やさしい獣は恋をする その2 その日一日、仗助はご機嫌だった。それはクラスメイトにも指摘されていたし、担任にも気付かれていたのだ。しかしそれを康一や百々子の友人が彼女に尋ねたところで「そう?いつも通りじゃない?」と言っていたらしい。
そしてついにやってきたお昼の時間。仗助はそれはそれは楽しみで仕方がないという様子だったが、やはり百々子には伝わらないらしい。しかし昼休みになるとすぐに仗助が百々子のもとへ行ったので、クラス中が彼のご機嫌な理由が分かってしまった。
「百々子、行こうぜ」
「うん。そうだね」
百々子の手に二人分のお弁当が携えられていることはクラスのみんなが見ていた。そんなクラスメイトの視線なんて全く気にせずに二人は教室から出て行く。その一部始終をしっかりと見ていた康一は「僕の知らない間に進展していたのか!?」と驚きを隠せなかったという。
二人が教室を出るとき、再び例の女子たちが何かヒソヒソと話しているのが聞こえたのは仗助であった。仗助はその女子たちの方を睨みつける。すると女子たちは見つめられた嬉しさ半分、これ以上仗助に嫌われたくない気持ち半分という複雑な心境だった。
珍しく人気の少なかった中庭はもちろん仗助がしっかりと人避けをしていたからだ。花壇に囲まれたこの中庭には、ベンチが円状に並べられている。その一つに腰掛けて早速弁当を広げ始める百々子に、その手際の良さがもはや母親のように感じられた。
「はい、どうぞ」
「うお〜〜!すげえ!めっちゃ豪華!」
「そんなことないよ。余り物ばっかりだし」
百々子が広げた弁当箱の中身は実に色とりどりに飾られていて見ているだけで涎が出てしまうほど、仗助を誘惑していた。一晩下味をしっかりつけたという唐揚げ、一つ一つが大きなエビチリ、赤黄緑と鮮やかな青椒肉絲、几帳面に巻かれただし巻き卵、しっかり焼き目のつけられたウィンナー、ブロッコリーにも何やら味付けがされているらしい。それらがゴロゴロと弁当箱の中でひしめき合っているのを見て、仗助はお世辞ではなく何度も「美味そう」と言っていた。
「早速食べよう」
「おう、いただきます」
「いただきます」
仗助はまず唐揚げから箸をつけた。弁当にするとどうしたって揚げたての美味しさとは変わってしまうが、冷めていてもしっかりと味を堪能できた。あまりの美味しさに仗助は言葉を失ってしまう。唐揚げを一つ平らげると、次はエビチリ、その次は卵焼きと次々に食べていく。どれも仗助の好きな味付けで、どんどん箸が進んでしまう。そんな黙々と弁当を食べ続ける仗助を見て、百々子は一つ気になることがあった。
「あの、お口に合わなかったかな?」
「…なんで?」
百々子の方はまだ三分の一も食べていないと言うのに、仗助はその時点でもう半分以上は弁当箱が空になっている。
「あまりにも無言で食べてるから…」
「わりい、美味すぎて食べることに夢中になってたわ」
「そうなの?だったら良かった」
仗助の言葉が嘘では無さそうだと分かると、百々子はようやく緊張が解れたのかにっこりとトレードマークの笑顔をつくる。
「マジで全部うめえ。これいくらでも食える。つーか店で買うより美味い!」
「そう?お世辞でもうれしいよ。億兄はそんなふうに言ってくれないから」
「クッソ、億泰のやつこんな美味い飯食えてんのかよ、幸せかよ」
仗助が最後の唐揚げを頬張ったその時である。百々子が声を出して笑った。一緒に過ごすことは多かったものの、百々子がこんなにしっかりと笑うのを見たのは仗助も初めてだったらしい。思わずそんな百々子に見惚れてしまっていた。
「仗助くん、褒めすぎだよ」
そんなに褒めても何もないよ、とはにかみながら自身を見る百々子に、仗助の心臓がまたバクバクとうるさくなった。
もう自分の心の中にずっと渦巻いているこの気持ちを白状せざるを得ないのだろう。
初めて会ったあの日から、危なっかしくコーヒーを運んできてくれていた彼女を見ていたあの時から、仗助の心の中に百々子はいた。最初こそ「かわいい」くらいの気持ちだったが、後から考えると柄にもなく一目惚れというものをしていたのかもしれない。
しかし仗助にも分かるほど百々子の方は自身を全くそんな目で見ていない。だとしても仗助の目に見える世界は今一際鮮やかだった。まるで煌びやかな宝石に囲まれたようにキラキラと輝いて仕方がないのだ。
百々子のことが好きだ、と認識したその瞬間から好きという気持ちが溢れ出てくるのが分かった。心がじんわりと温まっていくような、体の中から込み上げる愛しいという感情が血液を伝って全身にめぐるようなそんな感じなのだ。全くもって大袈裟かもしれないが、仗助にとってそのくらい影響のあることだった。
まさか隣に座っている男にそんなふうに思われているとも知らない百々子はまったりと弁当を食べていた。時折、おかずのレシピを交えてみたり、実は唐揚げは焦げて失敗したのだというエピソードを交えてみたり。そのときの百々子の豊かな表情や髪を耳に撫でつける仕草の一つ一つが、仗助の心を擽る。
「マジで俺、今超幸せだぜ」
「グレート?」
「超絶グレート」
戯けてみせる百々子を可愛いという一言で包めてしまうくらい仗助の感情は大きくなっていた。
「また弁当作ってほしいっつったら嫌か?」
大きくなった感情は仗助に少し大胆さを与えた。
「もちろん!だったら今度は仗助くんの好きなものつくるよ」
何が好きなの、とにこにこと愛くるしい笑顔で仗助に尋ねてくるので、仗助は嬉しくて仕方がなかった。気をつけていないとすぐに緩む口の端を一生懸命いつも通りに動かして百々子の質問に答えていく。これに便乗して百々子の好きなものを聞いて、ちょっとばかし放課後に遊びに行くのも良いな、なんて考えていた仗助であった。
彼の本当の恋物語は、これからなのである。
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