虹村百々子の正体 その1 東方仗助は最近広瀬康一以外にもつるむ生徒ができた。それが今彼の目の前で幸せそうにパンを頬張りながら話をしているこの男―――虹村億泰である。
「ぅンめえぇ〜〜!やっぱダチと食うメシは美味いなァ」
「オメー、今下校中なんだが、それは何メシなんだよ?早すぎる夕飯か?」
「あ?んな細けぇこと言うなよ、仗助」
億泰は一際大きな口を開けると新発売のコンビニパンをペロリと平らげてしまった。仗助と康一はその様子を見て本当に甘いもの好きだな、と思っていたところで、再び億泰が声を出す。
億泰は形兆の一件から仗助や康一のことを良い奴だと思い、行動を共にすることが増えた。仗助とは朝の登校時家に迎えに行って彼の準備を待つ間、東方邸でコーヒーを飲むこともある始末だ。外見とは裏腹に案外人懐っこいのも、彼の憎めないところである。
「なんか甘いモン飲みたくねぇか?」
「お前本っ当に好きだな」
「でもせっかくだしどこか寄って帰ろうよ」
「まあたまにはいいな、そういうの」
「じゃあよォ、俺の知ってる店にしようぜ」
そう言ったのは億泰だった。仗助らは億泰がこの春この街に越してきたことを知っていた。その億泰が知っている店というものだから、二人ともちょっと興味が湧いてきたのだ。
「億泰くんが知ってるお店って気になるな」
「だよな。お前この町まだ日が浅いのに、よく店なんか把握してんな」
「おお、まあな。なんっつーか、知ってる奴が働いてんだよ」
「知ってる奴?」
「へえ!億泰くんこの町に知り合いがもういるんだ?」
少しばかりの疑問を浮かべながらも億泰はとても気分が良さそうに鼻歌交じりに足を進める。妙にご機嫌な様子は仗助も康一も初めて見るもので瞬きを繰り返してしまった。
億泰の後ろについていくことものの数分。億泰はとあるカフェの前で足を止めた。
「へえ、このカフェに億泰くんの知り合いが」
「俺もここなら知ってんぜ。入学前から何回か来てんだよ」
「そうなの?仗助くんのイメージにないや」
「失礼だな。まあ目的はたしかにコーヒーとかじゃねえ」
「なんか下心丸出しの気配を感じるよ?」
「下心なんかじゃねえ。ちょっとばかしおもしろい店員がいるってだけよ」
「おもしろい店員?」
二人がそんな会話をしている間に億泰はさっさとテラス席に座っていた。仗助たちもすぐに億泰のテーブルの方へ向かう。彼らがちょうど席に座ったところで店員がメニュー表を持ってきた。億泰はメニューを既に決めてしまったのかメニュー表を仗助と康一の方に向けて、メニュー表を持ってきた店員を見た。
「すんません。百々子呼んでもらっていッスか?」
「百々子…ちゃんですか?」
「億泰って名前言ってもらったら分かると思うからよ」
「分かりました、少々お待ちください」
その一連の行動を見ていた二人は正直メニューを決めるどころではなくなっていた。
「何今の?!億泰くん!何今の!?」
「お前今百々子って女の名前言ったよな?女だよなァ?」
「そうだけど、それがどうかしたのか?」
「すっとぼけんじゃねーぞ、億泰。俺は、俺ァ、お前は俺と同じだと思ってたのよォ」
「僕も同じ気分だよ、仗助くん」
「お前ら一体何言ってんだ?」
仗助は億泰の胸ぐらを掴んで揺らしていたが億泰にはあまり効果はなかったようで、相変わらずヘラヘラと笑っていた。その笑顔が仗助と康一の逆鱗に触れているとも知らずに。
その一方で康一は再び考えを巡らせていた。今度は億泰が発した百々子という名前が引っかかっていたのだ。先日もある名前の一件でこんな風に何か引っかかっていたのだが、またしても同じような感覚に陥ったらしい。仗助が乱心している間、康一は再びここ数日の出来事に思考を傾ける。
「お待たせしました」
そこにこの場の三人以外の声がしたので、仗助と康一はふと我に帰る。そして仗助に胸ぐらを掴まれたままの億泰はその声の主を見て「よお、百々子!」とたしかに言った。その親しげな雰囲気を見て仗助は思わず「てめえ…」とブチ切れそうになるのを必死に抑えていた。何故ブチ切れそうなのかというとおそらく自身と同じ部類の人間だと認識していた億泰に対する何らかの敗北感であろう。それをこの場で明記するのは彼のプライドが傷付けてしまうのでよしておくとする。
「来てくれたの?それにもうお友達まで連れてきて」
「そうだぜ。お前の店にコーケンしてやろうと思ってよ」
「ありがとう。あ、初めまして、億泰の…ってアレ?」
仗助はこの時百々子のことを全く見てはいなかった。見たら負けだと思い視界に入れまいと必死だった。相反して康一は逆にまじまじと彼女のことを見ていた。そしてその視線は互いにしっかりと合致している。だから百々子の「アレ?」という疑問は、康一を見て発せられたものである。
「君、確か同じクラスの…」
「…そうだ!百々子って名前、これにも聞き覚えがあると思ってたんだ!仗助くん!もしかしたら僕たち、とんでもない勘違いをしていたのかもしれないよ!」
「やめろ、康一。俺ァ今ちょっと人間不信になっちまってだな…」
「違うんだ、仗助くん!だからさ…ッ」
「おい仗助、お前どうしちまったんだ?いつもと全然違ぇじゃんかよォ」
いつの間にか億泰の胸ぐらから手を離していた仗助は、あまりのショックに椅子に座り項垂れていた。ご自慢のリーゼントが心なしか元気がないように見える。
百々子の視線は彼らのやりとりを見ながら仗助に向かっていた。俯いていても分かるほどの形と整った目鼻立ち、聞いていて心地よくなるほどのテノール。百々子はその横顔やこの声を知っていた。
「…もしかして、何回かこのお店に来てくれていた方じゃないですか?」
極め付けは彼の髪型だった。百々子はこの項垂れているリーゼントを見てようやく彼が何者かを理解した。その言葉を耳にした時、仗助はこの声に聞き覚えがあらと思い、勢いよく顔をあげる。
そして仗助はようやく彼女のことを認識した。しかしその事を口にする前に、百々子の方が「やっぱり!」とうれしそうに笑ったのだ。
「そうだと思った!最近見かけなかったから、もう来てくれないのかなって思ってたんですよ」
康一は思った。おそらく仗助が言っていたおもしろい店員というのは彼女のことなのだろう、と。
億泰は思った。もしかして百々子と仗助は前から面識があったのではないのだろうか、まあ俺は頭悪いからよく分かんねぇけどよ、と。
そして仗助は思った。何故俺の心臓はこんなにも心臓がうるさいのだろうか、と。
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