わたしは魔法使い あの後百々子は一時間くらいしてバイトの勤務が終了したので、家への道をのんびりと歩いていた。夕陽を背中に感じながら一日の学校での出来事とアルバイトで学んだことを反芻しながらの帰り道が百々子は好きだったりする。
しかし今日はその帰り道が邪魔されてしまう。
百々子は足元に突然違和感を覚えて思わず体が宙に浮いてしまうのが分かる。転んでしまわないようになんとか足に意識を集中させた。そのおかげできちんと着地できたのは良かったが、彼女は自分が何に躓いたのかを確認して絶句してしまう。
そこには白い布の袋があった。しかしそれはやがて内側からじんわりと赤に染まっていく。
「え、…えっ?」
百々子の脳内にはすぐに最悪の想像が出来上がる。確かめるため、しゃがみ込み震える指先で袋を上から軽く触ってみる。するとそれは柔らかかった。そして「にゃあ」という声が聞こえた。明らかに生きた猫がこの中にいる。そう思った百々子は動揺を隠しきれなかった。
「おやァ?誰かと思えば、さっきのカフェのウェイトレスさんじゃないですかァ」
百々子が血まみれの袋を前に恐怖に慄いていた背後から声をかけたのは、先ほどカフェで一杯食わされた小林玉美であった。百々子は玉美の顔を見てつい先程カフェで見た顔だと思い、いろんなことが頭の中で巡って「あ、ぁ…どうも」と気の抜けた声を出してしまう。すると玉美はニタリと笑った。
「あれェ、どうしたんですか?その後ろにあるもの。なんか地面が赤くないですかァ?」
「あ、これは…」
「そういえば、さっきから俺の猫がいないんですよ。知りません?」
「え、猫…?」
「そうそう。袋の中に入ってる猫なんですがね」
「………!あの、すみません。その子なら、私が今…」
「えぇ!?どういうことですかァ!?」
百々子が正直に答えると玉美は大袈裟に声を荒げた。そしてその瞬間に玉美の口元は更に歪み、ザ・ロックが発動する。百々子は急に重くなった胸元に視線を落とす。すると玉美は「へえ、アンタも見えんだ」と近くのベンチにふんぞり返った。
「何…見えるって…。重い…」
「君それ、ぶどうヶ丘高校の制服でしょ。俺もあそこの出身なんだよね。先輩には敬語使わないと。敬わないと」
ねえ?と口の端を釣り上げた玉美に百々子は違和感を覚える。
「猫、心配じゃないんですか」
「ハァ?俺の話聞いてた?」
「どうして猫を袋に入れるんですか」
「先輩の話を聞かない子は嫌いだねえ。それは君に関係ないでしょ。でもまあ、猫の葬儀費用や埋葬費用なんかはきっちり請求させて…」
「その心配はいりません」
百々子は動揺しながらも静かに怒りを覚えていた。真っ赤に染まってしまった袋とその中にある猫に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、淡々と玉美に尋ねる。一見温和で柔らかな印象の百々子に漬け込んだ玉美は、その静かな怒りを感じ取り怯んでしまう。
玉美は根に持っていた。先ほどのカフェでの一件。せっかく店員にわざとコーヒーをこぼさせ、連絡先を尋ね金を揺すろうかと考えていた彼は、それを笑顔と愛想の良さで潰してしまった百々子に、仕返しをしてやろうと企んでいたのだ。なんなら無理矢理にでも良いように扱ってやろうと下品なことまで考えていた始末だった。百々子のあの第一印象があったからこそ、玉美をここまで動かせてしまったのだが、玉美は今そのことを後悔していた。
玉美は百々子が確かに自身のスタンド、ザ・ロックの錠前に触れたのを確認した。その際何か口にしていたが、その時の玉美にはそこまで確認する余裕はなかった。
「…何故、お前まさか…」
「さっきから何の話をしてるんですか?」
「何だ、お前。やはり俺の勘違いか…」
玉美は百々子がスタンドが見えているのではないかと疑った。しかし当の百々子はそれを肯定しなかっために、自身の疑問は杞憂であると胸を撫で下ろす。だが、彼は衝撃の光景を目の当たりにする。
「な、なにィ!?」
「……あれ、随分と胸が軽くなった」
百々子の胸元に確かに発現させていた錠前が何故か消えていた。玉美の素っ頓狂な声など気にもとめずに百々子は後ろを振り返る。そして猫がいたという袋を触って、中身を確認する。そして百々子は振り返りにっこりと笑った。
「これはどういうことですか?」
