吉良吉影に見つかった


 あれから数日が経った。
 百々子と億泰は家でずっとぎこちない雰囲気だった。どちらかが謝るわけでもなく、だからと言って弁明するわけでもない。いつもであれば賑やかな食卓も閑散とし、時には家族三人揃わないことも続いた。食事の時以外は自室に籠るようになった億泰に、百々子はなんと声をかけて良いか分からなかった。そしてそれは億泰もだった。百々子を巻き込みたくない一心であったとはいえ、あんなことになってしまい、いつもの兄妹喧嘩ならどちらからともなく仲直りをするのだが、今回はそうもできそうにない。もうどうすればいいのか分からなかった。ただ、引き続く重ちーを殺した男探しに集中するしかなかった。
 百々子はあの後のアルバイトをなんとか気持ちを切り替えて勤務をこなした。だが引き締めていた緊張が解かれると、途端にあの夕刻のことが溢れかえってくる。ムキになってしまい兄に酷いことを言ってしまった。そして兄に思ってもないことを勘違いさせてしまった。百々子だって形兆の代わりに億泰がなんてこと、当然思ってもいない。だが、あのときそれをすぐに否定できなかった自分に悔しさと情けなさを感じていた。
 
 その日、百々子はいつもの如くアルバイトに勤しんでいた。空いたテーブルの一つを片付けていたところで、その隣に座っていた男性客に声をかけられる。

「すみません、注文をいいですか?」

 穏やかな口調の男性に百々子は笑顔で応対する。

「コーヒーをお一つですね。ミルクと砂糖はお付けしますか?」
「いいや、ブラックで構わないよ」
「ブラックですね。では少しお待ちくださ…」

 百々子が言葉に詰まってしまったのは、その男性客が百々子の手に触れていたからだった。ただ手に触れ、そして形を確認するかのような手つきで撫で回す男性客は時折吐息まじりに「綺麗だ、なんて綺麗なんだ」と呟いていた。「あ、あの…」と少し男性客の言動に怖い気持ちもあったが、何よりも驚きが勝った。百々子は男性の容姿に着目する、派手な金色の髪を綺麗にセットされていた。スーツも派手な色のものだが、何より特徴的だったのはボタンの模様だった。

「おっと、失礼。いきなり無礼なことをしてしまった」
「い、いえ。お気になさらず」

 百々子はようやく解放された右手を左手で覆い隠すように胸元に引き寄せる。男性はその奇妙な行動以外は至って普通だった。話し方も声も普通だった。突出した何かがあるわけでもなく、本当にそこら辺にいそうなただの会社員といった感じだった。百々子は注文を伝えるために厨房に戻る。何とも言えない恐怖、いやプレッシャーとも言うべきだろうか。それを拭い去るように思考を業務に没頭させた。

♢♢♢

 それから更に数日のこと。風の噂でエステ「シンデレラ」が閉店したと聞いた。何と店主の辻彩が亡くなったというのだ。噂では持病があったとか、破産して自殺したとか言われていたが、百々子が一番しっくりきたのは殺人であった。この杜王町では何かが起きている。よくないことが目に見えない病のように進行している。そしてそれはこの街の大多数の人間に気付かれていない。だがこの街を懸命に守ろうとしている者たちがいるのも確かだということを、百々子は知っている。
 その人物たちの一人であるこの男・空条承太郎は、ある調査の途中で百々子の働くカフェに来ていた。矢安宮重清、辻彩を殺害し、15年前に杉本鈴美を殺害したこの街に潜む殺人鬼が吉良吉影という名前であることを突き止めたのは良かったものの、吉良が辻彩のスタンドを強制的に使用し顔も名前も身分も全て変え別人としてこの街にのさばっているこの現状をどうにかせんと動いていた。
 紅茶を一杯飲んだらまた捜査を開始するため今は少し気を休めていたところに、百々子の声がかかった。

「これ承太郎さんのですか?」
「ん?」

 百々子はたまたま近くを通りかかっただけのようで、手に持つトレーには空きグラスが置かれていた。そのトレーを隣の空いたテーブルに一旦置き、これといった対象物を拾い上げる。それはかつての吉良吉影の手がかりであった特徴的な柄のボタンであった。

「ああ、それは…何でもない」
「これ落とし物じゃないですか?」
「何故、そう思う?」

 透明な小さい袋に入れられたボタンをまじまじと見つめる百々子に承太郎はその答えを待つ。何故、百々子がこのボタンのことを知っているのか。知るはずはないのだ。先日の夕刻の一件後、億泰に再度確認をとったが、やはり百々子にはこの件は伝えないという結論だった。そして億泰が形兆と交わした約束についても改めて聞いたために、承太郎たちもそれ以上億泰に意見することはなかった。百々子を巻き込まないために徹底することに同意したのだ。
 だから承太郎はこの時言葉を慎重に選んで尋ねた。

「これと全く同じボタンのスーツを着た方、少し前に来たんですよ」
「何!?」

 思わず声を強める承太郎に百々子は驚いてしまう。そんな様子の百々子を見て安心させるために一言詫びを入れて、詳しく話しを聞いた。

「普通にお客さんとして来ていたんですよ。でもその時ボタンは全部ついていたから、その後落としたんですかね?」
「顔や外見の特徴は覚えているか?」

 万が一、百々子が見た男が吉良吉影であったとしても、彼はすでに別人として生きている。正直手がかりにはならないが、念のための確認だ。

「金髪で、確か紫色のスーツを着てましたよ」

 やはりか、と承太郎は少し考える。百々子の言っている人物は別人に変わる前の吉良吉影で間違いはないだろう。おそらく一客としてこの店に訪れたのだ。承太郎はそう決めつけ百々子に怪しまれないように、これ以上尋ねることはやめた。そして「その奇抜な身なりならすぐに見つけられそうだ」と百々子に言ってボタンをポケットに仕舞ったのだ。百々子は承太郎がそれ以上その男の話をしなかったので、彼の奇妙な行動までは伝えなかった。何だが自慢のようにも聞こえてしまうかもしれないし、後から考えてみれば大したことでもないように思えたからだ。

 ちょうどそこに仗助がやってくる。仗助は百々子を見かけるなり大型犬が尻尾を振るような状況を彷彿とさせる態度をとっていた。百々子も仗助にニッコリと笑いかけ、少しだけ三人で談笑していた。

「ほう、空条承太郎のみならず、東方仗助とも知り合いなのか」

 そんな三人の様子を反対側の歩道から眺める人物が一人。

「百々子と呼ばれていたな。百々子、百々子さん」

 男は白いスーツを身に纏っていた。その表情は険しいながらも鼻歌を交えている。

「次は君だよ、百々子さん」

 男は不敵に笑う。その視線に気付かない百々子は楽しそうに笑うばかりだった。男はそんな百々子がいずれ恐怖に塗れた表情をすることになるのだと思うと、今から愉しくて仕方がなかった。爪が伸びる感覚があった。嗚呼、早く私の手元に来ないかな、と恐ろしい本音を心の中に認めた。

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