虹村兄妹 男の名は
霊屋下移潮といった。
バイツァー・ダストの力を手にした吉良吉影が父親に「あと一人だけスタンド使いをつくり虹村百々子を誘拐しろ」という依頼をし、その際矢によって選ばれた最後のスタンド使いであった。
百々子は仗助の粗方の傷をスタンドで消すことに成功すると、自分も傷だらけである体を振り絞って立ち上がり、再起不能となった霊屋下のもとに向かった。
「それでどうなったんだ?」
「あの百々子が胸ぐらなんか掴んでよォ」
「『形兄はあんなことしない、億兄のことも、仗助くんのことも悪く言ったことを謝れ!謝れ!』って繰り返してたんだよ」
白い病室の窓からそよぐ風はぬるかった。四人部屋のこの病室は、運良く仗助達以外は誰も入っていなかった。
仗助の質問に答えたのは億泰と康一だった。仗助は二人からの答えを聞きながら、その視線を自身の隣のベッドに眠る百々子に向ける。
仗助の傷を消したあと、百々子は霊屋下に向かって行き、億泰と康一が言ったままの行動をとった。胸ぐらを掴んで何度も康一が述べた言葉を繰り返し、既に意識が吹っ飛んでいる霊屋下を揺さぶり、その言葉だけを何度も何度も繰り返していた。自分を傷付けたことではなく、形兆の尊厳を傷付けたこと、億泰と仗助に嘘ばかりを吐き傷付けた霊屋下に対する怒りをぶつけていたという。
「承太郎さんが止めに入ったんだけど、百々子さんも引かなくてね」
「あの承太郎さんが少し圧倒されてたんだぜェ」
「そうか…」
その後百々子は承太郎の何度目かの制止でようやく落ち着いたかと思えば、そのまま意識を失ったらしい。霊屋下からの暴力で体力は既に限界だったにも関わらず、更に不慣れなスタンドを発動させ交戦したことによる体力的精神的疲労が爆発した結果だった。
仗助共々処置を受け怪我の方は大きな問題は見られないが、精神的にだいぶ参っているらしく意識を取り戻すのにも時間がかかるかもしれない、と億泰は説明を受けていた。
「霊屋下の方は承太郎さんと露伴先生が今警察とやりとりしてくれてるみたいだよ」
終わり次第こっちに来るって、と康一は言う。仗助はその言葉を「そうか」と先程と同じように返す。その視線はずっと百々子を捉えていた。
「怖い思いさせちまったな」
ぼそりと呟かれた本音は仗助のものだった。彼の言葉に人一倍責任を感じたのは億泰だった。同じく百々子を見つめる億泰は、あることに気付く。
「百々子…?おい、百々子!」
「億泰くん?」
「今、いま!指がほんの少し動いた気がしたんだよ」
「何?!」
億泰の言葉に仗助は怪我人であるにも関わらずベッドから飛び起きて百々子の顔を覗き込む。包帯やガーゼまみれの顔に仗助は心を痛めた。
「百々子…」
百々子を助けたくて皆と乗り込んだのに、ほとんど役に立たず挙句に百々子に助けてもらうなど失態だった。しかも仗助は助けられた当時の記憶も曖昧なのである。まさに露伴の言った通りで、正直露伴に後から「だから言っただろう」と言われるんじゃないかと覚悟していた。
―――その時。
百々子の色素の薄い瞼が何度かピクピクと動くと、眉間に皺が寄る。億泰が「百々子!」とこちらに呼び寄せるように名前を呼んだ。すると百々子はようやくその瞳を開いたのである。
画面いっぱいに映った三人の男たちに、百々子は思わずぎょっとしてしまう。しかしそれが全員見知った顔であると分かると、それぞれの顔を確認し百々子は思わず涙ぐんでしまった。
先生呼んでくるね、と気を利かせた康一が病室から出て行く。百々子は残った億泰と仗助の顔を確認して、更に涙を零した。重力に任せて流れ落ちる雫は、シーツに染みをつくる。
「億兄、仗助くん…」
「百々子…っ、心配したぜェ」
「本当だぜ、無茶しやがって」
億泰は百々子の涙につられたのか同じように涙を流していた。仗助は少し強がったことを言ったが、彼もまた涙ぐんでいる。百々子の頭には朝のことが走馬灯のように駆け巡った。言わなくてはならないことが、山ほどあった。
