覚悟はできている


 百々子が自身の恋を自覚してから数日が経った。自覚したからと言ってすぐに何かが変わるわけでもなく、というよりは何も行動ができず今まで通りの距離感で学校生活を過ごしていた。
 一つ変わったことと言えば、この日、昼休みが終わって少しの間仗助が戻って来なかったこと。先生に叱られながら戻ってきた仗助は、とても神妙な面持ちでいつもの様子とは違っていたこと。そしてそんな彼にいち早く気付いた康一と休み時間にとても深刻そうな顔で話をしていたこと。
 だがその顔が百々子に向けられることはなく、百々子が声をかけるといつも通り明るく人懐こい笑顔になる仗助を見て、百々子はほんの少し心臓がちくりと痛んだ。これは今に始まったことではない。形兆が亡くなったあの日から、百々子はたまにこのちくりとする現象を感じていた。億泰もたまにさっきの仗助のような深刻な顔をしていたかと思えば、百々子が声をかけるといつも通りに接してくる。その表情の真意を百々子に告げることは決してない。そういうのを億泰以外にも、仗助や康一、承太郎にも百々子は感じていた。皆、自分に何かを隠しているのではないだろうか、とそういう風に思ってしまうことがあった。

 だがそれは皆に限った話ではないのだ。

 その日はアルバイトの勤務時間がいつもより遅く、夕方の時間帯から閉店時間までであった。今日は放課後になるや否や、そそくさと教室を出て行った仗助と康一を見ていた百々子は、どことなく心にもやもやしたものを抱えていた。仗助たちの周りで、自分の知らない何かが起こっている、気がする。だが、それを聞き出そうとしたところで、教えてくれることはなく変にはぐらかされるのだ。

 カフェまでの道のりをぼんやりと歩いていた百々子は、コンビニの前に群がる集団が目に入った。何事だろうか、とその集団を見ているとそこには随分と見知った顔が揃っていた。

「あれ、億兄?それに仗助くん、康一くん、承太郎さんたちまで…」

 思わずそう声をかけてしまったが、これはよかったのだろうか、と百々子は内心迷ってしまった。何故なら皆今日の仗助ような深刻な顔をしていたからだ。そして百々子の声に振り向いた億泰や仗助たちのその表情を見て、やはり声をかけるべきではなかったと痛感する。仗助はようやく明るく人懐こい表情をすることをやめ、眉を顰めたまま「百々子…」と呟いた。そこに由花子やトニオ、シンデレラのエステティシャンの辻彩もいることを把握した百々子は、これがなんの集まりなのか全く検討がつかなかった。ただ自分がここにいるのは場違いなことなのだろうということだけをひしひしと感じていた。

「話が済んだんならよォ。俺ァもう帰るぜ」

 億泰はそう言っていち早くこの集団のもとから離れようとする。そして何故かここにいた百々子たちの父親も億泰について行こうとしていた。ただ父親は百々子の方を気にしながら、彼女と億泰を交互に見ている。そんな父親を見ながら、百々子は思わずいつもの癖で億泰を呼び止めてしまった。

「億兄!いいの?まだ話終わってないんじゃ…」
「テメーに関係ねえだろ」

 しかし億泰がくれたのはこちらを一瞥もせず、きつく言い放たれた言葉だけだった。だが百々子は億泰がこういう物言いをする人間だということを知っている。学校の先輩や他校の不良生徒と喧嘩になったとき、百々子が止めに入ることがあると億泰は決まってこういうきつい態度を取るのだ。杜王町にきてからは仗助がついてこともあり、そういう厄介ごとは極端に減っていたから、こういう態度を取られるのは久しぶりのことであった。背後から仗助が「億泰、そんな言い方しなくてもいいだろ」とフォローしてくれていた。
 いつもの百々子だったら、また億泰がキレてると受け流してしまうだろう。だが、今の百々子は少し不満を抱いていた。だから、思わず億泰の言葉に返してしまったのだ。

「そんな言い方しないでよ。家族なんだよ?」

 仗助たちは普段の百々子から想像つかない強い物言いに、思わず口を噤んでしまう。これは部外者が口を出すべきではない。この場にいる誰もがそう思った。

「それとこれとは別問題なんだよ」
「別問題って…」
「関係ねえことに首突っ込むじゃねえ」

 億泰はきっと本心からそう言っているわけではないことを理解してやれていたのは、この中に何人いただろうか。仗助はそれを分かっていたが、百々子は理解できなかった。
 だから百々子はずっとひた隠しにしてきた不満を、つい口に出してしまったのだ。

「関係ないから、形兄が本当はどうやって死んだか、教えてくれないの?」

 その言葉は仗助や康一たちを凍りつかせるには充分だった。そして億泰を狼狽えさせることにも覿面だった。
 ようやく百々子の顔を見た億泰は、彼女の強い意志を感じる顔付きに何も言えなくなっていた。