百々子の手には先程真っ赤に染まっていたはずの袋とその中に入っていたであろう猫の人形が左右に持たれていた。玉美は冷や汗を流しながら後退る。
「だから、なんで…消えてんだよォ!?」
玉美がそう叫ぶのも無理はない。先程百々子が蹴って真っ赤に染まっていたはずの袋も猫も何故かまっさらな状態に戻っていたのだ。カフェでのコーヒーのシミといい、玉美は訳が分からなくなり悪巧みのことなんてすっかり忘れてしまう。
更に玉美への悲劇は続く。
「あらァ?アイツはこの前康一虐めてた奴じゃねえか」
「オメー、百々子と何してんだ?」
「百々子さーん、大丈夫ですかぁー?」
「え?!なんで、虹村億泰が…?しかも東方仗助と…こ、康一殿まで…っ!」
土手下の道路で会話をしていた百々子たちを見つけたのは、億泰と仗助、康一の三人だった。玉美はすぐに百々子が康一たちの知り合いなのだと分かると手のひらを返すように百々子に対して笑顔をつくる。
「なんだ、百々子さん。康一殿たちと知り合いだったんですね」
「…はい…まあ…」
玉美の変わりっぷりに思わず百々子は目を丸くし言葉を失ってしまう。そして彼女もまた玉美が康一たちと面識があることを理解した。その頃になると土手上から声をかけてきた億泰たちがこちらに降りてくる。玉美は康一に向かって随分と腰を低くしながら挨拶をしていた。百々子は康一にだけその姿勢であることにも気付いたが、その辺についてはあえて追及しなかった。
「百々子、どしたんだ?」
「コイツになんかされたんじゃあねェのか?」
億泰と仗助にそう尋ねられ、百々子はちらりと玉美を見る。その目は「言わないでください。絶対ボコられる」という顔だった。百々子と玉美はこの時しっかりと認識し合っていた。
「この人カフェでわざとにコーヒー溢してスタッフを虐めてて、その後つけてきて今度は私を脅そうとしてたみたい」
「な…!お前今意思の疎通ができてたんじゃねぇのかよ!」
呆気なく暴露された自身の悪巧みを黙っていなかったのは億泰だった。億泰はわざと玉美の肩をとり「いいかァ、百々子は俺の妹なのよ」という語りからやさしくていねいにいいきかせた。
康一もそんな様子を見守るなか、仗助はあるものに注目する。百々子が手に持っていた袋と猫は、おそらく玉美が康一を揺すろうとしたときと同じ手口だと判断したのだが、康一のときとは明らかに違うことがあった。
「百々子、お前その袋、蹴飛ばしちまったんだよな?」
「うん。そうなの。趣味悪いよね」
百々子がそう言って左右それぞれに握られた袋と猫の人形を仗助に見せる。しかしだとするならば、やはり仗助の中に疑問が残る。
仗助たちが百々子を見つけたとき、百々子はしゃがみ込んでいた。おそらくこの袋を蹴飛ばしてしまったからだろう。そして直後に玉美がやってきて何やらやりとりをしているのが見えたのだ。玉美が出てくるということは、康一のときのように猫が死んだと標的が認識した合図でもある。だから地面や袋、猫の人形本体には血に見せかけた何かが残っているはずなのだ。
しかし百々子が持っている袋にも、猫の人形にも、そして地面にもその赤い痕はどこにも見たらない。
仗助はここに違和感を覚えたのだ。
「なあ、カフェでアイツ何したんだ?」
「何って、最低なんだよ。わざと珈琲を溢してスタッフの一人にネチネチ言ってたの。その人何回も謝ってたのに」
「そんで、どうなったんだ?」
「シャツのシミを取り除いてすぐに返したよ」
「……コーヒーのシミをすぐに消したのか?」
仗助は更なる疑問に顔が強張る。
「私、魔法が使えるんだよ」
百々子は屈託なく笑ってそう言い「なんてね、ちょっとして裏技があるんだ」と続けたが、仗助は何故かいつものように笑えなかった。そして仗助の中にほんの僅かな疑惑が生まれる。
そうこうしているうちに玉美がようやく億泰からのいいきかせが終わったらしく、足早にその場を去ろうとしていた。康一に深々と頭を下げた玉美は、そのまま仗助の方向に歩いてくる。自身の横を通り過ぎようとしていた時、仗助は確かに聞いたのだ。
「アイツ、何で消せたんだ…?!億泰の妹ってなら、やっぱりアイツもスタンド使いなのか…?」
確かに仗助は聞いていた。
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