マルチチュード

俺は手塚国光という男が憎くて仕方がない。いや、嫉妬なのかもしれない。実は手塚に限った話でもないのだが。

俺はアイツの目を捉えて離さないようなテニスプレイヤー全員が憎い。勿論それを表に出すだなんて馬鹿なことはしてないけれど。それでもふとした時、そう例えばこんな風にフェンスの外側で試合の観戦している時とか。

今日の練習メニューは試合形式で今コートに居るのは手塚とタカさん。フェンスに寄ってみている者も居れば木陰で少し離れてみている者。俺は後者で横にはもう1人、今年から我が青学テニス部に入ってきた帰国子女でスーパールーキー、越前リョーマ。ポンタを飲んで試合をガン見してませんといった感じを決め込んでいるがチラチラ 視線が手塚に向いているのに俺は気づいていた。気になっているのにそういう態度を取るあたりまだまだ中学1年生らしく可愛いと思う。俺は応援するわけでも熱心に見るわけでもなく空を見上げたり戦況の確認のためだけにコートに目をやったり、横の奴を盗み見したり。

「そんな気になんなら前行けば?」
「別に気になってないし。そういう苗字先輩こそ行かなくていいの?」
「めんどくせえ。」

おいおいそんなジト目で見るなよ。だって日差しはキツイし何より今試合してるのは手塚とタカさん。俺がフェンスに近づけばいよいよ越前は手塚しか視界に入らなくなるだろう。

「あ〜早く試合終われよ、俺もやりてえんだよ。」
「あんたがそんな事言うの珍しいね。」
「は?どういう意味。」
「……あんたってテニス好きじゃなさそう。」

そう言いながら越前の声は最後の方は消え入りそうだった。何も考えずに思ったことを口に出してしまったと言うところだろうか。まずい事を言ったと思っているのか、越前は帽子のツバを下げ怒られるのを怯えた子供のようだった。

確かに俺は可能な限り動きは最小限、サボれるところはサボる、がむしゃらになっているところなんて恐らく入学して数ヶ月の越前に見せたことは一度も無いだろう。そんな俺は確かに越前や手塚、他の奴らに比べれば意欲的には見えないしテニスが好きにも見えないのだろう。だがそれは表面上の話だ。俺はテニスが大好きだ。テニスが一番だ。だから俺よりテニスがうまいという理由での嫉妬も持つ。けれど越前が言ったように見えるのも結局は俺の自業自得だ。日頃の行いはいいとは言えない。

「お前もうちょい考えて口に出しなさいね。俺じゃなかったら怒ってたかもよ。」
「あんたは怒んないの。」
「俺は優しいからな〜。」

全くの真逆の人間だけど、と心の中でごちる。今試合がしたいのだって手塚の試合を終わらせたいが故だ。本当にテニスが好きだからという気持ちも嘘じゃ無い。それでも今俺の中にある一番は越前の視界から手塚を消して俺を焼き付けたいという気持ちだ。試合をするのだって出来るだけ弱い奴がいい。俺の強さが引き立つぐらい弱い奴が良いとさえ思う人間のどこが優しいのだ。それにそんな事言われて怒らないのは越前が言うからだ。他の誰かに言われたら殴っていた。

「あ、終わった。」

そう呟く越前の声に顔を上げれば偶然手塚と目が合う。何となく腹が立つから自慢の眼力で思いっきり睨みつけると手塚は自分が何をした、と疑問に思いつつ俺の理不尽な睨みにすこし腹が立ったような顔をしていた。だがどうせそんな俺に抱いた気持ちもすぐに消えるのだろう。それはそれで何となく腹が立つ。

「可愛い顔が台無しだよ。」
「……あのなあ、不二。俺はイケメンなの、可愛い路線じゃねえの。」
「顔が良いことは認める名前のその性格好きだよ。」
「ああそう、俺はお前のことどうでも良い。」

敢えて言うなら俺にとったらお前も手塚と同類だ、とは口が裂けても言えないが。

「で?どうした?」
「次試合だって。」
「俺?不二と?」
「違うよ、越前と。」

越前もてっきり不二と俺の試合だと思ったからそっぽを向いていたのか突然の自分の名前にすこし目を見開いてこちらを見ていた。ああもう、越前との試合するぐらいならまだ不二との方が良かった。まだただの嫉妬をしていた方が良かった。