「私たちの誰よりも賢くて、頼もしかった形兄が、ボヤで死ぬなんて考えられない」

 億泰の嘘を的確に突いた指摘は仗助や康一の心にも突き刺さった。百々子はずっと嘘だと分かっていたのだろうか。初めから嘘だと分かっていたのだろうか。

「なんで本当のこと教えてくれないの」

 切実な百々子の聲に仗助や康一は、もうここまでが限界ではないんだろうか、と思っていた。仗助が思わず「億泰」と名前を呼ぶと、億泰は我に帰ったかのように言い放つ。

「お前に言う必要なんかねェからだろうが」

 億泰にも引けない理由があった。
 それは形兆が弓矢を手にし、互いにスタンドを享受した時のことである。

『いいか億泰。このことは絶対に百々子には言うな。アイツには秘密だ』
『なんでだよォ、兄貴』
『これまで百々子には迷惑をかけてきてる。警察沙汰になった時に毎回迎えにくるのは母親でもなく、父親でもなく、百々子だったろ。これ以上、アイツに迷惑をかけるわけにはいかねぇ』
『…おう、そうだなァ』
『百々子にはこれからたくさん幸せになってほしい』
『兄貴ィ…』
『だからスタンドに纏わることに百々子は巻き込まない。これは俺とお前との約束だ。守れるな、億泰』

 ―――例え俺かお前が死んだとしてもこの約束は絶対に守るんだ。

 億泰の心には形兆との絶対に守らなければならない約束があった。スタンド使い同士の凄惨な戦いに巻き込まずにいれるなら、たとえ自分が百々子に嫌われようとも厭わない。それが虹村億泰だった。

 だがそんな兄たちの約束など知らない百々子は、ここ最近の億泰たちへの不満と今の億泰への態度に怒りを露わにしていた。

「本当は違うんでしょ。形兄がそんなドジするはずないもん」
「………。」
「本当は億兄を庇って死んで、それじゃあ私に合わせる顔が無いからって、適当なこと言って…ッ」

 百々子の言葉が途中で止まったのは、億泰が百々子の胸ぐらを掴んでいたからであった。仗助や康一が慌てて億泰に駆け寄り声を上げるが、億泰は完全にキレてしまっている。それもそのはず、百々子の指摘を間違いだとも言えないような惨状が実際に起こったのを億泰は目の当たりにしていたからだ。だが億泰のそんな行動にも引けを取らない百々子は、逆に挑発するかのように億泰をきつく睨んだ。思わず億泰が反対側の手を振り上げた時である。

「億泰!落ち着け!相手は女だぞ?お前の妹だぞ?!」
「そうだよ億泰くん!暴力はダメだよ!」

 仗助や康一が億泰が今からしようとしていることを必死に止めようとする。康一に至っては泣きそうな声で叫んでいた。億泰は仗助の力に手をギギギと歪な音を立てそうな動きで下されるが、それでも百々子はやめなかった。

「口じゃうまく言えないから暴力振るうんでしょ?」
「…百々子、お前も落ち着け、な?」
「だから今までだって散々問題起こしてきたんでしょ?」

 今度は百々子が億泰に飛びかかろうとしていた。だが、直前のところで億泰から離されたのは、露伴が百々子を制止したからだ。百々子の体の前に右腕を広げ、これ以上百々子が億泰に近付くことを妨げていた。だが、百々子はそんな腕が邪魔だと言わんばかりに、露伴の腕に手をかける。

「今まで迷惑かけてきたくせに、なんで本当のこと教えてくれないの」

 百々子は顔じゅう涙に塗れていた。夕焼けに照らされきらきらと光る百々子の顔を億泰は直視できなかった。億泰の腕や体から力が抜けるのが分かると、仗助と康一はゆっくりと億泰から手を離す。

「だから何遍も言ってんだろうが」

 億泰は百々子に嫌われても構わない。その覚悟はできている。

「お前に言う必要ねェンだよ」
「………。」

 仗助や康一は何も言わなかった。露伴はため息を吐く。

「悪かったな。死んだのが俺じゃなく兄貴でよォ」

 億泰はそれだけ言って百々子の顔を見らずそっぽを向き帰って行ってしまう。父親も来るように億泰から言われたので、父親は百々子を心配そうに見ながら言葉にならない声を出していた。百々子は泣きそうな顔をして笑う。

「大丈夫だよ、お父さん」

 どこが大丈夫なのだろうか。仗助も康一も露伴もそう思った。どんどん小さくなっていく億泰の背中を百々子はどんな気持ちで見ていたのだろうか。仗助たちには計り知れない。
 彼らの後ろでは彩やトニオが「あの子、何も知らされてないのね」「そのようデスネ」などという会話が聞こえていた。由花子はそんな言葉を訂正するかのように「彼はいずれこうなることを、覚悟していたようにも見えたわ」と述べた。

 その後、百々子は泣きそうな顔をずっと堪えながら、ここに集まる皆に頭を下げた。そしてアルバイトがあるから、と足早に皆の元から離れようとする。その際、この場に間田や由花子までいたことに驚きを隠せなかった。由花子はまさか百々子が何も知らないとは思ってもいなかったため、自身も罪悪感のようなものを感じていた。しかし百々子が控えめに口を緩ませたのを見て、由花子はなんだか切ない気持ちになってしまった。

「仗助くん、百々子さんたち大丈夫かな?」

 康一の質問に仗助は何も言えないでいた。正直アルバイトのときは切り替えられたとしても、帰宅したあとはどうなるだろうか。またさっきのような喧嘩になりそうな気配もある。

「さあ、どうだろうな」

 だが、あんなにキレた億泰を前にしても、怖気つかなかった百々子はさすが形兆と億泰の妹だとでも言うべきか。
 程なくして仗助たちも解散する。今は重ちーを殺した人物のことも考えなくてはならなかったが、仗助は正直百々子たちのことの方が心配だった。どうしたものか、と遥か先に見える億泰の背中を追いながら、答えを見つけようのない問題にため息を漏らした。

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