おはようから始めよう
    送られます

    「お疲れ様でした。また何かあれば呼んでください。」
    「ああ、此方こそ助かった。ありがとう。」

    扉の前で草壁さんと挨拶しながらも中を覗くとこっちを見ることなくまだ作業に集中している雲雀さんが見える。数時間頑張ってみたものの書類の束が無くなることは無く、けれど完全下校時間だからと一人帰される。他の人達はこの後も仕事を続けるのだと思うとどうにもやり切れない。

    「ひ、雲雀さんっ!」

    ここで俺が雲雀さんに声をかけるのは雲雀さんも予想外らしい。無視されるかもと思ったけれどきちんと俺の方を見てくれたその目は丸い。

    「明日もお手伝いしに来ていいですか…?」

    あ、この顔はさっきも見た。ちょっと楽しそうな顔。

    「君は本当に変わってるね。」
    「え、そうですか…?」
    「常識、で考えるなら普通立場は逆だね。いいよ、手伝いに来ても。使える間は馬車馬の如く働いてもらうとするよ。」
    「そ、それ使えなくなったらどうなるんですか?」
    「サンドバックぐらいにはなるだろう?」

    ああこれ、思ったよりやってしまったのでは。役立てるならいつでもとは思っていたけれど毎日お手伝いする流れになっていないか?しかもヘマしたらサンドバッグ。雲雀さんの言う通り、それこそ馬車馬の如く役に立ち続けるしかなくなった。逆に言えばちゃんとしてる間は基本的に何も起きないという事だけれど、正直あまり自信はない。

    「じゃあ…また明日来ますね。」
    「あぁ。完全下校時間過ぎてるから早く帰るように。」



    「いや、まあ、帰れるわけなかったよね。」

    今いる場所は既に今日だけで何度か見たことがあるような気がする。しかも後ろにあるのは学校の裏側で、応接室を出てからそれなりに時間が経っているはずなのに全く進んでいないことに絶望する。ただでさえ学校から出るのも苦労したのに。一仕事終えた満足感で帰ることなんて全く考えてなかった。最近はツナ達が一緒だったおかげで帰れないなんて事が無くすっかり忘れていた。俺は一人じゃ家に帰れない。せめて風紀委員の誰かにお願いすれば良かったと思ったけれどまだ皆んな仕事をしてると思うととてもじゃないが頼めない。

    「どうしようかなぁ…。」



    「…何してるの。」

    日が沈み暗い街並みに溶け込むような人影。その声が自分に向いてるものだと認識して目を凝らすと居たのはさっきまで椅子から動く気配の全くなかった雲雀さんだった。

    「とっくに下校時間は過ぎてる。こんな所で一体何してるの。とっくに帰ったと思っていたけど、君は意外にも風紀を乱すのかな。」
    「えっとですね…実はあの、道に迷いまして。」
    「は?」

    怪訝そうな事を隠すことなく呆れた声を投げられる。その何言ってんだこいつみたいな目で見るのやめて欲しい。

    「君は自分の家の場所が分からないの?あんなに頭だけは良さそうなのに。」
    「頭だけって……道だけは駄目なんですよ俺。雲雀さんこそこんな所でどうしたんですか?」
    「僕は帰るついでに風紀を乱す輩が居ないか見回ってたら気配があったから来てみたんだけどまさか君だとはね。」

    貴方は野生の動物か何かですか?気配って何ですか。俺生まれてから今までそんなもの感じたことないんだけど。それにしてもよりにもよって見つかるのが雲雀さんとは正直運がない。例え口頭で道を説明されてもこの自分が辿り着くと思えない。だからと言って雲雀さんが道案内なんてしてくれる訳がない。そして何より何が地雷か分からない彼と二人っきりと言うのはやはり怖い。

    「いつもの事なのできっとその内帰れますし大丈夫です。」

    そう言っても雲雀さんはじっとこちらを見つめなかなか行ってくれない。どうしたものかと数秒悩んでいると雲雀さんの口が僅かに開くのが見えた。

    「家、どこ。」
    「え?」
    「家、どこなの。」
    「な、何でですか…?」
    「送ってあげるよ。このまま迷子になられて何か問題が起きないとも限らないからね。面倒だけど、風紀が乱れるよりはマシだ。」

