東方仗助は不器用だった


 翌朝のことである。億泰が朝の東方邸にやって来るのはもはや日常と化していたが、その日は違った。

「仗助、はよー」
「おー億泰。悪いがちと中で待っててくれるか?あと少しなんだよ、ここが決まればすぐにでも出れんだけどよ」
「東方くん毎朝しっかりセットしてるんだね〜、すご〜い」
「……ア?!」

 億泰の背後からひょっこり顔を出した百々子に思わず仗助は手を止めてしまう。自身もまたここに来るのが当たり前だといわんばかりに自然な様子だったが、仗助の頭は混乱していた。だが明白に感じたことは、今日は母親が早出か何かだで家に居ないのが救いだったということだ。

「おはよう、東方くん」
「…はよ」
「なあ仗助急げよ、そろそろ出ねえと遅刻すっぞ」
「おう…」

 なんとなく歯切れの悪い返事をした仗助はちらりと百々子を見る。すると百々子は「きれいなお家だね」と億泰に言っていた。なんだか落ち着かねえと思いつつも二人を遅刻させるわけにもいかないので、急いで髪のセットを終わらせる。

 その日の登校時はやけに周囲からの注目を浴びていた気がするのだ。仗助は元々整った顔立ちであることもあり中学の頃から知る女子たちからいつも声をかけられていた。それは何となく仗助も把握はしていたが、その意味をあまり深く考えたことは本人はないはずだった。そしてその黄色い声は今日は何故か仗助の耳には届かなかった。代わりにいつも以上にじとりと感じる視線だけが、仗助たちにまとわりついている。ちなみにこれに気付いているのは、仗助だけであって呑気な虹村兄妹は全くそんなこと気にしてはいないようだ。

 学校に到着し、昇降口から教室に向かう。億泰のクラスが手前にあるので一足先に億泰は二人と別れ、仗助と百々子は二人で教室までの数メートルを共に歩いた。そのときになって気付く。二人になると何を話していいか分からない。仗助が一人で悶々と考えている中、百々子はそんなことつゆ知らず仗助を見上げていた。

「東方くんって背高いよね。億兄も結構高い方だと思ってたけど、それよりももっと大きい気がする」
「…そうか?あんま気にしたことねぇけど」
「でも今が育ち盛りだからもっと大きくなるかもね」

 そんなことを言いながら教室に入る。そんな二人に真っ先に声をかけたのは康一だった。

「おはよう仗助くん。二人で登校してくるなんて珍しいね」
「お、おう…億泰も一緒だったぜ」
「そうなんだ!百々子さんもおはよう」
「…あ?」

 仗助はその異変に間髪入れずに反応してしまった。そして残念ながら康一も百々子もそのことには気付いていない。仗助の脳内はこうだ。康一に先を越された。おそらく康一は下心なんてなくクラスメイトだからということで百々子のことを下の名前で呼んだのだろう。だがそれが仗助には出来ない。何故なら、下心が全くないと言い切れないからだ。

「おはよう広瀬くん」
「百々子さん、せっかくだから僕のことも康一って下の名前で呼んでよ。これから何かと一緒に過ごすこともあるだろうし」
「いいの?じゃあ康一くんって呼ばせてもらうね!仲良くなれたみたいでうれしいな」

 本当にただの友達として、そうして欲しいという気持ちから康一が提案したのが分かるやりとりだった。自分にもう少しこのフランクさがあれば、と内心頭を抱える仗助だった。そしてこんなときに限って教室にいた女子たちから「仗助くーん、おはよう!」なんて声が聞こえてくる。違うんだ。そう呼んでほしいのはオメーらじゃねえんだよ、と心の中で舌打ちをしてしまった。

「ね、仗助くん」
「お、あ、わりぃ。聞いてなかったわ」
「もう何ボーッとしてんのさ。仗助くんもいいよね?」
「何がだ?」
「百々子さんに名前で呼んでもらうの」
「!? おう、別にいいんじゃねえか?」

 急に話の内容が自分のことに切り替わっていたので、その内容について行くのに必死になっていた仗助は、反射的に康一の提案を了承する。しかし冷静になって考えると急に恥ずかしさが込み上げてくるものだ。そもそも高校生にもなって名前で呼び合うことに許可が必要なものなのだろうか、と仗助は思う。しかしながら先程百々子が「仲良くなれたみたいでうれしい」とも言っていたので、全く意味のないことでもないのだろう。
 にしてももう少し言い方はないものか、と仗助は後悔した。

「じゃあ私も今日から仗助くんって呼ばせてもらうね」
「おう…」
「ん?」
「…いや、その…なんっつーか」

 せっかくなんだから何か一言くらい康一のように気の利くことを言え、と自分を鼓舞する仗助。そしてそんな彼の口から出た言葉は―――。

「まあ、虹村って呼ぶと億泰もいるし、区別つかねぇからな」

 仗助は思う。俺って案外不器用なんだな、と。

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