岸辺露伴は考える


 その日、岸辺露伴は気晴らしに町内の散策をしていた。写真を撮ったりデッサンをしながら町内を歩き回るうちに喉が渇いたため、目と鼻の先に見えたカフェに入ることにした。
 愛想の良い店員に案内されテラス席に座らせてもらう。そこでさっさとコーヒーを注文して運ばれてくるのを待っていた時であった。近くから男性の荒い声が聞こえてきた。クレーマー気質の男かそれとも本当に店員がなにかしでかしたかだろう。露伴は他の来店客と同じようにその男が座るテーブルを見た。
 そこには小柄な男性が座っていた。年齢はおそらく自分と同じくらい。黒い髪を立たせるようにセットをし、口の左の十字傷が特徴的だ。

「本当にすみません…」
「いやあね、謝られたってこっちもねって話なんですよ、ウェイトレスさん」
「はい…では、今店長を呼んで参りますので」
「いやいやいやいや、そんな。謝る頭が二つに増えたって、僕だって困りますよォ」

 そう言ってふんぞり返っている男の白いシャツには茶色いシミができている。おそらくはあの女性店員がコーヒーを溢してしまったのだろう、と露伴は推測する。しかしながら彼女の方も相当参ってしまってるようだ。あんなに謝っているにも関わらず、男は煮え切らない態度を取るのだ。代金の支払いについて言うのでもなく、洋服を弁償しろと言うのでもない。出口のないクレームはかなり心労を要する。完全に参ってしまっている女性店員にそろそろ可哀想だという視線が集まってくるときだった。
 露伴は女性店員の胸元に着目した。

「なに…何だ、あれは…?」

 女性店員の胸元には見たことのない大きすぎる錠前が飛び出ていたのだ。異様な雰囲気が感じられるその錠前、そして困惑しきっている女性店員を前に口の端を釣り上げる男。露伴は男が自身と同じスタンド使いであることを理解する。そして、露伴はそのスタンド使いを知っていた。厳密には、ある人物を通して知ることができていた、が正しいだろう。

 そこにもう一人の店員がやってきた。まず最初に深々と頭を下げた少女は、おそらく露伴よりも年下である。高校生くらいではないかと推測し、少しの間彼女の対応を見ることにした。あの男があまりにもひどいようであれば、自身のヘヴンズ・ドアでこの店から退却させようと考えていた時だった。
 露伴は違和感を覚える。

 少女は女性店員の胸元を自身と同じく注視していた。

「彼女、見えているのか?」

 しかしながらその視線はすぐに目の前の男に移り、物腰柔らかな態度で謝罪をしていた。

「気のせい、か…」

 もしあの錠前が見えているのであればスタンド使いということになるが、その場で自身のスタンドを出さないあたり、おそらく何か虫でも止まっていて見ていただけであろう。露伴はそう考えた。

「お客様、もし宜しければお召し物をお預かりさせていただきたいのですが」
「ハァ?何、預かってどうすんの、クリーニングにでも出すつもり?」
「まあそんな感じです」
「困りますよォ。これ僕の一張羅なんですからね。何日も手元にないってのは、ちょっと困りま」
「大丈夫ですよ、すぐにお返しできますので」
「は?」
「百々子ちゃん、大丈夫?どうするの?」

 少女は見た目とは違いかなり力強く男にそう言い放った。しかし汚れた衣類をすぐにきれいにするなんてことできるのだろうか。いや、そんなことはできない。洗ったって乾かすのに時間はかかるし、新しいものを用意するにしたってブランドの特定やそれを扱う店を探すとなると時間はかかってしまう。流石に困っていた女性店員も少女に尋ねていた。少女の名は百々子ということを露伴は記憶した。
 百々子の言葉に半信半疑ながらもシャツを脱ぎ彼女に手渡す男。百々子はシャツを受け取り一度店の奥のバックヤードまで戻る。一分経ったくらいだろうか。店内の方からこちらにやってくる少女の頭が見えると、それはやはり百々子だった。手に持っていたのは先程のシャツに変わりはないようだった。
 ―――しかし。

「はぁ!?なんで?何で消えたんだよ、コーヒーのシミは?」
「百々子ちゃん、すごい!どうやったの?シミなんて無かったかのような真っ白さよ!」
「今からお詫びのコーヒーもお持ちいたしますので、よろしいでしょうか?」

 百々子はにこやかにそう男に言う。男はもはや頷くことしか許されなかった。百々子の行いは他の客にも評価されていて、そこかしこからパラパラと拍手が起こっている。いつの間にか女性店員の胸元から錠前が消えていた。彼女は「なんだか、胸のあたりがスッキリしたわ」と喜んでいた。それを見た百々子もうれしそうに笑っている。
 露伴は考えた。あの百々子という少女、一体何者だ?何故あのコーヒーのシミを一瞬にして消すことができたのだ?しかし考えても考えても露伴の思考は纏まらなかった。何か自身の知らない洗濯の裏技的なものが存在するのだろうか、と顎に手を当て脚を組み替え考える。

「お客様、すみません。大変お待たせいたしました」

 ようやく露伴のもとにも注文していたコーヒーが運ばれる。露伴は店員に少し尋ねてみることにした。

「ああ、百々子ちゃんですか。優しくて仕事熱心な子ですよ。さっきみたいなクレーム対応にもすごく冷静に対処できるんです」

 今時の高校生ってすごいですよね、と笑った女性店員は先程とは別の店員であった。彼女からの回答は露伴にとって然程有益なものではなく、あまり自身の疑問を解消してくれるものではなかった。

「そういえば彼女、確か今年の春からこっちに引っ越してきたって言ったましたよ。あと兄弟がいるって言ってたかな。お兄さんが二人…あっ、でも長男さんはつい最近亡くなったって言ってなかったかしら」

 岸辺露伴は漫画家である。日常のあらゆることを観察しているため、情報収集能力は高い。しかも少し前に授かったこのヘヴンズ・ドアというスタンド能力はこの情報収集に更に役立った。

 あのクレーマーの客・小林玉美のことも以前広瀬康一にヘヴンズ・ドアを仕掛けた際に知り得ていた。その情報を入手したとき康一のこの春からの怒涛の出来事に目を疑った。そして確かそこに同じく兄を最近亡くしたという少年の情報が記録されていたはずだ。

「いや…まさかな…」

 そう露伴が否定するのも無理はない。何せ顔が全然似ていないのだ。あんな不良の虹村億泰と百々子のことが露伴の中ではどうしたって結びつかなかった。
 だからこれは偶然なのだ、と言い聞かせるため温かい珈琲を一口飲んだ。

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