不二が去った後、俺はもうそれは見るからにダルいといった態度を隠すでもなく立ち上がり越前の方を振り返る。越前は何だか不服だという顔で大きな目を向けていた。

「あんたさっき試合したいって言ったじゃん。」
「言ったな。」
「何でそんな嫌そうなの。俺とするのは嫌なわけ?」
「はあ?」

嫌だけど、そりゃあ凄く嫌だ。きっと俺が越前に抱いてる気持ちがもっと純粋であったなら他のテニスプレイヤーにこんなに嫉妬することもなく、試合もちゃんと見てワクワクして、越前との試合も喜べた。テニス好きとしては越前との試合は嬉しいのが本音。それでも越前と試合をしたく無い理由があるのも本音。

「俺じゃなくて、お前が嫌なんじゃないの。」
「何言ってんの。」
「手塚とかさあ、他の強い奴らならともかく、こんなやる気なさそうなやつとじゃお前が楽しめないから。」

そう言うと越前は片眉を思いっきりつり上げいかにも不機嫌ですといった顔をする。何だその顔。俺はてっきり、いつもの不屈な態度を取られると思ったのに。

「それあんたが決めることじゃないし、そもそも、そういうことじゃないでしょ。」
「意味わかんねえんだけど。」
「別に強いとかそういうことじゃないでしょ、テニスを楽しむのって。」

目から鱗とはこのことだ。俺は越前リョーマという人間を測り間違えていたらしい。こんなでかい人間だとは思ってはいなかった。それは越前が日頃あまり他人の試合に興味なさそうに装うから起きた勘違い。こいつはテニスが出来るなら誰でもいいのだ。なんて純粋な気持ちでテニスをしているのだろうか。否、俺がひん曲がり過ぎているだけだが。現に手塚は数年の歳月が経っても越前と同じようにテニスができれば良いといった感じだ。

けれど誰でも良いということは逆に全員同じということだ。恐らく越前の中で無意識に大衆とごく僅かな強敵たちとで分けられている。そして俺は大衆側。我儘な俺はそれが許せない。だからチームメイトの試合も大衆に紛れて見ずに越前と会話ができる距離で見るし自分より強い奴らとの試合は嫌だし越前と試合をして大衆に分類されるのも嫌なのだ。

「そういやさっきの、答え聞いてなかった。」
「さっきの?」
「テニス、好きかどうか。」
「あぁ…、嫌いかもな、テニス。お前が好きなテニス、嫌いかも。」

越前の視界に映るテニスと越前の視界に映れない俺のテニスも。純粋にテニスをしていた気持ちは越前への気持ちで全て隠れてしまった。越前への気持ちが溢れて溢れて、テニスを好きな気持ちが隠れてしまった。けれど越前から絶対に剥がせないものはテニスで。

「俺、あんたのテニス見たことない。」
「…なんだその哲学みたいな日本語。」
「だって本気でやってるところ見たことないし、それって楽しんでやってないから。」
「つまりそれは俺の本当のテニスじゃないと。」

自分で言ってて訳が分からなくなってるのか難しい顔をしながら頷いた越前の言いたいことは何となくでも俺には理解できた。

本気でこいと言いたいのだ越前は。好きかどうか分からなくなった俺にテニスを本気でやれと。きっとそうすれば分かると。そして本気でやれば越前の中に俺というテニスプレイヤーは残ると言いたいのだ。大衆に分類されることはないと。なんとも不器用な奴である。

「俺が本気でやったら越前は俺のこと見てくれんの?」
「そりゃコートに立ってたら嫌でも見るじゃん。」

コートの中にいてもお前は強い奴しか見てないと思ってんだよ。お前は強い奴しか見てないと思ってんだよ。

「なあ、越前。」
「何。」
「俺やっぱりお前が好きだわ。お前の全部が好き。だからテニスも好き。」

「……は?」



この日、越前は珍しく絶不調で俺は絶好調で久しぶりに本気出してうっかり越前を負かしちゃって、色んな意味で越前の中に衝撃を残した。

そして吹っ切れた俺は越前をこの日から今まで以上に構うようになったのはまた別の話。