どうやらお互いの心は一致していたようで。あの白昼夢のような出来事は、互いに何も触れない事で無かった事にするつもりらしい。何も起こらなかったかのように接してくるアリスに合わせ、僕も普段通り振る舞い続けた。
そんなアリスの態度に、やっぱりあれは気の迷いだったんだな、と思わさせられる。もしかして、を期待した自分が馬鹿みたいで。僕の心臓がキュウと締まった。
「何かあった?」
「…ううん、何もないよ」
心配そうにこちらを覗き込むアリスに笑顔を向ける。
ああ、こんな僕に優しくしないで。
醜い人狼な僕を君の綺麗な瞳に映さないでよ。
*
最悪だ。マダム・ポンフリーに連れられて来た叫びの屋敷の中で1人蹲る。OWLまで後1週間だというのに、満月の日が来てしまった。例え天性の才能には叶わないと知っていても、首席を取りたい。アリスに良い所を見せたい。その為には時間が足りないのに。
「にゃー」
扉から鳴き声が聞こえて顔を上げる。そこには、ピンクとスミレの縞々な毛を持った、金色の瞳の猫…チェシャ猫が居た。
「チェシャ猫…君、どうやってここへ?」
「にゃおん」
ただの猫が屋敷への道を知っているはずが無い。偶然が重なり、運悪く迷い込んでしまったのだろう。
「おいで、チェシャ猫」
腕を広げて名前を呼ぶと、一瞬躊躇うような仕草をした後、バッと勢いよく飛び込んできた。ふわっと甘いお菓子のような香りが漂う。飼い猫なのだろうか。腕にすっぽりと収まったチェシャ猫は暴れる事無く、大人しく僕に抱かれた。ああ、ぬくぬくしていて心地が良い。
「にゃう」
「ふふふ、くすぐったいよ」
頬をぺろぺろと舐められる。夜まで一緒に居てくれるのだろうか。チェシャ猫の目を見て微笑んでみる。ふと、ある事に気がついた。
「君、アリスと良く似ているね」
チェシャ猫の透き通った金色の瞳が彼女の瞳と良く似ていて。ああ、こんな時にもアリスの事を考えてしまうのかと苦笑した。
「にゃう?」
「ごめんごめん、君に言っても分からないよね」
チェシャ猫は「にゃ」と肯定とも否定とも取れない鳴き声をあげて僕の腕から降りた後、ぺろぺろと毛繕いを始めてしまった。
「あ」
ざわ、と全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。
ああ、今日も醜い人狼になる時間が来てしまったのか。
自分の身体が緩やかに人間から狼へと変化していくのを感じる。今日も親友達は来てくれるのだろうか。試験目前なのに申し訳ないな。
窓の外を見ると、丸い月が残酷なほど綺麗に光り輝いていた。
「にゃあ、にゃあ!」
慌てるような鳴き声を聞いて意識をチェシャ猫へと向ける。ああ、獣へと姿を変える僕を見てオロオロしているんだ。動物は襲わないはずだから大丈夫だとは思うけど。
「こんな姿を見せてしまってごめんね」
上手く伝えられたかは分からないけれど、その後すぐに僕の意識はブラックアウトした。
長い長い夜が始まる。
ひとり咎の道をゆく