こんなにやさしい料理は初めてだ その2「この水、すっごく美味しいね!」
「お、おう…」
仗助は百々子の言葉とその水の飲みっぷりに既視感を覚える。もしも百々子が寝不足であるならば、億泰と同じように眼球の白い部分が皺くちゃになり涙が止まらなくなってしまうのだ。
「あれ…なんか、涙が…」
仗助の予想は的中する。既に涙をポロポロと流し始める百々子に「大丈夫か」と声をかけつつ、初めて見る百々子の涙に正直気が気でなかった。だが億泰の時と明らかに違ったのは、少し呼吸が早いようにも感じたことだ。まるで本当に泣いているかのように思えた。
「百々子、大丈夫か?」
「うん、何でだろ、泣きたいッわけじゃないのに」
たまにしゃくり上げながら話す百々子に仗助はやはり億泰の時と効果が違うと感じた。
「このミネラルウォーターは特別なものデス」
「アンタまさか変なモン入れてねえだろうな」
「まさか!このミネラルウォーターは心の疲れを吐露させる効果がアリマス」
「心の疲れ…?」
トニオは先ほど百々子の手を見たときに彼女の心労を感じ取っていた。そのためミネラルウォーターにスタンド能力を使っていたのだ。
「ワタシは最近よく百々子サンが働くカフェに行っていマシタ。ここ最近毎日デス」
「そういや億泰がなんか言ってたな」
「ここ最近毎日、百々子さんはカフェにいまシタ」
「毎日…?」
そういえば今朝億泰が百々子が寝坊したと言っていた気がする。平日の学校、終わったらアルバイト、それが毎日続いていたとなると、疲れが溜まっているのではないだろうか。
それまでずっと黙っていた百々子が、ついにその口を開く。
「最近学校の後ずっとバイトで疲れてるはずなのに、眠れなくて」
そう言いつつも百々子は自分が言った言葉に眉を顰め「今こんなこと言いたいわけじゃないのに」とそれが自分の意に反していると言わんばかりだった。仗助は百々子の言葉にしばらく耳を傾けた。
「バイトも元々週3日の契約だったんだけど売り上げが増えるからできるだけ出てほしいって言われて、頼まれると断りづらくて」
そこで仗助は康一が言っていたカフェの常連の話を思い出す。やはり百々子目当ての常連は確実にいるようで、店長はその辺りを理解しているのだろう。そして百々子が断れない性格だということも分かっているのだ。
「帰ってきて時間があれば買い物に行って、ご飯の準備して片付けて、お風呂に入って洗濯してって過ごしてたらあっという間に日付跨ぐことも多くて。そこから学校の課題したり、次の日の準備したりするとどんどん時間遅くなって…」
もちろん億兄も手伝ってはくれるんだけどね、と言いつつ百々子はぼろぼろと涙を溢していた。
「形兄がしてくれてた家のお金の管理とかもしてるけど、ずっと形兄に任せてたから慣れてなくて。そういうの溜まって昨日億兄に八つ当たりしちゃうし」
仗助は意外に思った。朝の二人のやりとりを見る限りそんな険悪な雰囲気は感じられなかったからだ。億泰もなんとなく百々子の負荷に気付いていて反省をしていたからこそ、普通に見えたのかもしれない。
百々子は手のひらや甲で必死に涙を拭って更に続けた。
「自分に余裕がないの。分かってるのに、どうしたらいいか分からなくて」
出口のない迷路を彷徨っているような感覚だろうか。多分それは億泰も同じだろう。百々子の負荷には気付いている。でも自分も頭が良いわけではないから家のことなどは形兆に任せていた。だから億泰もどうすればいいか分からないのだろう。こうしてみると虹村家というのは如何に形兆ありきの家族だったかが浮き彫りとなった。
仗助はいつも笑顔で明るくて優しい百々子がこんなにもいろんなことを溜め込んでいたと知って、そのことに気付けなかった自分が情けなくなった。そしてそれは億泰に対してもだ。百々子のことが好きだと言っておきながら、仗助は百々子の表面だけしか見ることができていなかったのだ。
その時話を聞いていたかのようなタイミングでトニオがやってきた。手には料理が携えられている。
「疲れている時は食べマショウ。眠れないのであれば、その代わりに何か楽しいことを考えてみてはいかがでショウ?」
「楽しいこと、ですか?」
「ええ。学校であったコトでも、カフェであったコトでもどんな小さなコトでも、楽しいコトを考えるとハッピーな気持ちになれマス」
すると百々子は「楽しいこと」と何度か小さく繰り返した。そして控えめに仗助を見る。はらりと落ちてくる髪の束を耳にかけた。
「今日仗助くんと一緒に行けるって分かって、すごく楽しみだった」
「!?」
「今も本当は楽しいはずなのに」
涙が止まんないよ〜、と少し引いたかと思った涙は再び溢れてくる。これはどういう意味なのだろうか。これは喜んでしまってもいいものなのだろうか。仗助の心は期待に満ちてしまっていた。だが、今はそうじゃない。浮き足立つ気持ちを抑え、百々子を見る。
「俺は結構うれしいぜ。普段笑ってる百々子が泣いてンの見れるのは」
「なにそれ、なんか意地悪じゃない?」
「いいや」
仗助は百々子に対する好きだという感情を再認識した。
「俺にも少しくれェは心許してくれたのかなって思えてよ」
言いながら小っ恥ずかしくなったら仗助は視線を逸らしてしまう。そんな彼を見て百々子はようやく笑った。その表情に目尻から最後の一粒が零れ落ちる。
「ありがとう」
その日一番の笑顔は仗助にまで伝染した。
コース料理はデザートまで億泰と食べたようなことにはならず、すんなりと食べることができた。最初こそ泣きっぱなしの百々子だったが、その後はずっとニコニコと笑っていたので仗助も一安心する。
仗助は今の自分にできることはこれが精一杯だと思った。百々子が自分といると楽しいという認識を持ってくれているのなら、できる限り百々子と一緒に過ごせる時間をつくってみよう。そうすることで百々子が少しでも負担から解放されるなら、仗助にとっても一石二鳥だ。
その日の夜、百々子は随分と早くに眠ることができたという。ここ最近では味わえなかった熟睡感を得ることができたのであった。
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