こんなにやさしい料理は初めてだ その1 日曜日、午前11時。いつもより念入りに髪をセットし、今持っている服の中で一番お気に入りのものを着込み、イタリア製のブランドの靴をピカピカに磨き上げた仗助は、気合を入れて家を出る。徒歩すぐにある虹村家の家まで行き、チャイムを押すとまだ家にいたらしい億泰の声が聞こえてきた。近づいてくる億泰の声と足音に少し身構えてしまう。この気合いを入れすぎた格好を見たら、億泰はやはり何か疑うだろうか。
「おす、仗助」
「はよッス、お前今起きたのかよ」
まだ上下スウェット姿の億泰は寝起きだったらしく髪もまだセットされていなかった。スウェットを捲り腹をボリボリと掻きながら欠伸をする億泰は仗助にとっても新鮮だった。思わず緊張が解れる。すると億泰はまだぼやけた意識の中「百々子ー、仗助来たぞー」と家のなかに向かって声を張った。すると家の中からいつもより少し忙しい百々子の声が聞こえてくる。
「あいつも今日寝坊しちまったみたいでよォ」
「せっかくの休みだしな。なんか急かしてるようで悪いな」
「もとはといえば俺の代わりに行ってもらうんだからよ、むしろこっちこそ早起きさせて悪かったぜ」
そう言いながらもう一つ欠伸をする億泰に仗助は内心「俺はむしろ有難ぇよ」と思っていた。
そんな他愛もない話をしていると、百々子の声が近づいてくる。「ごめんね、仗助くん」という声とともに現れた百々子に仗助は思わず目を奪われてしまった。
「なんかいつもと格好違くねェか?」
「だってイタリアンでしょ?ちょっと大人っぽい格好の方がいいかと思って」
目の前で億泰と百々子がそんな会話を繰り広げているが、仗助は百々子のいつもと違う姿に何も言えないでいた。百々子の服といえばいつもの学生服かカフェでのシャツとエプロン姿くらいしか見たことがない。たまに普段着の百々子を見ることはあるが、こんなに粧し込んだ百々子を見るのは、初めてだった。黒く体のラインが少し際立つタイトめなワンピースはいつもより露出が多く、デコルテが綺麗に現れていた。控えめなネックレスがきらりと輝いている。ヘアースタイルもいつもは簡単に一本で結われているのが、ハーフアップでエレガントさを引き立てていた。普段の百々子からは想像つかないほど大人っぽい姿をしている百々子だったが、仗助がずっと何も言えないでいるので百々子は初めて弁当を一緒に食べたときのあの感覚に陥る。
「あの、変…かな…?」
「仗助ぇー、何ぼーっとしてんだァ?」
「えっ…あ、いや、いつもとちげーから別人かと思ってよ」
「女って化粧とか服装で化けるんだよなァ」
「そんな言い方しなくたっていいじゃん」
「でもいいんじゃねえの?オシャレオシャレ」
「もう、億兄テキトーすぎ…」
仗助はこの間ずっと葛藤していた。かわいい、似合ってる、このどちらかでいいのだ。ここで億泰に下心を感じさせることなく、スマートに言ってやりたかったのだが、恥ずかしさが邪魔をして言えないでいた。そうして二人の会話が終わってしまい、百々子は「行こうか」とさっさと靴を履いて家を出てしまう。出端からしくじった、と仗助はここ最近で一番後悔し、改めて自分は恐ろしく不器用なのだと痛感させられた。
♢♢♢
トニオの店は既に何組かの客がいたようだった。だが仗助たちが入店すると一際大きな声をあげてトニオが百々子の方へやってくる。
「百々子サン!来てくれたのデスネ」
「約束ですから」
「私服になると雰囲気変わりますネ?とっても素敵デス!もちろんいつも素敵ですケドネ」
「そんなに褒めても何も出ませんよ」
「………。」
仗助は完全なる敗北を知った。異国の血が流れているからだろうか、はたまた自分よりも年上だからだろうか。自分が恥ずかしさでできなかったこと、言えなかった言葉がこんなにスラスラと出されると仗助は既に出端を挫かれたいたにも関わらず、更に頭上から大きな岩を落とされたような気分になった。
席に案内され二人とも座る。百々子は普通のレストランだったらあるはずのメニュー表を探すようにテーブルを見渡したり、他所のテーブルを見てみたりとしていた。そんな百々子に対しトニオは「この店にはメニュー表は無いんデスヨ」と言った。
「メニューはお客様次第なんデス」
「お客様、次第?」
「ハイ」
トニオは瞳を細めて笑うが「その前に」とメニューについての明言の前にひとつ確かめたいことがあった。
「百々子さんのお兄サンは仗助サンだったんデスカ?」
「は?」
「あっ、そうでした!兄と来るって伝えてましたよね?」
百々子は慌てて事の経緯を説明する。億泰が康一と出かけることになったため、急遽仗助に来てもらったという説明を受けたトニオはそれでも驚きを隠せなかった。
「百々子サンと億泰サンが、双子…?」
「そりゃそうなるよな、誰もが通る道だぜ」
「もしかして疑ってます?身分証出しましょうか?」
そう言って鞄を漁り出した百々子に柔らかく制止したトニオはこの衝撃的な真実を受け入れ、この店のメニューについての説明を行った。仗助は一度来ているためトニオがどんな料理を振る舞うか知っている。だからこそこれからのことを考えると正直怖かった。百々子が億泰のように流血したり歯が取れたりなんてしようものなら、どうしようと一人考えていた。そんな中、トニオは百々子の手を見て彼女のとあることを見抜く。そしてトニオは厨房に向かった。
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