だがその前に医師の診察を受けることになった百々子は、カーテンに包まれてしまう。女性医師の診察を受けている間に、ちょうど承太郎と露伴も病院にやってきた。百々子の診察が終わるころには、朝のあの場にいた全員が揃っていた。
数分の問診が終わると、ゆっくりとカーテンが開かれ、仗助たちはベッドに座る百々子を確認した。そこに承太郎と露伴がいるのを確認すると、百々子は軽く会釈するがそれだけでも体に痛みが走ったらしく、顔を強張らせた。
「うん、問題はなさそうですね。ただ全身にわたって怪我をしています。ゆっくりと病院で休んで、体を回復させることを優先しましょう」
「ありがとうございます」
「しかしこんなに一方的な暴力、とても怖かったかでしょう。希望があればカウンセラーと面談もできますが、どうしますか?」
医師にそう尋ねられ百々子は当時のことを思い出してしまった。兄の姿になり自身にひどいことを繰り返した霊屋下のことを思い出すと、百々子は今まで感じことのない怒りが込み上げてきたのだ。
「あの男はどうなりましたか?」
静かに怒りを孕んだ声は医師を圧倒させた。医師に聞いても分からないことであると百々子も分かっていたのに、聞かずにはいられなかった。
警察で取り調べを受けている、と百々子の質問に答えたのは承太郎だった。百々子は承太郎の方を向く。そしてこう言い放った。
「逮捕されるんですか?」
「おそらくな」
「それだけですか?」
「………。」
少し強い口調に仗助たちも思わず口をつぐんでしまう。百々子は更に続けた。
「納得いかないです」
そう言って百々子はシーツをきつく握りしめる。こんなに怒っている百々子を初めて見た億泰は、改めて百々子に形兆との約束のこと、そして形兆の最期についての話をしなければならない、と痛感した。
医師が去り、病室が百々子たちだけになると、億泰が百々子側のベッドの椅子に座った。そうして億泰は自身が形兆と交わした約束について、百々子に話した。仗助たちはそれを見守っていた。
「お前も言ってたろ、迷惑かけてきてってよォ」
その言葉に百々子はあの夕刻のことを思い出す。仗助たちの前で億泰と言い合いになったこと。億泰にひどい勘違いをさせてしまった、あの日の夕暮れのことだ。
百々子はずっと堪えていた涙を流してしまう。
「思ってないよ」
「え…」
「思ってないよ。でもあの時、私もカッとなっちゃって、ついそう言っちゃって…ッ」
「百々子…」
そうしてずっと百々子が謝りたかったことがあった。
「形兄が良くないことをしてるのは知ってたよ。それでも私は形兄も、億兄も大好きなんだよ」
「……っ、」
「形兄の代わりに、億兄が死んだらよかったなんて、一度も思ったことないよ」
億泰はその言葉に思わず顔を俯け目頭を抑え、必死に声を出すのを堪えていた。
「ごめんね、億兄にあんなこと言わせて」
「…っ、ッく…」
「ごめんね、すぐに否定できなくて」
億泰の頭にあの夕暮れの出来事が蘇る。自分で言ったあの言葉。
『悪かったな。死んだのが俺じゃなく兄貴でよォ』
これが億泰の心を呪いのように締め付けていた。
「ごめんなあ、百々子…」
もう溢れる涙を留める術を知らなかった。
ボロボロと雫を流しながら謝る億泰に、百々子も呼応するように泣いてしまう。ガーゼや包帯がどんどん涙に侵食されてしまうが、そんなこと百々子にとってはどうでもよかった。また兄と前のような日々が過ごせるのだと思うと、もうそれだけでよかったのだ。
普段の億泰からは想像もつかない姿に、思わず仗助や康一も涙ぐむ。康一にいたってはもはや当事者のように号泣していて、露伴がハンカチを渡していた。
「ああいうのを見るとよ」
仗助は目尻に溜まったものを親指の腹で拭ってから、誰に向けるでもなく本音をこぼした。
「兄妹っていいもんだなって思うよな」
今は二人して号泣したことを笑っている虹村兄妹に、仗助もつられて口元を緩ませる。そうだな、と返事をしたのは意外にも承太郎だった。
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