トニオ・トラサルディーは勧誘したい


 トニオ・トラサルディーは最近この杜王町にやってきたイタリアンレストランのオーナーシェフである。彼は最近気になっている人がいた。それは恋愛的な意味合いではなく、是非とも自分の店で一緒に働いてほしいという意味であった。
 そして今日も今日とて、彼女が働くカフェにやってきたのである。

「百々子さん、こんにちハ」
「トニオさん、またいらしたんですか?」
「まただナンテ。ココのコーヒーは美味しいですカラネ」

 そう言って爽やかなブルーのシャツを身にまとったトニオに受け答えをした百々子は、少し困ったような表情を作りながらも笑って彼を店内に案内した。
 百々子が「また」と言ったのには理由がある。実はトニオは最近毎日と言っていいほどこのカフェに来店してるのだ。自身もレストランを経営しているにも関わらず、合間を縫って顔を出している。彼はただでさえ日本人離れした端正な顔立ちを持ち合わせている上に、自身も接客業を営んでいるため、人当たりも良い。おかげでカフェの他の店員たちはすっかりトニオの虜になってしまっている。だから「また」という言葉を少しネガティヴに使っているのは、実は百々子だけである。
 その理由は、彼の言動にあった。
 百々子から席に案内されたトニオは流れるようにアイスコーヒーを、と注文した。そして百々子の方もそれを分かっていたかのように頷く。そのまま去ろうとしたところで、トニオは百々子の手を握った。

「百々子サン、ぜひワタシと一緒に働きまショウ」
「もう何度も言ってますが、私はここの一スタッフです。そう簡単には辞められませんよ」
「アナタのそういう真面目な態度もすごく魅了的なんデス」
「そんな褒めてもダメですよ」
「結構強情なんデスネ…」

 そういうところもステキです、とさらに続けるトニオに百々子はたじろきながらも笑顔を忘れなかった。トニオは百々子のそういうところに興味を惹かれているのだ。トニオの意思は至ってシンプルで彼が先ほど述べた通り、百々子に自身のレストランで働いてほしいというものだった。百々子を口説き落とすためにこうして毎日カフェに訪れているのだが、こんなに献身的な態度を示しているにも関わらず一向に靡かない百々子にトニオの方も無意識にムキになっているのかもしれない。

「では、こういうのはドウデショウ?」

 トニオは閃いたと言わんばかりに目を輝かせて百々子の方を見る。百々子は首を傾げながら、彼の言葉を待った。

「一度ワタシのお店に来てみてくだサイ」
「イ、イタリアンですか…?少しハードルが高いと言いますか…」
「そんなことないデスヨ。カジュアルな格好で来てくださって大丈夫デス。お金もお気になさらず、今回はワタシのお願いですのデ」
「うーん、分かりました。そこまで仰るなら」

 百々子の答えにトニオはさらに嬉しそうに目を輝かせる。

「あのお金はしっかり払うので、せめて誰かと一緒に行く形でもいいですか?」
「チェールト!(もちろん)」
「じゃあ兄と伺いますね」

 百々子はさらに「今週の日曜はバイトが入っていなかったので」と伝える。トニオはとても満足そうな顔をしていた。

♢♢♢

 週末何も用事はないのでいつもの如く億泰と康一と共に仗助の家でゲームでもするか、という話になっていたところ、億泰が用事があると言ったことから、話は始まる。

「何だよ用事って。お前!まさか女か!?」
「え!?そうなの億泰くん?」

 金曜日の帰り道。しれっと用事があることを告げた億泰に対し、仗助と康一は食い気味に億泰に問う。億泰はその勢いに圧倒されつつも、歯を見せてこう言った。

「ちげェーよ。百々子と飯食いに行くんだよ」
「なんだ、百々子さんとか…」
「…へえ」

 百々子と行くというワードを聞き安心したような表情を見せる康一と違い、仗助は少し羨ましいという気持ちを滲ませている。康一にはそれがすぐに分かったが、億泰は全く気付いていない様子だった。

「けど珍しいな、なんかめでたいことでもあンのか?」

 すぐに切り替えた仗助は何気なく億泰に尋ねる。

「なんかよォ、トニオさんから飯に来てくれって誘われてるみたいなんだよ」
「何!?」
「トニオさんが!?」

 トニオというとついこの前仗助が億泰とともに食べに行ったイタリア料理のレストランを経営するトニオ・トラサルディーのことである。そのトニオが百々子に食べにきてほしいと誘ったということだろうか。仗助はまさかトニオも百々子のこと狙っているのか、と憶測する。しかしだとしたら億泰が行かせやしないだろう。

「なんか百々子ンとこのカフェに一回来たらしくてよォ、そしたら百々子の接客をえらく気に入ったらしくてな。それから毎日通って百々子に自分ンとこで働いてくれねェかって誘ってんだと」
「マジかよ」
「確かに百々子さん結構人気だよね。カフェでも百々子さん目当ての常連っぽい人とかいるし、スタッフさんたちとも仲良さそうだし」
「まあでも百々子はトニオさんとこで働くつもりはねェからって断ったら、じゃあ一回食べに来てくれって頼まれたらしいぜ」
「へえ。結構熱烈だな」
「だね」

 事の理由を知ると納得した仗助と康一だったが、康一は一ついい案を思いついた。

「あ!そうだ!億泰くん、僕バイクに興味があってさ、ちょうど日曜日見に行きたかったんだよ」
「あ?康一お前バイクなんか興味あったか?」
「あ、あるよ!ホラ、前入学祝いに買ってもらった自転車も気に入ってたし」
「チャリとバイクは別モンだぜ?」
「それはそうだけど。でも僕バイクのことよく分からないからさ、ぜひ一緒に行けたらなあって思ってたんだよ」
「まあそういうことならいいぜ。百々子と飯食った後に4人で行くか」
「い、いや!仗助くんはバイク興味ないだろうし、百々子さんなんてもっと興味ないだろうからさ」

 急に饒舌に話し始めた康一に仗助は純粋にコイツバイクに興味なってあったっけ?と疑問を抱いていたが、何となく康一の思考が読み取れた。その証拠にさっきから康一の視線がチラチラと仗助に向かっている。

「だったらよ、俺が百々子と飯食って、康一は億泰とバイク見に行くってのはどうよ」

 康一の提案に見事に乗っかった仗助はあくまでも普段通りを意識した。そしてさらに違和感を打ち消すため、悪いけど俺もあんまバイクは興味ねえのよ、と付け足した。実際は別に見に行くくらいなら大歓迎である。

「そうか?仗助がいいなら、俺はいいけどよォ」

 億泰は疑うこともなくあっさりと了承した。このことから億泰が仗助を信頼していることが読み取れる。仗助の良心が痛んだ。
 だがこれでまた少し百々子と近づけると思うと、仗助は今この瞬間から当日の服装はどうしようか、と気分が高揚していたのだ。

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