    平然とそう言う雲雀さんに対して俺は内心穏やかじゃない。だってまさか、一番無いと思っていた事が現実に起きてるのだから。何よりも風紀の為とは言え送ってくれると言うのは、怖いという雲雀さんの印象とは違って、優しくて驚いたのだ。どうにも初対面だったりサンドバッグの件だったりで怖いと思ってしまったけれど、でも確かに怖いけれどそれは一部で案外過度に怖がらなくても良いんじゃないだろうか。なんて、ツナ達に言ったら凄い目で見られるのだろうけど。

    「早くしてくれる?」
    「は、はい、すみませんっ。」

    最近ようやく覚えた住所を告げるとそれだけで場所が分かったのか雲雀さんは迷い無く歩き始めた。長年住んでても普通住所聞いただけで場所なんて分からない筈なのに、さすが雲雀さんである。何がさすがかは分からないけれど。

    「ヒバリ、ヒバリ。」

    お互い無言で気まずい空気の中しばらく歩いていると頭上から甲高く抑揚のない声が響く。何だと声の主を探すと雲雀さんの頭の上を旋回している小さな黄色の鳥。見ているとまた同じ声が聞こえる。小さなくちばしを精一杯開きながら同じ様にヒバリ、ヒバリと繰り返し鳴いている。やはりそれは何回聞いても雲雀さんの事らしい。何周か回った後ようやく鳥は雲雀さんの頭上に落ち着いた。鳥は不思議そうに首を傾げながら俺を見ていた。頭上の鳥を退けるでもなくそのままにしているという事は雲雀さんはこの鳥の事をある程度許しているらしい。

    「雲雀さんの鳥ですか?」
    「勝手についてきた。」

    それ以上言う事はないと言うようにまた口を閉られてしまえばそういうものかと納得するしかない。黄色の鳥を眺めながら歩いているけどなかなか視線は外れない。試しに両手を合わせて受け皿のようにしてみるとすんなりと鳥はその手に収まった。

    「ヒバリ、ヒバリ!」
    「この子凄いですね、人の名前呼ぶなんて。」
    「放っておいたら勝手に呼び始めたよ。校歌も歌えるし、君より賢いんじゃない?」
    「流石にそれは…。」
    「じゃあ校歌、歌えるの?」

    そう言われれば返す言葉もなかった。1つ目のフレーズでさえ出てこない。そんな俺を見かねてか手のひらの中から鳥の鳴き声が聞こえた。所々音が外れた上手いとは言えないものだけど歌詞は合ってるようで心なしか雲雀さんの雰囲気も和やかになった気がする。本当にこの鳥賢い。

    「名前だよ。」
    「…?」
    「名前。」
    「ヒバリ!ヒバリ!」
    「あははっ、君は雲雀さんが大好きなんだね。」

    ツンツンと突つくと擽ったそうにするのが可愛い。この子の名前は何だろうか。もっと遊びたい、なんて思っていたら雲雀さんの足が止まる。

    「着いたよ。」
    「あっ。」

    言われて見れば確かにようやく見慣れてきた自分の家だ。俺も続いて止まると手上にいた鳥は雲雀さんの頭の上に戻る。

    「ありがとうございました。」

    雲雀さんに向き直ってお礼を言うと無言で見つめ返された。その視線の意図はたかが数回しか会った事のない俺には計りかねる。

    「…?なんで家に入らないの?」
    「え、え?」
    「そこが君の家だろ。」
    「そうですけど……。」

    一体なんだと言うのだろう、と必死に頭を悩ませると初めて雲雀さんに会った時を思い出す。挨拶しただけで彼は驚くような人だ。

    「あ、あぁ、雲雀さんのお見送りです。送ってもらっておいて見送らないなんて出来ません。」

    予想通りと言うか何というか。俺がそう言うとやはり少し目を見開いて驚いているようだった。いやそんなに驚く事では無いと思うのだけれど。

    「…そう言うもの?」
    「だと思います…。」
    「ふーん、じゃあ僕は行くとするよ。」
    「はい、ありがとうございました。また明日。」

    俺の声に雲雀さんは片手を上げて応えてくれた。やっぱり雲雀さんは怖いだけの人じゃないと思う。

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