やさしい獣は意地悪をしたい


「え!?億兄先帰っちゃったの?」

 仗助は億泰と別れ露伴の家に戻り百々子を迎えに行く。百々子は露伴と楽しそうに紅茶を飲んでおり、高そうなカップを片手に仗助を見上げた。「ああ」と返事をしながら仗助は露伴のニタニタと笑いながら見てくる視線をガン無視していた。

「じゃあせっかくだから送って行こうか、百々子くん」
「え?いや、それは…」
「気にしなくていいぜ、露伴先生。俺ら家近ェからよ。俺が責任持って送ってっから」
「ふうん、百々子くんがいいなら構わないけど」
「私は大丈夫です。そんなに遠いわけでもないし。それに」

 百々子は仗助と露伴が水面下で何かを勃発されていることに気付いていない。

「仗助くんと話してると、あっという間ですから」

 ね、と仗助に共感を求める百々子に仗助は危うく口から心臓が飛び出るかと思った。しかしそれを悟られないように平然を装って「そうだな」と答える。するとそれが面白くなかった露伴がフンと鼻で笑った。

「せいぜい送り狼にならないことを願ってるよ」
「ご心配どうもー」
「送り狼?何ですか、それ」

 依然バチバチと火花が見えるようなやりとりを繰り返す仗助と露伴。仗助は完全に座っている露伴を見下し、感情の籠っていないぶっきら棒な物言いだった。二人の様子に気付くこともなく、呑気に質問をする百々子に仗助は「そろそろ行くぞ」と踵を返す。

「百々子くん、ぜひまたスケッチさせてもらえると嬉しいんだが」
「私なんかで良ければ。あ、でも変な服は着ませんからね?」

 仗助はその二人のやりとりをしっかりと聞いていた。百々子の危機感の無さも問題だが、そこに漬け込む露伴も露伴だ。ただ露伴は純粋に漫画に使える被写体として言っているのだろうが、仗助はそれでも気に食わなかった。

 露伴の家を出る頃には空がすっかり橙に染まっていた。仗助は足元に伸びる影がくっついていないのがもどかしいのか、それとも先ほどの露伴とのやりとりがまだ居座っているのか何とくスッキリしなかった。

「なんで億兄先に帰っちゃったんだろ」
「あー、なんか康一に呼ばれたとか言ってたぜ?」
「康一くんに?だったら仗助くんは行かなくてよかったの?」
「俺はいいんだよ」

 適当に吐いた嘘だがそれを何も疑うことのない百々子に、仗助の良心が痛む。このことについては仗助の心が罪悪感に塗れて仕方がないので、仗助は話を変えることにした。

「露伴と知り合いだったのか?」
「ううん。今日初めてちゃんと喋ったよ。あ、でも有名な漫画家がこの街にいるっていうのは知ってたけど」
「マジかよ」

 仗助は百々子の危機感の無さを改めて痛感した。
 隣を歩く百々子は自分よりもかなり身長が低い。必然的に見下ろす形となる。この体格差がどうしたって仗助の中では百々子が庇護対象になってしまう。そんなこと知りもしない百々子は、露伴の家に余程驚いたのかその話ばかりを仗助にしていた。それをあまり良い気分で聞けなかった仗助は「そら良かったなあ」と無意識に嫌味な言い方をしてしまっていた。

「あれ、なんか怒ってる?」
「……別に」
「やっぱり露伴先生の車乗って帰りたかった?」

 ごめんね、私が勝手に、と百々子が解釈違いなことを言い始めたので、仗助は立ち止まって「つーかさ」と切り出す。仗助が止まったので必然的に百々子も止まり、一歩後ろにいる仗助を振り返る形となった。仗助の顔が夕焼けに照らされ、よく見える。端正な顔立ちがいやに真面目な顔をしていた。

「ああいうの簡単にすんなよ」
「ああいうのって?」
「一人暮らしの男の家にのこのこついて行くなってこと」

 仗助からそう言われ百々子は自身が露伴の家について行ったことを言われているのだ、と理解した。でも百々子がついて行ったのにはもちろんこの人なら大丈夫だ、という理由があったからである。

「でも露伴先生は漫画家さんだよ?仕事に協力してほしいってことだったから…」
「それでも相手は男なんだぞ?魔がさしてってこともあり得るだろ」
「…そうなのかなぁ?」
「そうだよ」

 やはり危機感の低さを感じる仗助は自分がずっと怖い顔をしていた自覚はあった。それは百々子がほんの少し表情を曇らせているからである。少し落ち込んだようなそんな感じだ。初めて見る表情に仗助はそんな顔もかわいいな、と場違いなことを考えてしまうくらいには百々子に惚れ込んでいた。

