虹村億泰は見守っている その1 億泰は家での百々子の様子を見て何かおかしいと思いながら、プリンを食べていた。風呂も入り、学生服からスウェットに着替えつけっぱなしのテレビは見るためではなく、ただのBGMとなっていた。
「百々子ー」
「………。」
「百々子?」
「…………。」
先ほどからかれこれ何度もこれを繰り返しているのだ。プリンを食べ始めた頃からだから三分は経っているだろうか。百々子は億泰の声に一向に反応を示さない。いつもだったら呼ぶとすぐに「なに?」とこちらを見てくれるというのにどうしたものか、と億泰は最後の一口を頬張る。
「俺頭悪いからなあ」
分からない、という現実を噛み砕くようにプリンを押しやった。
洗い物のために背を向けていた百々子はゆったりと億泰の方を向き「お風呂に入ってくる」と目も合わさずに言った。億泰は百々子がいつもより多くため息をつき、目線もぼうっとしているのを見て自分まで元気を失った声を出す。これはいよいよ自分だけではどうにもならない、と分かった億泰は、百々子が風呂に入ると言ってからすぐにある場所へ連絡をした。
♢♢♢
翌朝、百々子は億泰とも仗助とも顔を合わさずに登校し、早々とクラスに着くと仲良いい女子生徒といつも通り話していた。昨晩億泰から電話を受けた仗助はその様子を億泰と共にこっそりと教室の外から眺めていた。
「別に変わった様子は無さそうだがな」
「学校じゃあな?家じゃ俺のことほとんど無視なんだぜ?」
「お前なんかやらかしたんじゃねえか?」
「それに心当たりがねえんだよ」
なあ仗助なんでだろうなぁ、と縋るような視線を送る億泰に思わず仗助は笑ってしまう。何がおかしいんだよ、と言う億泰を見て、本当に妹のことになると必死だなと思ったことは今は伝えないでおこう。
しかし仗助の方も本当に億泰に原因があると思っているわけでもないようだった。それは百々子が談笑していたときである。別のクラスメイトの女子が百々子を呼んだ。その時百々子はほんの僅かに表情を歪めたのだ。最初に話していた女子生徒たちとは離れて、後から声をかけた女子の方について行く百々子を見て仗助は万が一を考え億泰を教室に戻らせたのち、百々子たちのあとを追いかけた。
美術準備室や社会科資料室など普段は使われていない部屋ばかりが集められた棟に向かう百々子たちに、仗助は何となくこれから起こることの検討がついてしまった。そうするとやはり億泰は連れて来なくてよかった、と思う仗助は家庭科室に入っていった彼女らを廊下から見張っていた。
人気の全くないこの建物で、百々子とクラスメイトの女子たちとの会話は仗助に筒抜けだった。
「高校からこっちに来た他所モンでしょ?仗助くんのこと全然知らないくせに、かっこいいからってしれっと仲良くしてんじゃないわよ」
「他にもアンタのこと気に食わないって言ってるの聞いたことあるんだから。これ以上嫌な思いしたくないなら、二度と仗助くんと話すんじゃないわよ」
「………。」
「ちょっと返事くらいしなさいよ!」
仗助は正直この時点でだいぶ怒りを感じていた。そもそもの原因が自分自身にあるのが何とも居た堪れないが、だからといって百々子がこんな目に遭うのはおかしいと思うからだ。しかし自分がここで出てしまうと余計に百々子は女子たちから反感を買ってしまうんじゃないんだろうか、と思うと仗助は身動きが取れないでいた。
「つーかアンタ虹村億泰と兄妹なんだってね。そりゃあんなバカで脳筋みたいな奴と同じ家で暮らしてたら…ッ」
百々子に囲っていた女子生徒は三人いた。そのうちの一人が言葉を途中で詰まらせたのは、彼女が百々子の胸ぐらを掴んでいた手を折れる勢いで何者かに掴まれたからだ。その掴んだ手がこの場にいる女子の手ではないことが分かると、女子生徒たちは先ほどまでの怖い顔つきが嘘かのように消え失せる。
「こういうのやめようぜ」
その声は彼女たちにとって最大の決定打だった。自分たちよりも遥かに背の高い仗助に見下された彼女たちは最悪なところを見られたというのに、手を掴まれた女子生徒にいたっては心底うれしそうに頬を赤らめている。そしてみな急に塩らしくなったかと思えば「仗助くんが、そう言うなら」「ねえ、そうよね?」「ごめんね虹村さん」と急に手のひらを返すものなので、仗助も百々子も正直目が点だった。女って怖えな、と思う仗助は、女子生徒が百々子の胸ぐらを離したのを確認するとすぐに自分も手を離し、百々子に大丈夫か尋ねる。しかし百々子は俯いていて顔がよく見えなかった。
「謝って」
「…百々子?」
「だからさっきアンタに謝ったじゃない」
「違う。私にじゃない」
「はあ?」
「億兄こと悪く言ったでしょ?謝ってよ」
「え、虹村のこと言ってんの?」
「億兄のこと何も知らないくせに、悪く言わないでよ!」
なんとここにきて百々子は自分の胸ぐらを掴んだ女子の髪を掴んで反撃したのだ。この行動には仗助もマジかよ、とかなり驚く。そしてスイッチの入った女子生徒も再び百々子の胸ぐらを掴む。仗助の制止の声も届かず、無法地帯となってしまった。仗助も必死になるがやはり相手が女性になるといつもと調子が違うのだ。言葉だけで収まるには限度があり、特に百々子の方には顔にひっかき傷ができてしまっている。それでも百々子は必死に謝れと懇願するので、女子生徒たちもその執拗さに圧倒されつつあった。
「億兄のことちゃんと謝ってよ!」
「なあ、百々子!お前もちょっと冷静なれって!な?」
「何も知らないくせに!億兄がどれだけ優しいか、知らないくせに!」
「百々子…」
「形兄だって…優しいのにぃ…ッ」
そこまで言うと百々子は急に先程までの勢いを失った。それが彼女が泣いているからだといち早く分かった仗助はさっさと女子生徒たちを追いやる。
「いいか。俺はこういうのが一番嫌いだ。二度目はねぇぞ」
そう忠告して女子生徒たちを退散させる。
「何なのあいつ急に泣き出して」
「しかもなんか最後違う奴の名前言ってなかった?」
「仗助くん、なんであんな奴に構うんだろ」
女子生徒たちが足早に教室に戻る際、そう言っているのを確かに聞いた人間がいた。虹村億泰だった。去って行く女子たちの死角になる場所で確かに聞いていた億泰の目もとは涙にまみれていた。百々子の言葉もしっかりと聞こえていたからだ。
「百々子、ごめんなァ」
絞り出された謝罪の言葉は誰にも届くことはなく、人気のない建物に吸い込まれていった。
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