虹村億泰は見守っている その2


「ちと沁みんぞ」

 その言葉通り百々子は自分の頬にぴりっとした痛みを覚える。思わず両方の拳をきゅっと握る百々子を見て仗助は彼女が自分よりも数段にか弱い人間なのだと改めて知った。保健室はちょうど先生が不在だった為に仗助が百々子の手当をしていた。本来ならクレイジー・ダイヤモンドですぐに治せるが、億泰から百々子にはスタンドにまつわることを言わないでくれ、と頼まれていたのでせめて傷が悪化しないよう、そして治りが早くなるよう努力した。

「お前、自分はこんなひっかき傷つけられてんのに、よくやり返さなかったよな」

 そう家庭科室での一件、百々子はたしかに謝罪を強要して女子生徒の一人の髪を掴んだが、その程度しかしなかった。逆上した女子生徒の方が百々子に傷をつけてばかりだったのだ。
 消毒を終えると次に絆創膏を探す仗助に、百々子は「ごめんね」と謝る。

「何謝ってんだよ」
「仗助くん巻き込んじゃったし、傷の手当ても…」
「むしろ巻き込んでんの俺じゃねえか?手当てくらいさせてくれよ」

 右の頬を半分に裂くかのように引かれたひっかき線を覆えるサイズの絆創膏を見つけると、ゆっくりと百々子の頬に貼り付けていく。

「仗助くんは億兄のことどう思う?」
「億泰か?良い奴だよな。まあ確かにちょっと頭よりも先に手が出るタイプだけどよ。俺、ああいう自分に素直な奴は嫌いじゃねぇよ」
「仗助くん…」

 そう言いながら百々子は泣いていた。確かに億泰は直感的な男で、低俗な言葉を使えば馬鹿と片付けられてしまうかもしれない。だが、仗助はそう言わずに億泰の短所を長所に変えながら言ってくれたその姿勢が、百々子に涙を流させたのだ。
 仗助は本当は形兆の最期に億泰を護るという兄としての優しい一面を知っているが、それを話すとせっかく作り上げた嘘の作り話が拗れてしまう可能性を考えて敢えて何も言わなかった。

「形兄も、優しいんだよ。プライド高いし、人を信用しないような人だったから、周りからは理解されにくいけど。私たちにとっては優しいお兄ちゃんだったんだよ」

 それは形兆の最期を見ていた仗助だからこそ知っていることだった。だが今は敢えて知らないふりをして上手いこと百々子の話に合わせた。
 百々子から聞く形兆の話はおよそ仗助には想像もつかない内容であったが、それでも百々子が表情豊かに話してくれるので仗助はそれがおもしろくて仕方がなかった。面白おかしいということではなく、興味が惹かれるという意味だ。百々子が話を終えたところで仗助は気になっていたことを尋ねる。

「お前最近ああいうのよくあんのか?」
「え…」

 億泰は自分が何かしてしまったのではないかと考えていたが、実際のところはそうではなかったらしい。図星だというのは百々子の言葉を待たずにすぐに分かった。こんなに顔が分かりやすく引き攣れば誰だって思うだろう。

「……うん。他の子たちからは無いんだけど、さっきの子たちが結構しつこくて」
「…はあ、マジで気分わりーな、こういうの」
「いや、でもみんなが仗助くんのことが大好きなんだなっていうのはすごく伝わってくるし、愛情の裏返しというか」
「そういう捻くれた情ならいらねえよ」

 少しばかり強い言い方に百々子は思わずびっくりしてしまう。カフェで気さくに自分に話しかけてくれていた少年が、こんなに怖い顔をして唸るような声を出すだなんて思わなかったからだ。

「でもしつこさで言ったら私も同罪なんだよ」
「何でだよ」
「私も家族のこと悪く言われると、自分でも止められないくらい怒っちゃうから」

 言われてみれば、と仗助は先程のことを思い出す。確かに百々子が執拗に怒り謝罪を強要しているのを思い出したが、この言い方だとおそらくここ最近の呼び出しの時に家族のことは取り上げられていたらしい。

「そりゃ普通だろ。誰だって家族を悪く言われたり、傷付けられたら激しく怒るもんだ」
「仗助くん…」
「ということらしいぜ、さっさと出て来いよ」
「えっ!?」

 仗助は話が見えてきたところでずっと隠れていた人物を呼んだ。家庭科室の時から気付いていたようだが、敢えて声をかけなかったらしい。しかし後は家族の話だと思ったのだ。状況が掴めていない百々子は、未だ混乱しながらも仗助が見つめている方向を同じく見る。そしてそこに現れた人物を見て「あっ」と声を出したのだ。

「億兄?」
「…なんだよ仗助、気付いてたのかよ」
「たりめーだ。教室戻ってろっつったのによ」
「だってよォ、百々子がいつもと違えから、俺だって心配だったんだぜ」
「アイツ昨日百々子が変なんだ、俺には何も分からねえ、って俺に泣きの電話入れてきたんだぜ。最初に電話出たお袋がビビってんだからな」
「…そう、だった、の…?」

 そう言われてようやく百々子は昨日家であまり億泰と会話をしていなかったことを思い出す。学校で何度も呼び出しを受けては仗助に近付くな、馬鹿の妹のくせに、などと罵倒を浴びせ続けられ精神的に疲弊してしまっていたのだ。

「俺ァ、別に誰に何言われたって構わねえんだよ。けど、百々子が何か言われんのは、腑が煮え繰り返りそうだ」
「億泰、それは百々子も一緒だ。お前ら家族はみんなして絆が強い。だからこそ普段温厚な百々子があんなに必死になって食ってかかってたんだぜ」

 そうだよな百々子、と仗助が言うので百々子はこくりと頷く。

「だからね、私一つ思いついたの」
「お?何だ?」

 ほんの少し残っていた涙を拭い取り座っていた丸椅子から立ち上がる。そして億泰のもとまで颯爽と歩いていくと億泰の大きな手を握る。そしてきらりと輝く宝石のような瞳で億泰を見上げてこう言った。

「勉強しよう、億兄」
「あ"!?」
「ブッ…」

 仗助何笑ってんだ、と億泰が声を上げるが百々子の方は至って真剣に億泰に訴えかけていた。

「勉強して賢くなって、他の人たちに馬鹿にされないようになろうよ」
「いやぁ、俺勉強嫌いだからよォ」
「だめ!こっちだって言われっぱなしなのはムカつくでしょ。だったらギャフンと言わせるんだよ!」
「え〜〜!仗助!笑ってねえで何とか言ってくれよ」
「良い機会じゃねえか、しっかりシゴいてもらえよ」
「仗助ぇえ〜〜!」

 仗助は笑っていたが、内心はとても羨ましいと思っていた。自分には無い家族の形、兄妹っていうのは良いもんなんだなと心の底から思っていたのだ。そして億泰にも少しばかり感心していた。口では腑が煮え繰り返りそうだ、と言っておきながら、億泰は必死に堪えていたのだ。百々子が賢明に兄の尊厳を守ろうとしているのが分かっていたからこそ、邪魔してはいけないと自制しているのが、仗助にはしっかりと分かっていた。

 この兄にして、この妹有り。仗助には正しくそう思えた。

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