「分かった。じゃあ今度からは気をつけるね」
「おう」
「…仗助くんも魔がさすことがあるの?」
「あ?」

 上目遣いでそう尋ねてくる百々子は仗助がそれに弱いということを知っているかのようだが、本人は無意識であるから仗助はお手上げなのである。どう答えるべきか口籠もっていると百々子はふにゃりと笑う。

「冗談だよ。仗助くんはやさしいもんね」

 そう笑う百々子は確かに愛らしい。兄たちからの愛情をしっかりと享受し、愛されてきた人間の顔だった。だがそれは家族愛というものであって、果たして百々子は仗助が抱えているような恋愛としての愛情を面と向かって受けたことはあるのだろうか。

 いつもいつも仗助ばかりが百々子に見惚れて、百々子のことを好きになってしまって、日々大きくなるこの気持ちをどうすればいいか分からないという悩みを抱えている。
 だから少し意地悪をしてみたくなったのだ。

「魔がさすのとは違えけどよ、好きな奴が今日みたいなことしたら俺は嫌だぜ」
「そ、っか…」
「………。」
「仗助くんってさ、」
「ん?」
「好きなひと、いるの?」

 百々子が他のクラスメイトに向けるのと同じこの笑顔を崩してみたくなったのだ。

「いるぜ」

 仗助がそう答えると百々子は明らかに瞳を大きく見開いた。そのきれいな瞳にはわざとに表情を硬くした仗助自身が映っている。百々子はほんの少しだけその笑顔を強張らせた。

「そう、なんだ」

 知らなかったなあ、と明らかにさっきまでと声色が違うその様子に仗助はほんの少しだけ期待をしてしまった。でも人生がそんなにうまくいかないことを知っている仗助は、今はそんな淡い期待よりもどうすれば百々子が自分を意識してくれるかどうかを考えることに必死だった。

「だからさっき怒ったんじゃねえか」
「……え?」

 仗助の頭に突然今日の億泰の言葉が蘇る。

『ゴリ押しすればいけんじゃねえか?』
『仗助、自信持てよ』

 仗助は大きく深呼吸をした。夕焼けに染まる自分自身を想像して今はそれで良かったと思う。おそらく仗助はこれから自分がどんな顔になってしまうか、と思うとちょうど赤く照らされた夕焼けは言い訳になると思ったからだ。

「百々子さ、もう少し俺のこと男として見ろよな」

 百々子は仗助の言葉をすぐには理解できなかった。その理由は二つある。一つはこの言葉の一つ前の言葉が既に引っかかっていたから。仗助には好きな人がいて、その好きな人が百々子が今日取った行動と同じことをするのは嫌だと言った。そして仗助は「だから怒った」と言った。だから怒った、という言い方は、それはまるで―――。だが百々子にはその先を考える勇気はまだ、ない。
 そして二つ目の理由が「男として見ろ」と言った仗助の顔があまりにも美しかったからだ。夕焼けに照らされて整っている顔のパーツがより際立っていた。確かにみんな仗助のことをかっこいい、イケメンと称すが、百々子は今更ながらにそれを実感してしまった。

 百々子が明らかに動揺しているのを仗助は分かっていた。こんなに真っ赤に染まった顔の百々子を見るのは初めてだと思う。そう思うと仗助はうれしくなってしまい、今日はこのくらいにしておこう、とようやく表情を和らげる。

「ま、とりあえずさっさと帰ろうぜ。億泰が首長くして待ってんだろうしよ」

 仗助はいつもの調子で百々子に笑いかける。しかし帰宅するその瞬間まで百々子がいつも通りに笑うことはなかった。どことなくぎこちなく、他人行儀な素振りを見せるので、仗助は少しやりすぎたか、と百々子を送り届けたあとに猛省した。

♢♢♢

 その日の夜のことである。帰宅後、今日のことに一切触れてこないどころか、あんなにお喋りな百々子が全くと言っていいほど話さないことに億泰が気付いた時にはもう遅かった。

「百々子、こりゃなんだ?!」
「え?ハンバーグ…」

 覇気のない声は確かにそう言う。お皿に盛り付けられたものを確かにハンバーグと言うが、億泰にはそれがどうしても黒い塊にしか思えなかった。フォークで突いてみてもカンッと乾いた音がするので、どう考えてもこれを食べるのは無理難題と思える。

「なあ百々子ー」
「………。」

 名前を呼んでもこちらに気付くこともなく、ぼーっとしている様子の百々子。時折一人で顔を赤くしたり、頬に手を当てて何か言っていたりと、明らかにいつもと様子が違うのは明白だった。
 億泰はきっと仗助が何かしたな、と推測し早速明日にでも聞いてみようと考える。しかし今一番考えなくてはならないのは、目の前のこの石像のようなハンバーグをどう処理すべきか、であった。

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