宍戸亮に想いを馳せる

私は彼が大好きだ。大好き、なんて言葉に収まらない想いがある。

いつからだろう。初めて見たのは中一の頃だった。あの時跡部に向けていた彼の真っ直ぐな目を覚えている。彼の傷だらけの手足は戦いの跡。その跡が増えようとも彼の目から光は消えず、試合後もその目が下を向くことはなかった。彼の目はいつでも真っ直ぐだった。彼の目が私に向くことはない。むしろ私はそれが嬉しい。何処までも真っ直ぐ前を見ていて欲しい。つまるところ私は彼に入学と同時に一目惚れしていたのだ。

あの日から私はずっと彼を見てきた。ギャラリーに紛れて部活動している時も試合をしている時も、移動教室で彼の教室の前を通り過ぎる時も彼と廊下ですれ違う時も、私の目は彼を追う。決して言葉を交わすことはなかった。他の子達の様に気軽に話すこともいじらしく話すことも私には出来なかった。

私はこの遠目から彼を見守ることに満足していた。いずれは幸せそうにしている彼のきっと暖かな目を離れて見るのが私の夢だ。彼に近付いて欲張りになるのも他の人間を妬む様になりたくなかった。それはきっと真っ直ぐな彼の邪魔にしかならない。例えば他の女の子がそうであることに耐えられたとしても私なら大丈夫なんて事はない。逆に私だけ特別になることもない。そんな夢は見ていない。だから私は彼の中で名前も存在も知らないままがいいのだ。

ここまで彼に対しての好意のみを連ねてきたが私は彼の全てが好きなんて綺麗事は言えない。いや、事実彼の全てが好きだがそれは盲目と言うもの。他人からしてみたら彼が至極まっとうな人間であるとは決して言えない。2年が経ち彼は背が大きくなった。もともと長かった髪は更に長くなりいつの間にかレギュラーになっていた。

練習にちゃんと参加していたのは知っていた。きっと部活以外でも練習をしていた。そして彼は実力をつけるのと同時に自信もついていったように見えていた。勿論自信がつくのが悪いなんて事はない。それでも彼の真っ直ぐ目は何処を見つめているのか分からなくなっていた。そしてとうとう彼の目は下を向くこととなる。

慢心、とは違う。彼はひたすらに走り続けていたから。ずっと前を見ていたから。それでもいつの日からか迷いが出てしまったのかもしれない。それが表に出てしまったのかもしれない。膝をつく彼を私は哀れむことしか出来なかった。フェンスから少し離れたところで私は1人で膝を抱えて泣くことしか出来なかった。泣くこともなくただ地面を見つめ唇を噛む彼の姿が私には悲痛だった。神様は残酷だ。彼の努力が劣っているなんて事はない。なのにどうしてこんなにも人間に差はあるのだろうか。他の子達よりも他の選手よりも私は神様が一番憎いとこの時思ってしまった。次の日、コートに彼の姿は無かった。

私はこの部活のルールというものは噂で聞いていたからいつもと違うコートに居るかと思い見に行くもそこに彼は存在しなかった。私の中で彼は逃げたのだと、彼の真っ直ぐな目は逸れてしまったと思ってしまった。それは彼の人間らしいところともいえるが同時に彼の弱さだ。私はこの時彼に期待しすぎていたことを思い知った。

そんなことを思いながら数日。私は行き場のない名前のつかない気持ちを持て余していた。あの時彼を嫌いになれたらよかったのにそんな事はなく校舎で彼を見つけるとどうしても目頭は暑くなってしまう。けれどいつもの様に彼の目を見ることができなかった。変わってしまったらと思うと怖かったのだ。けれど結局私は彼が絶対に戻ってくると信じて毎日コートを見ていた。勝手な期待をまた抱いてしまっていた。寧ろそれは自分の為であった。そう信じることにより彼への気持ちを証明していたかったのだ。そして彼に失望なんてしたくないという身勝手な気持ち。

そして数日後彼は再びコートに立っていた。それは絶対的な彼の意思で。目は真っ直ぐ前を見ていた。以前にも増して傷だらけではあったがそれはきっと彼の努力の跡。この学校のルールがそれを認めなくても例え何も変えられなくても、彼は戻ってきたのだ。私は彼がこの日まで何をしていたとか何を思っていただとか全く知らないけれどそれでも真っ直ぐな気持ちだけはきちんとあるのだと試合が証明した。もうあの時の様な迷いは無かった。レギュラーに戻れなくてもいい、と言うわけにはいかなくても彼にとって一つ壁を乗り越えることが出来た。私は数日前とは違う涙がまた流れた。同時に愛しさも溢れ出てくる様だった。私は救われた気がした。彼の望みが叶うことこそ最大だけれどそれでも彼がまた前を向いてくれたことが私にとって何よりの喜びだった。

試合が終わった後どうなったかは私は知らない。何やらもめている様には見えたけれど何が起こったかまではその時知りもしなかった。次の日学校での登校中、たまたま前を歩いていたのは青い帽子を被った短髪の人。私にはそれが彼だと分かってしまった。後ろ姿がどう足掻いても間違えようが無かった。真っ直ぐ伸びた背は彼のもので、けれど今まであった揺れている髪は無くなっていた。そこに至る経緯よりも彼の決意に私はまた朝から涙腺が緩んでしまう。つい昨日まであった彼の綺麗で長い髪に決して思い入れが無かったわけではない。今だって少し寂しい気持ちはある。それでも清々しい彼の姿は私が彼に惚れ直す要素でしかない。また彼のテニスをしている姿が見れる。また彼の真っ直ぐな目が見れる。楽しそうな彼が見れる。私の世界は再び色を取り戻した。

彼は以前より笑う様になった。髪が切られたことによりそれがよく見え心臓に良くない。突っ掛かりが無くなったからだろうか。そして彼は何処か逞しくも見える。以前の彼と何処か違う。その事はプレイスタイルにも表れていた。シングルスからダブルスプレイヤーになった彼は後輩の面倒も以前より見ていたし準レギュラーのことも気にかけていた。何よりも自分にさらに厳しくなっていた。前を見据えた目は以前より鋭く横にそれることのない強いものだった。彼が成長すればするほど私はまた彼への気持ちは増すばかりだ。

関東大会、全国大会、望む結果は得られずとも満足はできずとも少からず彼は成長する糧を得た。それはまた私が彼を好きになることにつながる。

何度でも言おう私は彼が好きだ。彼の真っ直ぐな目が好き。彼の真っ直ぐな気持ちが好き。彼の太陽みたいな笑顔が好き。彼の全てが好き。きっとまた彼の目が下を向く時私は彼の知らないところで1人で泣き、彼が笑顔を見せるたびにまた好きになる。側に居られなくていい。私は彼の生きて行く道を見守れるだけでいい。卒業しても風の噂で彼の話が聞ければそれでいい。この気持ちが消える事はきっと一生ない。私は一生彼の幸せを望み続ける。

それが私の一番の幸せだ。