ちょっとユーリ!わたし歩けるよ!」
「いーから黙ってろ!お前血ィ出てんだぞ?!そんな怪我しやがって、どーすんだよ!」
「ちゃんと絆創膏貼るから!大丈夫だから!」
「俺が貼ってやんよ!いーから大人しくしてろ!!」
じたばたと遠慮する女の子に、ギャンっと吠えるようにユーリくんは怒鳴る。そのまま怒涛のように扉の向こうに消えていった2人。
…………え、え、どういうこと。
「今日、名前が帰ってくる日だったのよねー」
時が止まったように固まるワタシに気づかず、ミラが隣ではーとため息をつく。……あ、ユーリくんがどこかおかしかった理由。
「あの、ミラ、あの子は……?」
「え?ユーリの恋人」
(嫌ーー!!!)
サラリと言われた言葉に、ワタシは目の前が真っ暗になった。「一応名目上はお世話係だけどねー。久しぶりだからかもう熱い熱い」シッシッと追い払うようにミラは笑う。
「そう言えばセリナ、名前と会うの初めてよね。セリナが来る少し前から故郷の日本に長期帰省してたのよ。ユーリも今日楽しみにしすぎててさー。朝会った時なんて隈がスゴかったのよ!からかったらすごい怒られたけどね!」
「へ、へ〜……」
「あの二人、もう本当に見るの嫌になるくらいラブラブかましてくるからね、参っちゃうのよ………あら?どうしたの?」
神様。
どうやらワタシは最初から、勝ち目のない恋をしていたようです。
「…何でも……」
ユーリくんが名前ちゃんの怪我にあそこまで過保護になるとは。
何あれ。何あの青臭さ。青春ど真ん中みたいじゃん。こっちが照れるよ。
少し前同じような怪我をしたワタシへの態度とは大違い………アハハ、もう笑えてくるわ。
「ユーリも嬉しそうにしてたわねー!早く会いたかったなんて言ってもらって嬉しかったでしょうね」
「アハハ……ソウデスネ」
「?」
顔を真っ赤にしていたユーリくんを思い出す。そうか、あれは嬉しさと照れ隠しだったのか…。
とりあえず、今日は練習後飲み明かすことにしよう。
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