やさしくて悲しいゆめ


 瞼を閉じていても分かる眩い光に、目を開けずにはいられなかった。また気を失っていたのか、という感覚を百々子は再び味わう。だが、先ほどとは違う天井があることを考えると、どうやら違う場所に移されたらしい。しかし天井というものが存在していないような、明るい空間だった。どこまでもつづく光で押し潰されそうな感覚になる。ここは一体どこだ。百々子は体を起こした。

「ようやく起きたか」

 体の痛みがない。手も足も縛られていない。制服もきれいなまま。一体全体どうなっているんだ、ということよりも、百々子が驚きを隠せなかったのは、起き上がった百々子の目の前にいる彼に対してだった。

「形兄…?」
「随分とひどくやられたな」

 そう言って形兆が笑う。百々子はその表情を見ただけで分かる。これは本物の形兆だ。さっきまでいた形兆の皮を被った別人なんかではない。本物の、百々子と億泰が愛してやまない虹村形兆だった。
 思わず視界が霞んでしまう。溢れる涙を必死に指で掬い取るがそれでは追いつかなくなってしまった。

「そんなに泣くんじゃあねえ」
「だって」
「可愛い顔が台無しだ」

 百々子の目の前にやってきた形兆は優しく百々子の涙を拭き取る。形兆の触れた指先は驚くほど冷たかった。

「俺の妹ともあろう百々子が、偽物にノコノコついて行きやがって」
「自業自得だよね」
「そりゃそうだ」

 百々子はここが死後の世界だと分かったのは、さっきの形兆の手が冷たかったからだった。そうか、私は死んでしまったのか。とても悲しいはずなのに、今は形兆と再会できた喜びが勝っていた。

「億泰と随分な喧嘩したみてえじゃねえか」
「……うん。いつもみたいに、仲直りできなくて」
「お前意外と頑固だからなァ」
「そうかな?」
「頑固でしつこくて変なとこで不器用」
「えー、私いいとこないねぇ」

 そう言うと形兆は笑うだけだった。百々子の頭に手を置くと優しく彼女の頭を撫でた。

「億泰とちゃァんと仲直りしろ」
「え?」
「アイツはなァ、俺の弟とは思えないほどバカだ」
「ひどい言いっぷりだね」
「だからこそ、誰かがアイツのことをちゃんと見てやんなきゃいけねえ」
「………。」
「だからな、百々子。億泰のこと頼むぜ」

 そう言って形兆は立ち上がる。百々子は何となく嫌な予感がした。

「それからお前が俺とした約束だがな」

 百々子も慌てて形兆についていこうと立ち上がる。振り返った形兆には後光がさしているように見えた。

「アレは忘れろ」
「…どういうこと?」
「お前の好きなようにやれ」
「好きなように、って…スタンドのことは誰にも言っちゃあいけないんでしょ?」
「そう思ってたが…」

 形兆は死ぬ直前、悪虐非道な行いをした自分に対して手を差し伸べてくれた人物の顔を思い出す。

「アイツがいれば大丈夫だろ」
「? アイツ…?でも、私は、もう…」

 死んだんじゃないの、その言葉は形兆の言葉にかき消された。

「ただ、俺みたいに悪用すんじゃねえぞ」

 そう言って笑った形兆は再び前を向き百々子のもとから離れようとする。嫌な予感がした。
 「待ってよ、形兄」と百々子は形兆の後をついていこうとする。だがそれは形兆の言葉で遮られた。

「お前はどこに行きたい?」

 思わず立ちすくんでしまう。自分が行きたい場所、それはたった一つしかないことを百々子は知っていた。

「杜王町に、行かなきゃ」

 そこに百々子の大切なひとたちがいる。行かなければ、と百々子の瞳が鮮やかに輝く。そんな百々子の様子を見て形兆は笑う。

「行ってやれ、アイツらもお前を探しにきてる」
「え?」
「…東方仗助は良い奴だな」

 形兆はそう言ってもう一度百々子のことを目に焼き付けた。そしてそれは百々子も同じことだった。光度が増していく。眩しさで押し潰されそうになる中、形兆は確かに言った。

「お前には人を見る目があるぜ、百々子」
「まって、形兄!」
「だからお前が見極めた奴らに助けてもらいながら、ちゃァんと生きろ」

 まだこっちに来るんじゃねえぞ、それが最後の言葉だった。

 一気に光の世界は消え失せ、辺りは先程まで百々子がいた空き家の一角だった。相変わらず体は傷だらけ、手と足は縛られていた。制服から曝け出された下着を気にも留めず、百々子はあたりを見渡した。例の男がいない。偽物の形兆がいないのだ。そして別の部屋から何やら声が複数しているのが聞こえる。

 百々子はおそらくさっき形兆と過ごしたひとときは夢だったのだと痛感した。その夢の中で言われた言葉を自分の中で繰り返す。

「私は、この力を、使う」

 傷だらけの体の自分に言い聞かせた。

「仗助くんたちのために、使うんだ」

 何故、そこで仗助の名を呼んだのか、百々子自身もよく分からなかった。だが、先程の夢のなかで、形兆が何度か言っていた「アイツ」というのが彼を指しているんじゃないか、と無意識に推測していたのかもしれない。
 深呼吸をする。兄と交わした約束を守るため、百々子はこの力の名を囁く。

 "フレイヤ"

 百々子がそう呟きながら自身の手を縛る鎖を触る。一瞬にして消えた鎖、自由になった両手で次は足を縛る縄に触れた。一瞬で消えた縄、足首には硬く縛られた縄の痕が痛々しく残っていたが、そんなことは気にしていられない。

 百々子は声のする方へ向かう。身体中の痛みに耐えるように壁に体を預け、乱れた制服のことなんて気にかけず、声のする方へ向かう。
 形兆の最後の言葉を実現するために。

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