Notice now

限られた視界の中僅かに香る潮の匂いが海にいるのだと教えてくれる。たったそれだけの事なのにらしくもなく喉が震える。

「10分だけだ。少しでも怪しい動きをすればその足についてるのが爆発すると思え。」
「どうせCEDEFの人が沢山囲んでるんでしょ?構わないよそれぐらい。まさか本当に連れて行ってくれるなんてね。アリガト。」

僕の素直なお礼は余程意外なのか門外顧問である沢田家光はなんとも言えない顔をしていた。

「オレガノ。」
「はい。」

静かに重たい空気が取り囲む中僕だけはただ一人心が穏やかだった。今の僕にこんな厳戒体制での警備なんて全く無意味であるけれどそれは彼らに伝わらないだろう。例え僕がまだ何かを企てていたとしても海で、彼の愛した場所で血なんか流させない。絶対に、汚すものか。

「どうぞ。」

オレガノと呼ばれた、家光サンの部下だろう彼女がゆっくりと車のドアを開く。まだ早い時間の朝日は眩しく目が眩む。さっきよりも濃くなる潮の香りに引き寄せられるように僕は車から降りた。

「…眩しいね。」

僕の呟きに返事をしてくれるような人は居ない。いつも海を見る時側にいてくれた彼は居ない。思い返してみると僕は殆どの時間を名前と一緒に過ごしていた。初めのうちは偶然で、でもそれが必然できっと運命だった。だから僕はいつからか意図的に彼を探して白々しく初めましてを繰り返してきた。早く知り合ってより長い時間を過ごせるように。それぞれの世界で一緒に居られるように色んな彼の生き方を探して見てきた。僕らは殆どの世界で半生以上、4分の3、下手すりゃそれ以上の時間恋に落ち愛し合い共に過ごしていた。それも数え切れないほどの世界で。

何も知らなくてもただ受け入れてくれた。いや、聞けば一緒に居られないとでも"あの"名前は思っていたのかもしれない。いつも出て行く僕に「気を付けてね」とお決まりの様に笑顔で見送って、「おかえり」と安心した様に抱き締めてくれた。聞いたからって僕が彼を手放す事なんて絶対に無いのに。でも"あの"名前は何も知らないからこそ対等な立場で恋人としていてくれたから。それが楽しかったのも事実だ。ただの人であれる時間を作ってくれたのは"あの"名前だった。だから僕のあんな姿見せたくなかった。何も知って欲しくなかった。そんな世界も消えてしまったけれど。けれど、あの最後に見た彼の顔は頭から消えてくれなくて。

「名前…。」

君に会いたい。君の笑顔が見たい。いつもの様に僕の名前を呼んで欲しい。君と海が見たい。君の目に映る海が見たい。

結局僕の人生を構成していたのは名前だったのだろう。そんな事を今になって気付くなんて。でも今じゃないと気付けなかったとも思う。失ってから初めて気付く、なんて在り来たりな。望んでも居ない事だけれど。あんなにも一緒に居たから失うなんて事考えなかった。あんなにも一緒に居たから自分でも気付かない内に、気付かない程に彼を愛していた。彼の居ない世界はこんなにも美しくなくて、寂しくて、虚しいなんて。僕の世界は名前居てこそのものだったなんて。

「時間です。」
「…そっか。」

君も同じだろうか。まだ見ぬ今の君との世界を僕は歩みたい。また新しくこの世界を今度はゆっくりと。君もそう思ってくれるだろうか。もしこれが本当に運命なら、きっと。



「っ、親方様!」
「何だ。」

車に戻って発車を待つ最中、警備体制を万全にしなければいけないこの状況。僕があの部屋に戻るまで本来連絡など来ないハズだ。それでも誰かの携帯が鳴ると言う事は余程の事態なのだろう。案の定電話に出たオレガノは出た瞬間から血相を変えて焦っている様だった。沢田家光に代ろうにも僕の存在が気掛かりなのか戸惑っているが思ったより事は大きい様で電話は彼の手に渡った。流石に門外顧問ともなれば大事でも大きく動揺したりはしない。けれど眉間のシワがCEDEFだけの問題では無いと告げていた。そして何よりも電話を切った後視線が僕に向いている事がこの件の異常さを物語っている。

「どーしたの?誰か死んじゃった?だからって僕関係ないよね。これだけの監視で何が出来るって言うのさ。」

僕の軽口に誰も答える事なく目の前の門外顧問はただひたすら何か黙考していた。僅か数十秒だろうか、僕が怪訝な顔を返す中彼は漸く意を決した様に重く口を開いた。

「…白蘭…医学の知識は、あるか。」
「親方様っ!」
「誰か死にかけ?」
「………山本武が何者かによって怪我を負った。一刻を争う事態だそうだ。」
「ハハッ、それは災難だね。」
「お前の知識でどうにか出来るか。」
「僕に聞くって事は、そう言う事で良いんだよね?良いんだね、君達がそれを認めて。」
「待って下さい親方様!流石に我々の独断だけでは…!」
「やむを得ん…、出来るんだな。」
「でもまさか今から飛行機で行くなんて、言わないよね。そんな猶予がある程の怪我なら僕じゃなくても良い筈だ。」
「まさか、白蘭を先に行かせるとでも言うつもりですか!?逃す様なものです、許されません!」
「信用ないなぁ。」

余程山本武は危険な状況なのだろう、僕の提案に沢田家光は渋い顔をしながらも否定はしない。部下はそれでも認めたくないみたいだけど。でも未来のボンゴレファミリー、しかも守護者の一人の命をそう易々と見捨てる事はこの男には出来ないだろう。ましてや実の息子の友人なのだから。

「既に何人かは此方からも向かわせている。日本支部の奴らもだ。帰りも一人にする事は出来ない、俺が行くまで動くな。山本武の治療を終えても絶対に、動くな。いいな。」
「無茶です、そんな命令聞くわけありません!」
「確認出来なかった場合即刻逃亡と見なす。逃げたら必ず見つけて、殺す。ボンゴレ総員でだ。分かっているな。」
「ボンゴレにこんな大きな恩を売れるチャンスまたとない、約束するよ。」

納得していないと隠すつもりもない顔をした彼女に手枷や足枷を外される。久方振りに軽い身は何処までも行けそうだった。けれど今は、まだその時じゃない。2人で笑える未来を手に入れる為には。

だからもう少しだけ、待っていて。